【津久井 教生】突然どでかく転んだ…ニャンちゅうの声をつとめた声優が感じた「ALS」への「予兆」
5月23日は「難病の日」。これは2014年5月23日に「難病の患者に対する医療等に関する法律(難病法)」が成立したことを記念して制定されたという。
難病のひとつ「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」を2019年9月に告知されたのが、ニャンちゅうの声を30年つとめた津久井教生さんだ。
津久井さんは2019年にALSの告知を受け、しばらくは奇跡的に声が出るといわれながらニャンちゅうほか、多くの仕事を続けてきた。2022年ニャンちゅう30周年を迎えたのち、2022年の10月に、同じ事務所の羽多野渉さんにニャンちゅうの声をバトンタッチすることを公表。その2ヵ月後に気管切開し、現在は声が出ないながら、視線入力とAI生成の「津久井さんの声」で発信を続けている。
そんな津久井さんが2020年から「FRaUweb」にて続けた連載をベースに、視線入力での書き下ろし原稿を加えた著書が『ALSと笑顔で生きる 声を失った声優の「工夫ファクトリー」』だ。
「ALSになるとはどういうことなのか」「介護される人の本音は」「気管切開や胃ろうをした人の感想」といったことは、なかなか当事者の生の声を聞くことができない。本書はそういう生の声に加え、声優養成所で長く教えてきた津久井さんが「声の出し方」のノウハウも詰め込んだ、実用エッセイでもある。
難病に最初に気づいた「違和感」を、本書より抜粋の上再編集してお届けする。
突然盛大に転んだ
2019年の3月のこと。買ったばかりの長靴タイプのスノーブーツを履いてスタジオに向かっていた時でした。東京・赤坂のちょっとした坂の上にあるスタジオに向かう最中に、車が来たので小走りに道路を渡ろうとしたところ、何もない場所であるにもかかわらずつま先が思ったよりも上がらず、盛大に転んでしまったのです。自分自身でもまったくもって何が起こったのかわからず、車の方もあまりの見事な転びっぷりに窓を開けて「だ……大丈夫ですか?」と声をかけてくれたほどでした。
運動神経と体幹バランスには自信があった私としてはショックを受けた出来事でした。それでもまだ帰宅して妻に「今日、盛大に転んじゃってびっくりしたんだ。でもうまく転んで怪我はなかったんだ」と笑いながら話しました。
しかし、その転倒の数日後、今度は平坦な道の段差で同じように転びかけました。たしかに電車の時間に間に合うようにと少し小走りではあったのですが、普通に考えて転ぶような状況ではない場所です。さすがに「あれっ?」と思いましたが、「今年おろしたばかりのブーツがあわなかったのかな?」くらいにしか考えませんでした。そして、履きなれた靴に履き替えて「転ばないように」という感覚をしっかりと体に刻み付けながら歩き始めたところ、転ぶことはなくなりました。
実は後から知ったのですが、この1連のできごとは運動神経が障害されるALS(筋萎縮性側索硬化症)の顕著な初期症状なのでした。通常ならば新しい靴にすぐに慣れていた運動神経が、靴に慣れるどころか適応しない方向に向かってしまうのです。この「あれっ?」から始まって1年後には「まったく自力で歩けない」状態にまで進行しました。
いまだに原因が解明されていない病気
ALSに罹患したことを公表したのは、告知を受けた翌月の2019年10月でした。しかし、詳しく話せるようになるまで半年ほどかかりました。このALSという難病は、それだけ実態のめない個性豊かな難病なのです。
このときの私は自力歩行ができずに車椅子で生活をし、右手も上にあげることが難しくなりつつあり、握力の低下も進んでいました。ただ、まだ椅子から両手を使って立ち上がることができ、つかまり立ちができる状態を維持していました。さらに奇跡的と言われましたが「声を発する機能が無事」だったのです。そのおかげで、この状態で声優としてのレギュラーのお仕事をさせていただくことができました。現状を見ていただくことも含めてYouTubeに「津久井教生チャンネル」を開設し、言葉を発することを治療の一環としました。
ALSは有名な病気なので、ネットで調べていただければすぐにヒットします。ただ、文献や様々な情報を読んでいくごとに気づくことがあります。それは、「ALSという難病が体にどのような影響を及ぼすのか?」という問いに関しては詳しい記事が多い一方で、「ALSはどのようにして罹患するのか?」「ALSの治療方法はあるのか?」に関してはほとんど文献での説明がなされていないということです。
ネットで調べた場合もほぼ同じです。つまり、いまだに原因が解明されていない病気なのです。この病気の可能性を主治医から告げられ、病気の説明を聞けば聞くほど「暗い気持ち」に傾いてしまいました。
「3年から5年で寝たきりになり死に到る」
「難病に指定されていて治療法が確立していない」
この2本が柱になっていて、あとは他の難病との違いが明記されているだけ……。告知を受けた2019年時点では、日本国内で1万人ほどの患者がいました。その数が少しずつ増加しているのは、発症数の多い年代である高齢者の数が増加しているからであり、新たにALSと認定される人数とお亡くなりになる人数がだいたい同じなのは、人工呼吸器や胃ろうなどの延命の方法が進化してきているためだと思われます。
治療法があれば主治医を筆頭とした病院のドクターたちと、そして家族や仲間たちの力も借りて、完治するために病魔に立ち向かうことができます。しかし残念ながら現代医学の力をもってしても現状ではそれは叶いません。確立した治療法で目的をもって「闘う」ことができない病気、難病なのです。
直前まで元気に走り回っていた
冒頭でご紹介した、ブーツを履いて転んだ日の少し前のことからお話ししましょう。最初に大きな違和感を抱いたのは2019年3月でした。その時私は舞台の朗読劇でアドリブをガンガン発して客席になだれ込むくらいに元気に動いていました。
花粉症でもある私は例年通りに声がハスキーになり「3月の津久井はいないものと思ってくれ!」などと周囲に告知するほどの体調でしたが、舞台が容易にできるくらいに体は動いていたのです。「ど派手に転んだ事件」が起きたのは、その直後のことでした。
ALSは、筋萎縮性側索硬化症という名の通りに、体の筋肉が萎縮して硬化して動かなくなっていきます。先ほど書いたように、「3年から5年の期間を経て」寝たきりになることが通常の症例だと考えると、残念ながら私の進行度合いは早い方だという可能性が高いと思われます。
2回転んだ後は、春になり靴もウォーキングシューズタイプになったことも1因なのか、階段の上り下りの「上り」で若干の疲労感があるものの、転ぶことはなくなりました。ですからこの時点でも「運動不足からくる筋力低下にすぎない」と思っていたのです。この年代にはよくある、「年取ったなぁ〜」と仲間内の共通の笑い話のひとつになるようなことです。それでも歳に比べて若いことを自負する私は、4月から運動能力の低下を防ごうと考えました。
ある部分に感じたはっきりとした「異変」
ところが、腹筋運動や背筋運動、ちょっと負荷のかかったストレッチ運動をしていくうちに、ある部分にはっきりとした異変を感じるようになったのです。それは「太もも」でした。「太ももの運動能力が落ちている」「太ももが上がりにくい」と明らかに思ったのです。特に右足は斜め掛けにしたカバンが体の前に来ると前に歩きにくくなり、大骨から外側にグルンと回して歩くような動作になりました。
太ももが上がらないから外側から回して歩くと言えば想像がつきますでしょうか。この頃になると周囲も「津久井さん、歩き方変ですよね」と気がつくようになりました。明らかに「見た目」でも違和感を抱かせるようになったのです。
愛用の斜め掛けカバンから歩きやすいリュックタイプのカバンに替えて、何とか体の異変に対応していこうとしましたが、この頃を境に日に日に、そして顕著に運動能力の低下が見られ、整形外科を受診することになります。
◇後編「歩きにくくなってさらに…ニャンちゅう声優が振り返る、ALS判明前に感じた「もう一つの異変」」では、もうひとつの「異変」について詳しくお伝えします。
