小林香菜選手(C)産経新聞社

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 ミラノ・コルティナ冬季五輪が幕を閉じたが、2年後に行われるロサンゼルス夏季五輪の出場権をめぐる争いも熱を帯びている。昨年行われた世界陸上の女子マラソンで7位入賞を果たし、いち早く代表選考レースMGCへの出場権を手にしたのが、大塚製薬の小林香菜(=24=)選手だ。早稲田大学本庄高等学院から早稲田大学法学部に進学。学生時代はランニングサークルに在籍しながらマラソンに打ち込み、国家公務員を目指していたという小林選手に、文武両道を貫く秘訣を聞いた。【取材・文=白鳥純一】(全2回のうち第1回)

【写真】ランニングサークルから日本代表へ…「シンデレラガール」小林香菜選手の姿

インドアでリレーの選手に選ばれたことすらもなかった幼少期

「来年10月に行われるMGCで五輪の切符を掴めるように、海外マラソンへの挑戦や課題としているスピードの強化に取り組みながら、準備を進めていきたいです」

小林香菜選手(C)産経新聞社

 2026年の抱負をそう語る小林選手は2001年、群馬県前橋市で3姉妹の末っ子として産声を上げた。父は小児科医、母は薬剤師といずれも理系のキャリアを歩む一方、家族揃って運動は苦手とのこと。小林選手も「スイミングスクールに通ってはいたものの、室内で過ごす時間の方が圧倒的に長く、リレーの選手に選ばれたこともありませんでした」と自身の幼少期を振り返る。

 その後は地元の公立中学に進んだ小林選手は、「さほど厳しくない雰囲気」の水泳部に入部し、充実した生活を過ごすも、中学2年生の秋に意外な形で転機が訪れる。

 小林選手の通う中学校は秋に行われる駅伝大会に向けて、学内の運動部が一丸となって取り組む伝統があり、水泳部の小林選手も練習に臨むことに。毎日10キロのランニングで走りを磨いた小林選手は、学内の代表に選出されると、その後もチームは勝ち進み、見事に関東大会進出を果たした。

強豪校のランナーに差をつけられないように

 思わぬ形で大舞台を経験して自信を強めた小林選手は、中学2年生の冬に陸上競技部に転部し、本格的に競技をスタートさせた。中学3年生の時には、1500mで関東大会に出場。ジュニアオリンピックAクラスの3000mの決勝や、全国都道府県女子駅伝も経験し、能力の高さを示した。一方で受験期には勉強にも力を注いだ。「顧問の先生と話し合いながら、勉強と陸上を両立できることを重視して選んだ」という早稲田大学本庄高等学院のα選抜(自己推薦入学試験)を受験。偏差値75〜76を誇る県内屈指の難関校だったが、高い内申点や中学時代に打ち込んだ陸上競技における成果を作文や面接でアピールし、見事に合格を掴み取った。

 小林選手は、高校時代を「帰国子女も多く、個性豊かな皆さんからさまざまな刺激を受けながら過ごした」と振り返る。

 高校時代は、入学と同時に「経験者と未経験者が半々くらいの和気藹々とした雰囲気」の陸上部に籍を置いた小林選手は、1500m、3000mといった長距離のトラック種目に主戦場に己の実力を高めた。

「私が中学時代に戦ってきた同世代の選手たちは、その多くが陸上競技の強豪校に進学し、厳しい練習に取り組んでいるのを知っていたので、差をつけられないようにしようと思っていました」

 小林選手は、週5日のクラブ活動に加えて、毎朝1時間ほどの朝練習が日課となり、ランニングや筋力トレーニングといった練習に取り組んだ。

限られた時間をやりくりしながら勉強も

 毎朝6時30分に自宅を出発し、学校の授業や部活動を終えて、自宅に戻るのはたいてい20時を過ぎてから。

「帰宅する頃にはもう、疲れ果てていることが多かった」という小林選手は、夜に自宅で勉強するのが難しい代わりに、片道1時間半を要する通学時の電車で単語帳を見て過ごすなど、限られた時間を上手くやりくりし、出来る限り真面目に授業を聞くことを心がけていたそう。

「だいたいいつも真ん中辺りの成績だった」そうだが、高校3年生の時には「数学や物理といった理系科目が苦手だったことや、ニュースで流れるさまざまな事件に触れ、裁判や法律に関心を抱いたことから、法学部への進学を決断した。

毎日20キロのランニングで、富士山マラソンを連覇

 早稲田大学本庄高等学院を卒業後の2020年4月には、早稲田大学法学部に進学。一時は体育会競走部への入部も考えるも、当時は女性部員が少なく駅伝への出場が叶わなかったことや、フルマラソンやアウトドア活動に対する思いの強さ、そして「改めて振り返ってみると、体育会に足を踏み入れる覚悟が足りなかった」こともあってこれを見送った。
大学ではランニングサークルの「早稲田ホノルルマラソン完走会」や「山小屋研究会」に入部し、自身で考えたメニューをこなしながら、練習を重ねていった。
 だが、大学入学と同時期に、コロナ禍が襲来。約3ヶ月後に東京五輪を控え、スポーツ一色の盛り上がりを見せていた状況は一変し、感染症拡大防止の観点から、外での運動が厳しく制限されることとなり、マラソン大会の中止も相次いだ。

 そのような社会事情も災いし、大学生活1年目は、大会への出場は叶わなかったものの、無観客開催の東京五輪を終え、平穏を取り戻しつつあった2021年11月の「富士山マラソン」に出場した小林選手は、初マラソンを3時間29分12秒で完走。

 その後も、毎日20キロのジョグや皇居でのランニング、さらにはタイムの向上に力を注ぐ先輩のアドバイスを参考にしながら、トラックでの練習や大会の出場回数を増やし、実戦の中でスピードに磨きをかけた。

総務省のインターンで感じた マラソンを続ける難しさ

「まずは30キロくらい走ってみて、長距離のランに対する心理的な抵抗感を徐々に減らしつつ、怪我をせずに練習を続けることが大切かなと思います」

 タイム向上の秘訣を明かす小林選手は、1年間で50分ほどタイムを縮め、2022年の富士山マラソンでは、2時間39分54秒でゴールテープを切り、見事に優勝。大学卒業を控えた2023年には、2時間37分33秒の大会新記録で、見事に連覇を成し遂げた。

 だが、マラソンに力を注ぐ一方で、大学2年生の頃からオンライン予備校に通って準備を進めていた国家公務員試験については、徐々に遅れが生じるようになっていることを感じ取っていた。

 大学3年生の夏には総務省のインターンに参加し、試験合格に向けた準備を着々と進めるも、市民ランナーとしてレースに出ながら省庁で働く先輩に出会い、仕事と競技の両立が想像以上に難しそうな実情を目の当たりにしたことや、練習に本腰を入れた成果が想像以上に表れてきたこともあり、やがて実業団チーム入団を考えるように。

 大会を数日後に控える中、通学中に負傷し、思うように走れなかった高校時代の自責や、「ランナーとしての可能性を試してみたい」という思いは日に日に強くなり、進路の変更を本格的に考えるようになった。

 第2回【早大法学部から強豪実業団チーム入り…女子マラソン「小林香菜」が語る異色のシンデレラガールが「世界陸上で入賞を果たせた理由」】では、総務官僚を目指していた小林選手が一転、実業団に所属することになり、さらに世界陸上で7位入賞という輝かしい成績を残すまでに至ったのか、また今後の展望、ロス五輪への思いなどについて伺いました。

ライター・白鳥純一

デイリー新潮編集部