天安門の「半旗」は過去に約50回、外国首脳死去の際には17回・・・スターリン、ホー・チ・ミン、金日成など
中国では第1条から第20条まである「国旗法」により、国旗のサイズや掲揚する状況などが細かに定められている。制定は1990年でそれほど古くはないが、日本が平成11年(1999年)に定めた「国旗及び国歌に関する法律」で、「第1条:国旗は、日章旗とする」、「第2条:国歌は、君が代とする」と定め、日章旗のデザインと君が代の楽譜を併記しているだけであるのとは、かなり様子が違う。
天安門広場では現在、国旗が毎朝掲揚され日没時に降ろされている。中国青年報は29日付で、天安門広場における国旗掲揚についてのエピソードを紹介。同記事によると、中華人民共和国が1949年10月1日に発足した当初は記録に欠けるが、これあまでに同広場における国旗掲揚は少なくとも2万回はあるという。
国旗法には、「半旗」についても定めがある。「半旗で哀悼の意を示す」と定められているのは、中華人民共和国主席、全国人民代表大会委員長、首相、中央軍事委員会主席など国家の要人が死去した場合で、その他に「中華人民共和国に対して傑出した貢献があった人」、「世界平和または人類の進歩のために傑出した貢献があった人」とされている。
天安門広場に半旗が掲げられたのは、過去50回強という。自国の指導者のために半旗を掲げたのは、周恩来、朱徳、毛沢東、胡耀邦、トウ小平などの死去に伴うもので、少なくとも30回はある。
文革中に迫害されて1969年に死去した劉少奇国家主席に対しては、1980年に追悼大会を開催した際に、半旗が掲げられた。
政治家面における重要人物以外には、1999年5月12日に米軍の誤爆により死亡したユーゴスラビア大使館員ら3人、2010年のハイチ大地震で死亡した、国際協力のために現地に派遣されていた中国人警察官8人、さらに2008年の四川大震災で死亡した人々のために半旗が掲げられた。
外国人の死去に伴い哀悼ための半旗が掲げられたことは17回ある。いずれも政治指導者に対してのものだ。
第1回はソ連のスターリンの死去にともなうもので、1953年3月7日から9日まで。複数日にわたり半旗が掲げられた外国人はスターリンだけで、スターリンは翌1954年にも、一周忌のために半旗が掲げられた。
その他、半旗が掲げられたのは、チェコスロバキア、モンゴル、ポーランド、ルーマニア、ブルガリア、東ドイツなど、旧東側陣営の指導者の死を哀悼するケースがほとんどだ。日本人に比較的なじみのある名としては、ベトナムのホー・チ・ミン(1969年9月9日)、北朝鮮の金日成(キム・イルソン)などがある。
西側諸国の指導者として唯一、半旗が掲げられたのはフランス大統領を務めたシャルル・ドゴールの死去に際してだった(1970年11月11日)。
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◆解説◆
中国国旗は五星紅旗と呼ばれる。赤い地の左上に大きな星があり、小さな4つの星が右側に寄り添うデザインだ。大きな星は共産党を、4つの小さな星は労働者、農民、小資産階級、愛国的資本家の4つの階級をあらわす。小さな星の頂点はすべて大きな星を向いており、人民が共産党のもとに団結することを象徴している。
経済学者であり芸術家でもあった曾聯松(1917-1999年)が公募に応じたデザインが多少修正されて採用された。1949年10月1日に行われた中華人民共和国成立の式典で、初めて掲揚された。
なお、同式典では天安門上で毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したが、天安門上の飾り付けを担当したのは日本人画家・美術家の小野沢亙、森茂の両氏。
天安門正面には左右に「中華人民共和国万歳」、「世界人民大団結万歳」の大きな文字が掲げられているが、この部分のアイデアと基本的デザインも小野沢亙、森茂の両氏による。
写真はCNSPHOTO提供。天安門広場における国旗掲揚式。(編集担当:如月隼人)
