45年分の「システムダイアリー」に細かくメモ…ベテランジャーナリストが金融機関の広報部長と付き合う理由

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筆者が三井住友フィナンシャルグループとSMBC日興証券の広報部長と会食をしている折、「広報部長の在るべき姿」がテーマとなった。昔話を重ねるうちに、米金融大手シティグループ会長だったサンフォード・ワイル氏と日興證券の社長とホテルオークラで朝食をともにしたことを思い出した。

シティグループ会長は、来日の目的を「富士銀行のトップとの会合」と言う。それは業界再編に揺れていた当時の金融業界における水面下の動きそのものであった。筆者は富士銀行の広報部長に問い合わせたものの、この件を記事にすることはなかった。

前編記事『もしかしたらあの都市銀行が外資系になっていた? 私が米金融業界の大物から直接聞いた「幻のスクープ」』より続く。

30年分の手帳をめくって

ここまで事実を淡々と記述していると思われるのではないか。だが事はそう簡単ではなかった。冒頭に記したように、前提となる記憶がほぼ10年間も違っていた。

実際は90年代後半、肝心要のワイル氏と朝食を共にしたのは事実であり、98年9月8日午前7時に当時のホテルオークラ本館987号室を訪れたのだ。

その前の6月23日夕には金子社長のインタビューも行っていた。なぜ、それが分かったのか? 答えは筆者が1980年から愛用する「システムダイアリー(8穴)」にあった。45年分、保存ボックスに収納している。

件の会食の翌日から暇を見つけては、85年からダイアリーを繰って日程表を具にチェックした。該当する記述はなかった。年が明けても確認作業を続けたが、なかった。ダメ元で90年代後半にも目を通した。

すると……何とあったのだ!! 日程表に次のように記述されている。

記憶もよみがえる

「95年12月20日pm6:00三原淳雄氏City Club of Tokyo」「96年2月20日pm6:30 三原氏勉強会(中日ビルB1)」「96年3月2日よみうりGC」「98年6月23日pm5:30 金子社長インタビュー」「98年7月21日pm6:30 三原氏勉強会(シーボニアクラブ)」「98年9月8日am7:30 ワイル会長(HオークラM987)」「99年7月27日pm6:30 三原氏勉強会(シーボニアクラブ)」――。

これらを見つけ出す過程で、ベテランの金融ジャーナリスト、浪川攻氏から「三原氏は日興の元ロサンゼルス支店長で、2011年に亡くなっています」と教示されている。事実、2011年度版を繰ってみると、「2月11日am11:30本願寺 三原氏葬儀」の記述があった。

こうしてジグソーパズルのピースが次々と埋められて行った。そして記憶に埋もれていた光景が少しずつ見えきた。

米金融大手シティグループCEOであり、ニューヨーク連銀筆頭理事でもあった人物との出遭いの物語を想起する契機となったのが、メガバンク&大手証券広報部長との「メシ懇談」であった。

そう、「広報部長の在るべき姿」とは、縦横十文字すべてと等距離で、且つ奥深いお付き合いをする存在であるべきだということになる。そうだとしても、取材を「する側」から一言。深甚多謝。

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