“インスタ映え”が流行語大賞に選ばれたのは、もう5年も前のこと。

それでもなお、映えることに全身全霊をかける女が、東京には数多く存在する。

自称モデル・エリカ(27)もそのひとり。

そんな彼女が、“映え”のために新たに欲したのは「ヨガインストラクター」という肩書だった―。

エリカは、ヨガの世界で“8つの特別なルール”と出合う。しかし、これまでの生活とは相いれないルールばかりで…。

これは、瞑想と迷走を繰り返す、ひとりの女性の物語である。

◆これまでのあらすじ
仕事が軌道に乗り始めたエリカは、徐々に“ヨガ的”な生き方を極めていく。しかしその結果、年上の彼氏・智樹や、インスタグラマーたちとの関係に亀裂が。そして、人間関係にさらなる変化の兆しが現れて―。

▶前回:彼とのディナー。お会計をこっそり済ませたら…直後、彼氏に吐き捨てられた、まさかの一言




Vol.9 もう、彼とはやっていけない


7時。

「エリカ…。こんな朝早くから、誰と連絡してるの?」

ベッドの中で智樹に声をかけられると、体がぎくりと硬くなった。

― え、なんでそんなこと聞くの?いつもなら動画を見てたって、となりで熟睡してるのに…。

私は、動揺を抑えるために、大きくひと呼吸する。それから、背を向けていた彼のほうに体勢を変えると、なんてことないふうを装って答えた。

「ううん、連絡じゃないよ。目が覚めちゃったから、インスタとか、写真とか…なんとなく見てただけ」

そう言いながら、ごく自然にスマホの画面を裏返したつもりだった。だが、智樹は、いぶかしむように私の手元をジッと見つめている。

― ともくん…やっぱりちょっと変わった気がする。

発端は、先日の中華レストランからの帰り道―。

初めて彼に冷たい言葉を投げかけられた。

そのあとの智樹に、いつもと変わった様子はなかったが、ここ数日、彼はまたどこかおかしい。

私がスマホを見ていたり、楽しそうにしていたりすると、過敏に反応するのだ。

智樹とは、もうすぐ交際4年。

出会ったときは、17歳も年上の相手は恋愛対象にならないと思っていた。でもしばらくすると、包容力があるのに干渉してこない智樹に、同世代の男性とは違った大人の魅力を感じるようになった。

それが、今はどうだろう。

もともと詮索されることが好きではない私は、窮屈さを感じ始めている。

…ただ正直、彼には絶対に言えない理由で、ほんの少し心が弾んでいた。

― あとでゆっくり読み直そう。

画面を見られないようにそっと閉じたのは、プロ野球選手・和寿から送られてきたDMだった―。


インストラクターになって、しばらく経った頃―。

“ヨガに興味があります”

サッカーやバスケの選手から、こんなDMが送られてくることが何度かあった。

私だって、いくらヨガに集中した生活を送っているとはいっても、ミーハー心が消えたわけではない。バラエティ番組によく出ているような有名な選手からの連絡には、多少なりとも舞い上がってしまう自分がいるのも事実だった。

ところが、いざ返信をしてやり取りを続けてみると、2人で食事に行こうと誘われる。なかには、遠征先のホテルに呼び出そうとしてくる人もいた。

― あり得ないっ!

心の中で、何度つぶやいたことか―。今思い出しても、ため息が漏れる。

彼らは、ヨガにはこれっぽっちも興味なんてない。ただナンパしてきただけ。適当に遊ばれて、痛い目にあうなんてごめんだ。私は、この手のDMには反応しないと心に決めた。

ところが、プロ野球選手・和寿からのDMは、少し違っていた。




和寿は、野球に詳しくない私でも知っているくらい有名な選手だ。

某プロ野球チームの外野手で、24歳。

整った目鼻立ちと、長身でがっちりした体型から、女性ファンが多い。数年前には、新人王を獲るのではないかと期待されていた、実力のある選手だ。

そんな、アスリートの中でも稀有な人物から、唐突にDMが送られてきた。

― ダメダメ、浮かれないようにしないと…!こういう連絡には、懲りたはずでしょ。

高揚する気持ちを押さえつけても、DMを開く指先は弾んでしまう。しかも、その内容がまた丁寧な自己紹介で始まっているから、印象がグッとよくなる。

DMには、去年怪我で手術をした部位のことや、ヨガをやってみたいと思った理由が、具体的に書かれていた。

和寿:「エリカさんがレッスンをしているスタジオで、1時間ヨガを教えてもらえませんか?」

長文の最後は、こんな言葉で締めくくられている。

― へえ、真面目そうな人。でも…うーん。

通常のレッスンだけならまだしも、怪我について知識もない“いちインストラクター”が、軽々しく引き受けられる内容ではない。万が一、体に差し障るようなことがあっては大変だ。

そう判断した私は、言葉を選んで、丁重にお断りの返事をすることにした。

エリカ:「私より、もっと専門的な知識のあるインストラクターやトレーナーに依頼したほうがいいと思います。お役に立てず、申し訳ありません」
和寿:「そうですか。こちらこそ、不躾にすみませんでした。ご丁寧にありがとうございます」

こうして、レッスンの話は立ち消えになった。

― 有名人とのレッスン、断っちゃった。惜しいことしたかも。

くすぶるミーハー心と、少しの後悔に襲われた。そのわずか3日後―。

彼からふたたびDMが送られてきて、そこから当たり障りのない世間話をするようになった。





朝から智樹に詮索されてうんざりしたが、気をとりなおして、いつものように2人でくつろいでいると―。

“ピコピコ”

LINEの着信音に、いち早く反応したのは智樹だった。

「エリカ、最近よくLINEしてるよね?」
「え、そう?レッスンの連絡じゃないかな」

慌ててスマホを手に取ると、送り主は礼子さんだった。

礼子:「月曜日のパーソナルレッスンなんだけど。私、スタジオに行けないから、鍵の管理任せてもいい?」

私は、その画面を彼に向けて見せた。

「…いいよ、別に見せてくれなくても」
「でも…ともくん、気にしてるから」

次の瞬間。

智樹は並んで座っていたソファから、スッと立ち上がった。それから、私のことを見下ろすと―。


「こんなこと言いたくないんだけど…エリカ、ちょっと方向性をはき違えてない?」
「…方向性って?」
「LINEで色んな男とやり取りしてるだろ。ヨガの関係なのか知らないけど、ホテルがどうとか」

聞けば、智樹は、無造作に置かれた私のスマホのポップアップ表示を見てしまったらしい。

ホテルに呼び出されかけたことがあるのは事実だけれど、行っていない。とはいえ、浮かれた気持ちでやり取りをしていたのは本当だし、潔白とも言い難い。

「それは…本当にヨガのことで連絡を取ってただけ…」

慌てて否定しようとすると、智樹に遮られた。

「ヨガの仕事、うまくいったらいいなって応援してたんだけどな。食品会社のイベントだって、僕のコネでエリカを推薦したから…」




「…それ、どういうこと?」

私が、大手食品会社からイベント講師のオファーをもらったとき。たしか、智樹は「エリカが注目されているから、オファーがきたんだ」と言ってくれた。

しかし実は、裏で彼が糸を引いていたらしい。

そんなこととは知らずにいた私は、険しい目つきを智樹に向ける。

「いい仕事がもらえて、エリカもよかっただろ?そもそも、エリカの実力じゃ、到底あんな仕事の依頼はこないだろうしね。

今やってるVIPのレッスンだって、体のラインがわかる格好で…。しかも、個室で異性と2人きりって。おかしいよ」

まくし立てたあとの彼は、口もとを歪めて苦い顔をしていた。

― そんな気持ちで、どこが応援なのよ…。

元々恋愛感情はないにしろ、智樹のことは人として信頼していた。けれど、彼は、必死にやってきた私のことを、いつからかこんなふうに疑って、見下すようになっていたのだ。

そう確信したとき、冷水を浴びせられたかのように、心が冷めて身震いした。

「…もう話したくない。私、しばらく実家に帰るから」

当面必要なものを鞄に詰めると、制止する彼を振り切った。

こうして私は、愛猫・ミケ子を連れて、立川にある実家へと帰ったのだった。




1週間後―。

私は、『ワカヌイ グリルダイニング・バー東京』にいた。

「エリカさん?」
「あ、はい!」

少し遅れてやって来たのは、和寿だ。

智樹とケンカをして家を出てからも、和寿と他愛ないLINEのやり取りを続けていた。おかげで、心がどっぷりと沈みこまずにすんだ。

和寿とは気がつけば、毎日連絡を取り合うようになっていた。こうやって食事に誘われたのも、自然な流れだろう。

― 食事だけなら…いいよね。

レストランがある赤羽橋から立川までは、電車で1時間。サクッと夕食を済ませて帰ろうと心に決めながら、和寿と乾杯する。

けれど、その3時間後。

ジューシーなラム肉と、芳醇な赤ワインの力もあって会話が弾むと、すっかり意気投合。そのまま、東京タワーを臨むホテルへ場所を移し、一夜を共にしたのだった。

翌朝。

ベッドの上で目を覚ますと、自分が寝ているところだけが温かかった。

「あれ…、和寿くん?」

そこにはもう、彼の姿はなかった―。

▶前回:彼とのディナー。お会計をこっそり済ませたら…直後、彼氏に吐き捨てられた、まさかの一言

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踏んだり蹴ったり。瞑想どころか、迷走を始めるエリカは次第に孤立し始めていく…。