どうして大連は今なお日本とのつながりがこんなに深いのか
記事は、1905年に日露戦争が終わると、ロシアによる植民統治に代わって日本が以後40年間大連を植民地化したと紹介。その間日本人は現地に様々な足跡を残したとし、「大連という都市は日本人が建造した」と言っても過言ではないとの考えを示した。
そして、現在でも日本に留学したり、働きに出たり、あるいは大連に駐在している日本企業に就職する現地の人が多いと紹介。建築文化、言語文化、飲食文化など様々な日本の文化が大連の現地文化に大きな影響を及ぼしてきたとし、今や大連名物となっている海鮮料理、さらには海産物を生食する現地の習慣は、多かれ少なかれ日本が植民統治した歴史と関わっているのだと解説した。
さらに、南山旅遊風情街、開発区盛唐小京都など、ここ数年現地に日本の情緒をテーマとしたストリートが誕生していることも、大連と日本とのつながりの深さを表していると紹介。「大連は日本に最も近い都市であり、歴史的な理由から最も早い時期に外国文化を吸収した場所でもある。それゆえ、大連と日本との間には切っても切れない縁があるのだ」と結んでいる。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)
