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死刑判決が確定し未執行の死刑囚は、2026年4月8日時点で101人となっています。事件関係の取材や執筆を行うノンフィクションライター・片岡健さんは、面会や手紙で多くの死刑囚を取材し、その素顔に迫ってきました。今回は、片岡さんの著書『実録 死刑囚26人の素顔』より一部を抜粋して、死刑囚の素顔をお届けします。

【写真】上田美由紀死刑囚から届いた手紙。手紙を送り届けてくる頻度が凄かった

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「西の毒婦」美由紀

上田美由紀がその存在を社会に知られたのは、2009年の秋頃だった。いわゆる「首都圏連続不審死事件」の犯人とされる木嶋佳苗と共にメディアで「東西の毒婦」と騒ぎ立てられたことによる。この時点ですでに詐欺の容疑で逮捕され獄中の身であった。

当時の報道では、「西の毒婦」美由紀の周辺では6人の男が、「東の毒婦」佳苗の周辺では4人の男がそれぞれ不審な死を遂げており、美由紀、佳苗共に死んだ男たちから多額の金品を受け取っていたと伝えられた。二人は年齢も美由紀が当時35歳、佳苗は当時34歳と一つしか違わず、ともに肥満体型であり、何かと似たところが多かった。

もっとも、二人は生活スタイルが対照的だった。

未婚の佳苗が都心の高層マンションで一人で暮らし、日々の贅沢な食事をブログで公開していたのに対し、2回の結婚歴があった美由紀は5人の子供がいるシングルマザーで、鳥取市でスナックのホステスや取り込み詐欺をして生きていた。美由紀が子供らと暮らしていた長屋風のアパートもゴミ屋敷化しており、佳苗以上に「なぜ、不審死した男たちから多額の金品を受け取れたのか……」という疑問を強く感じさせる女だった。

私のこと、怖いですか?

私は2013年9月4日、そんな美由紀と松江刑務所の面会室で初めて向かい合った。美由紀は、不審死した男6人のうち、2人を債務の返済を免れるために殺したとして立件され、前年12月に第一審・鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けていた。一貫して冤罪を訴えていた美由紀は、これを不服として広島高裁松江支部に控訴しており、私は本人に事件の真相を聞いてみたいと思って取材に訪れたのだ。

その日、美由紀はグレーのトレーナーに、ジャージのハーフパンツという姿で面会室に現れた。報道の写真では、巨躯の怪人物のように見えた美由紀だが、実際は太ってはいるもの、身長が150センチもないほど小柄で、化粧をしていない素顔は地味だった。アクリル板越しに美由紀は、おどおどしながらこう問いかけてきた。


『実録 死刑囚26人の素顔』(著:片岡健/宝島社)

「私のこと、怖いですか? 私が人に暴力をふるうように見えますか?」

この問いかけは、美由紀が暴力的な人物だという報道があったことを意識してのものだと思った。私が率直に、「上田さんは、人に暴力をふるうようには見えませんね」と告げると、美由紀は得心したような笑みを浮かべ、こう言った。

「私のことを一度にすべては知ってもらえないと思いますが、一つ一つ知って欲しいです」

私はこうして美由紀と面会や文通を重ねるようになった。

印象的だったこと

取材を始めた当初に印象的だったのは、美由紀が人をよく褒めていたことだ。

たとえば、捜査段階と裁判員裁判の国選弁護人を務めた鳥取の弁護士たちについて、美由紀は「逮捕された時から何百回も面会に来てくれ、今も感謝しています」と言ったり、松江刑務所の刑務官たちについて、「収容者一人一人の話をしっかり聞いて対応してくれるんです」と言ったりした。

さらに美由紀は私のこともよく持ち上げた。私は最初に手紙で美由紀に取材を申し込んだ際、過去に雑誌に書いた事件関係の記事をコピーし、同封していたのだが、美由紀は手紙に「片岡さんの記事は何度読んでも、心にどっしりきます」と書いてきたり、面会中に「片岡さんと出会えて本当によかったです」と何度も口にしたりした。

ここまで過剰な褒め言葉は嘘くさくもあるが、褒められて悪い気はしないものだ。不審死した男性たちに対しても美由紀はこうやって心に入り込んだのだろうと思った。裁判では、美由紀は、交際相手の男・安東儀導(逮捕時46)と共謀して取り込み詐欺を繰り返したほか、2人の男性を殺害したと認定されていた。

特別な存在

美由紀は面会中、私のことを他の記者と違う特別な存在だと認識しているかのような話を繰り返した。たとえば、次のように。

「私の友人たちは、私に関する報道が嘘ばかりなので、片岡さんに本当のことを話したいと言っています」

「片岡さんが鳥取に取材に行く際は、友人の家に泊まってもらうつもりです」

「母も片岡さんに会いたいそうです。私も片岡さんには子供たちに会って欲しいです」

結局、これらの話は一つも実現しなかった。要するに嘘なのだ。とくに友人については、連絡先を聞いても、はぐらかして教えようとせず、実在するかも疑わしかった。

木嶋佳苗に激怒し、筆者にも八つ当たり

もう一つ印象的だったのは美由紀が「東の毒婦」こと木嶋佳苗について、何かと動向を気にしていたことだ。佳苗が自分と同じように冤罪を主張しながら死刑判決を受けたことについて、心配するようなことを言ったり、佳苗が裁判中の服装や体型を揶揄される報道があると、「容姿のことを悪く言う報道は酷いです」と怒ったりもした。

だが、ある時、事態は一変した。佳苗が支援者の協力を得て開設したブログ『木嶋佳苗の拘置所日記』で美由紀のことを揶揄するようなことを書いたのがきっかけだ。

それ以来、美由紀は私宛ての手紙に、「私は詐欺をしたのを反省していますが、木嶋さんはしていません」「あんな人と比べられたくありません」などと狂ったように佳苗への批判を書いてきた。さらに私にも八つ当たりしてきたから驚いた。

「私の情報を木嶋さんに流すのはやめてください!」

美由紀は、私が佳苗と裏でつながり、自分を貶めているのではないかと疑ったようだった。私は佳苗と話したことすら一度もなく、そのような疑いをかけられるようなことも一切していなかった。美由紀は自分がよく嘘をつくのに、猜疑心が異常に強かった。

周辺では不審死だけでなく、不審火も続発していた

私は2年ほど美由紀と面会や文通をしたが、最後は付き合い続けるのが難しくなり、取材は辞めさせてもらった。その後、鳥取に取材に行き、驚いたことがあった。

美由紀の裁判では、被害者である矢部和実さんが自宅で美由紀と食事した際に眠り込み、美由紀の帰宅後に室内でボヤが発生したことがあったと判明していた。実は他にも2件、美由紀の周辺で火災があったのだ。1件目は2001年11月、美由紀が最初の結婚相手と暮らしていた県営住宅で隣人の部屋が全焼したという事案。もう1件は2009年6月、美由紀と共に取り込み詐欺をしていた安東の実家の2階建ての土蔵が全焼したという事案だ。

地元の人はすべて美由紀の犯行を疑っていたが、真相は不明だ。ただ、矢部さん宅のボヤ騒ぎも含め、美由紀の周辺で不審な火災が3件あったわけで、あまりに不気味だ。

この美由紀の人格はいかに形成されたのか。謎を解くカギは成育歴ではないかと私は思っていた。美由紀は両親から愛情を注がれて育ったと言いながら、その具体的エピソードを一切語らなかったからだ。真相を解明するまでは取材が及ばず、心残りだ。

※本稿は、『実録 死刑囚26人の素顔』(宝島社)の一部を再編集したものです。