早稲田大学の渡米野球部選手と大隈重信(1911=明治44=年3月撮影推定) (C)早稲田大学歴史館/共同通信イメージズ

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【仰天野球㊙史】#47

【仰天野球㊙史】球界改革の絶好機が消滅 幻に終わった“現場出身”西本幸雄のパ・リーグ会長就任

 19日に開幕したセンバツ甲子園でも行われる始球式、いつから始まったのだろうか。

 1908(明治41)年のことだった。マウンドに立ったのは、総理大臣を2度務めたあの大隈重信である。

 この年、米国から大リーガーを含む選抜軍が来日。11月22日の開幕戦の相手は、早稲田大学だった。場所は早大の戸塚グラウンド。そこで、早大創設者の大隈の出番となった。

 投げたものの、捕手に届かないどころか、ほぼゴロだったという。

 これを、早大の1番打者が故意に空振り。大隈に恥をかかせられない、という思いからだった。始球式のおなじみの“打者空振り”はこれで定着したそうである。

 大隈は野球に理解を示したことで知られる。大学チームが初めて米国へ武者修行に出かけたのは早大で、野球部が総長大隈に直訴して実現。多額の遠征費を出したというエピソードが残る。

 翌09年には、女性初の始球式が行われた。場所は羽田運動場。現在の羽田空港だ。東京倶楽部と神戸倶楽部との試合で、女性は電鉄会社の令嬢だったと伝えられている。

 運動場は当時、京浜電気鉄道(現京浜急行)の持ち物で6万坪の広さ。野球愛好家の小説家・押川春浪のアイデアで、1万坪のグラウンドが出来上がった。まだプロ野球はなかったが、野球はすでに全国的スポーツに成長しており、五輪の予選会も行われた。

 羽田運動場は陸上トラック、テニス場と広がり、海水浴場に遊園地などもできて、庶民で賑わう憩いの場所だった。

 ところが、17(大正6)年に大潮に遭い、使用不能に。38(昭和13)年に空港になっていく。

 その後、始球式はさまざまな形で行われ、高校野球の夏の甲子園では、ヘリコプターからマウンド目掛けてボールが落とされる。

 2025年には高校3年生の軟式野球部の女子部員が女子高生として初めて大役を務めた。

 米国初の始球式は、25代大統領となるウィリアム・マッキンリーが州知事時代の1892年に行ったという。大リーグでは1910年に27代大統領のウィリアム・タフトがワシントンDCでスタンドから投じたのが第1号である。

(菅谷齊/東京プロ野球記者OBクラブ会長)