※この記事は2021年12月31日にBLOGOSで公開されたものです

研究者の綴るエッセイが好きだ。

取材対象への愛情やマニアックなこだわり、探究への情熱が文章のそこかしこに滲んでおり、日々の研鑽の中でひらめきに至るまでの過程は冒険小説よろしくワクワクさせてくれる。

世界中の海に潜り、沈没船や遺跡の発掘調査を行う水中考古学者・山舩晃太郎さんの初の著書『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』(新潮社)もその例に漏れず、面白い。

プロ野球選手を目指していた青年が水中考古学という学問に「一目惚れ」し、大学卒業後に英語もできないまま単身アメリカへ。猛勉強の日々を経て、世界中の研究機関から依頼が舞い込む研究者となる。

今では美しい海から視界不良のドブ川まで水の中に眠る歴史を求めて潜り続ける山舩さん。その水中考古学者としての日々がユーモラスなタッチで綴られている。

オンラインで山舩さんへのインタビューを敢行。「楽しくて仕方がない」と語る水中考古学の世界を覗いてみた。

サファイアブルーの海からドブ川まで

ーー初となる著書『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』ですが、執筆のきっかけは何でしょうか。

コロナ禍で海外との仕事が全部キャンセルになったことで時間ができたというのがきっかけのひとつです。これを機に、日本で水中考古学の存在を広げたいと思い執筆にあたりました。

ーー私も今回、この本を読んだことで初めて水中考古学という学問を知りました。

日本で水中考古学が広がっていない一番の理由は「水中文化遺産」が、知られていないからです。

例えば恐竜の場合、日本でも何年かに一回は「たまたま拾った骨が世界的な発見につながった」というようなニュースを目にしますよね。

その発見者は夏休み中に遊んでいた子どもなどが多いのですが、水中考古学の場合、海岸に打ち上げられている木材などを子どもたちが目にしても、「沈没船の一部かも…」とはなりません。

日本の海には縄文時代の居住地や江戸時代の沈没船など、多くの水中文化遺産がたくさん眠っています。水中考古学という学問が日本でもっと知られ、人気になってくれたら、発見につながり、文化遺産の研究・保護につながると考えています。

この本がそのきっかけになればいいと願っています。

ーー日本の水中文化遺産や沈没船の発見は他国に比べて少ないのでしょうか。

少ないですね。私が主に働いている地中海の国は観光が盛んな国が多く、考古学が非常に重要視されています。また北欧やアメリカだと、石油関係の仕事が多く、パイプラインを引く時などに事前調査を行い、それが発見のきっかけになることが多くあります。

日本でも考古学は人気なので、水中考古学も知られさえすれば人気になると思っています。なぜなら、私自身が心からものすごく楽しんでいるので。まだまだ知られていないということは、まだまだいろんな可能性を秘めていると思います。

英語は常に20点以下、野球漬けの青年がアメリカで研究者に

ーー憧れで渡ったアメリカですが、当初はマクドナルドでの注文で心折れるほどの英語力だったとか。語学学校でも大学院でも猛勉強された山舩さんですが、なぜ諦めずにやり遂げられたのでしょうか?

やっぱり水中考古学がどうしてもやりたかったというのはあります。

楽観主義ではありませんが、「2年で受からなくてもこれだけ勉強していたらいつかは受かるだろう」という思いがありました。それくらい勉強だけはしていたので(笑)。

そして両親の存在も大きかったです。大学卒業後に急に「アメリカで水中考古学を学びたい」と言い出した僕を信頼して経済的な支援をしてくれたわけですから、なるべく早く大学院に受かるようにと真夜中まで勉強を頑張りました。

ーー原動力になっていた「どうしてもやってみたい」という気持ちはどこから生まれたのでしょうか。

これが分からない(笑)。一目惚れなんです。この言葉が正しいと思います。

歴史自体は昔から好きでしたが、水中考古学の存在を知った瞬間に衝撃が走りました。「あ、これはやってみたい」と。どんどん気持ちが大きくなって止まらなくなってしまいました。

実は海外で水中考古学を研究している学者の中には似たような人たちが多くて、みんな「知った瞬間惚れた」と口にするんです。

海って単純にすごく魅力的じゃないですか。歴史という学問にも魅力がある。水中考古学はその二つがうまく重なる、最高の分野なんですよね。

そして、実際にやってみると想像していたよりも面白くて、どんどんのめり込んでいきました。自分でやっていて面白いので、他の人にもやってみてほしいじゃないですか(笑)。

「面白そうだね」じゃなくて「面白いね」と言ってもらいたい。だからこそ、今回の本を通じて、同志や水中考古学が好きな人、携わる人を一人でも増やしたいんです。

いつの間にか世界を代表する学者に

ーー博士論文のテーマを一度決定した後に変えるということまでして「フォトグラメトリ」の活用方法を探られた理由は何ですか?

フォトグラメトリに注目したのは、まずは自分が使ってみたかったからです。大学院ではポルトガル船の研究をしていたのですが、発掘時の記録作業に時間がかかってしまうため、研究がなかなか進まないという問題がありました。

全部手作業だったんですよ。その問題を解消するために、フォトグラメトリの勉強を始めました。

論文テーマを変えるきっかけとなったのは、フォトグラメトリについて発表したアメリカでの学会です。発表後にヨーロッパのいろんな研究者から問い合わせが来て、「これはいろんな研究に役立つ技術だ」と確信しました。

ポーランドの学会で卒業論文を発表した時は、本当にびっくりするくらいのいい反応をいただけて。学会後に共同研究の仕事がたくさん舞い込んできて、「独立してやっていける」と自信が湧きました。

ーーフォトグラメトリという誰も注目していなかったものに目を向けたからこそ、山舩さんは世界でも唯一無二の研究者としていろんな国の研究機関から呼び声がかかるのですね。

実は「いろんな国の海に行けていいね」という言葉は、一般の方よりも同じ学者仲間から言われることのほうが多いんです(笑)。水中考古学者が発掘調査する場所というのは自分の研究テーマに関連する海に限られることが多い中で、世界中の海に潜ることができる今の環境はとてもありがたいですね。

戦後176年のために海に潜る

ーー著書の中では水中戦争遺跡を保存する意義について綴られています。

20~30年間で朽ちてしまうものを100年間残すことには大きな意義があります。時を経ることで、我々の時代でいう「幕末」や「明治維新」のように、少し離れたところから歴史を理解できるようになります。しかし、戦後176年経った時に、研究対象となるものが残っていないとそれも難しくなってしまう。

だからこそ、次の世代がしっかりと歴史を学ぶことができるために、今、私たちが残していかないといけないなと考えています。

ーー国によっては水中戦争遺産が観光資源になるとも書かれていました。

例えばミクロネシア連邦やサイパンなどの農業や畜産などが難しい土地は観光業に頼り切っている側面があります。そういう場所ではダイビングが観光の要となり、主に欧米諸国からのダイバーが水中戦争遺産を目当てに訪れます。そういう意味で、戦争遺跡が長く保存されることは、その土地の経済を支えることにもつながるのです。

後継者を育てたい

ーー水中考古学の果たす役割やその魅力を今回は本という形で伝えられましたが、今後の目標などはありますか。

もちろん船舶考古学の研究は引き続き楽しんでやっていきたいのですが、発信にもっと力を入れていきたいと考えています。後継者を育てたいなと。

小学生の子どもから大人まで、広い世代に水中考古学の存在を知ってもらい、実際にやってみたいという人を増やしていきたいです。

将来的には水中遺跡の保護団体を立ち上げたいと考えています。45歳くらいでやれたらいいなと思っているのですが、その時、急に「遺跡の保護団体を立ち上げるので水中考古学をやめます」というのではなく、しっかりと受け継いでくれる次の世代がしっかりと育てることで、安心してその人たちに研究を任せて次のステップに進める。

だからこそ、今後10年をかけて水中考古学を広げて、やりたいと思ってくれる人を日本で増やしたいなと。これが今の目標ですね。