大学1年時に訪れた介護実習の現場で宇井吉美さんが目の当たりにしたのは、「排泄介助」にまつわる職員や利用者の苦悩と葛藤でした。「おむつを開けずに中を見たい」。介護の切実な願いに応えるために、宇井さんは研究開発に没頭。10年もの歳月をかけて業界初の画期的な製品を生み出します。AIで現場の問題解決に挑んだ介護テック誕生の裏側に迫ります。

【写真】「夜間のおむつ交換回数が35%も減!」介護の現場を救う画期的な商品(5枚目/全8枚)

実習先で見た壮絶な光景と介護職員の葛藤

── センサーが捉えた「におい」「湿度」「温度」のデータから、AIが尿と便を検知する、画期的な製品「ヘルプパッド」を開発した宇井さん。学生時代に介護の現場実習で見た衝撃的な光景が開発に至る原点だそうですね。

宇井さん:中学時代に祖母がうつ病を患った経験から、「介護の負担を減らしたい」と、介護ロボット開発者の道を目指していました。大学の工学部に進学し、1年時に介護現場に実習に行ったのですが、そこで目の当たりにした光景があまりに衝撃的で。介護職員の方が2人がかりで利用者さんを押さえながら、お腹を手で強く押すんです。利用者さんは「ううううっ」とうめき声をあげ、抵抗しているのに、いっこうに手を緩めません。あまりに突然のことに、何が起きているのかすらわかりませんでした。

思わず泣きながら「ご本人が望んでいることですか!?」と尋ねたところ、「わからない…」と、思いがけない答えにさらにとまどいました。ただ、その後に職員さんから詳しい事情を聞き、自分の浅はかさを恥じることになります。私が目にした行動の背景には、「施設にいる間になんとか排便させてほしい」という、ご家族からの切実な願いがあったんです。

── 介護職員の方は施設にいる間に利用者の排便を促そうとしていたんですね。

宇井さん:はい。排泄は毎日のことで、自宅での排泄介助は介護する側もされる側も、心身ともに大きな負担がかかります。だからこそ、介護職員の方は対応策を検討し、ご家族も含めてケアをするために利用者さんに下剤を飲ませ、お腹を押して排便を促していたんです。

ただ、ご家族の切実な願いに応えようとするいっぽうで、利用者さんが望んでいるかわからないという迷いも抱えることに。重たい葛藤を背負いながら現場に立ち続けている介護職員の方の話を伺い、答えのない問いに立ち向かう姿にリスペクトが瞬時に湧き上がりました。

「排泄介助」現場からあがった意外な悩みは

── さらに、現場の職員の方に「排泄介助」の課題についてヒアリングをされたそうですね?

宇井さん:職員の方のためにも、介護現場で大きな問題となる「排泄介助」をテクノロジーでどうにか解決したいという思いから、実習の終礼後に、現場で一番解決したい課題を聞いてみたんです。すると返ってきた答えは「おむつを開けずに中が見たい」という、切なる願いでした。

介護ロボット開発者を志し、千葉工業大学へ進学。在学中に起業した

── その言葉には、どんな真意があるのでしょうか?

宇井さん:便や尿が出ているのにおむつの確認が遅れると、利用者さんは不快な気持ちを長く抱えるうえ、万が一ベッドなどに漏れてしまうと介護職員さんは後始末が大変です。だからと言って、こまめにおむつを確認するのは、利用者さんの尊厳にも関わりますし、寝ているのを起こしてしまったり、冬場なら寒い思いをさせることにも。現場ではそのことに頭を悩ませていたんです。

「この問題が解決できれば、介護する側、される側の負担は大幅に軽減される」。その事実を知った私は、排泄センサーの開発に取り組みました。その後、製品化をするために大学4年のときに起業、そして2019年、においで排泄がわかるヘルプパッドの製品化を実現したんです。

ヘルプパッドはベッドに敷くシート型の排泄センサーです。AIが尿や便のにおいや温度、湿度などから排便を検知し、介護者のスマホやパソコンに通知します。それを受けて、最適なタイミングのおむつ交換を可能とするわけです。

週末は介護職員として働き、開発に10年の月日が

── 大学4年時に起業し、製品化に至るまで10年を超える年月がかかっています。その間、どのような試行錯誤があったのですか?

宇井さん:大学卒業後、現場をより深く知るために、週末は介護職員として働くことにしました。ただ、まず感じたのが「排泄センサーって、本当に必要なのかなあ…」という不安です。介護現場の課題は多様で、単純に排泄のにおいを検知して知らせるだけでは需要は望めないのではないかと思ったんです。たとえば、排泄のタイミングだけでなく、排泄のリズム(周期)を知りたいなど、現場ごとに求める情報が違っていて。

でも、しばらくして考えを改めました。介護現場の課題が多様であれば、提供する排泄センサーもそれに対応した使い方ができるように、現場の悩みに即した形でブラッシュアップすればいいんだと思ったんです。そこで、最適なおむつ交換のタイミングを通知するほか、利用者さんの排泄データを蓄積して、パターンを自動でグラフ化するなど、機能性を高めていきました。

また、当初は介護現場で排泄センサーの価値を見出せていなかったんですけど、人手不足になるにしたがい状況が変わっていって。猫の手も借りたいほど忙しい現場で、ニーズがさらに高まっていきました。

介護にまつわる願いごとをテクノロジーなどで叶えるイベントを毎年実施している

── 製品リリース後の施設導入状況、現場での反響は?

宇井さん:ヘルプパッドは現在、全国40以上の都道府県の介護施設、病院に導入されています。反響としては、ある施設の例でいえば、ヘルプパッドの導入により1週間あたりの夜間のおむつ交換回数が35%減となり、空振りは107回から11回と約90%減少、漏れは14回から2回へと86%減少となりました。こうした大幅な業務改善や、排泄ケア課題の解決につながったという声をいただきます。

病気の早期発見につながる商品を開発したい

── 今後の新たな取り組みは?

宇井さん:排泄のにおいの変化を捉える製品を開発したいと考えています。便や尿のにおいは体調によって変わり、何らかの病気に関連するケースも少なくありません。そうした知見をAI技術で実装し、病気の早期発見につなげられたら、利用者さんの健康管理に有効といえるでしょう。

また現在、ヘルプパッドの利用は介護施設や病院に限られていますが、将来的には在宅介護の現場にも広めていきたいです。介護のあり方をテクノロジーでアップデートし、介護者・利用者にとってよりよい社会を実現することを目指しています。

取材・文:百瀬康司 写真:株式会社aba