“怪物・江川卓”原点は天竜川での「石投げ」 卓越した身体能力「ピッチャーやりたいわけじゃなかった」
プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績・伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!
作新学院で2回の完全試合を含むノーヒットノーラン12回。
高校時代から数々の伝説を残し“怪物”と呼ばれたレジェンド・江川卓。
少年時代から作新学院、甲子園までの伝説を本人の言葉で回顧する。
レジェンドたちが恐れたレジェンド・江川卓
徳光和夫:
プロ野球レジェン堂でございます。
きょうのゲストは、私はもちろんなんですけど、遠藤さんも本当に楽しみにしておりましたゲストで、またどういうふうに紹介していいのかわからないというほどですね、いろんな逸話がございます。
このレジェンドにお出になりました多くの人たちが、「これほどの投手はいない」と言い切ったそんな人物でございます。
一番名前が出てきた人でございます。
あらためてご紹介します。
レジェンドたちが恐れたレジェンド・江川卓さんです。よろしくどうぞ。
遠藤玲子(フジテレビアナウンサー):
お願いいたします。
徳光:
ありがとうございます。
[ 江川卓(70)1978年阪神ドラフト1位:
作新学院で「センバツ60奪三振」「ノーヒットノーラン12回」を記録した“怪物”。「江川騒動」を経て巨人入り。最多勝2回、プロ9年間で通算135勝 ]
江川卓:
過分なご紹介ありがとうございます。
徳光:
本当にこんな紹介でよろしいですかね。
江川:
最近そんなこと言われたことがないので。
徳光:
そんなことないですよ。
江川:
静かに暮らしておりますので。
徳光:
そうだよね。
遠藤さんもあれですか。名刺の交換…。
遠藤:
はじめましてですし、今私この場にいるんですけど、テレビを見ている感じです。
徳光さんと江川さんを…視聴者になってしまう気分というか。
ずっと見てたんですよ。『THEサンデー』をずっと見ていて、もちろんジャイアンツファンなので、日曜日は絶対『THEサンデー』だったんですけど。
[ 『THEサンデー』(日本テレビ系列・1999年〜2004年):
ジャイアンツをめぐる「江川 vs 徳光 激論バトル」が人気だった情報番組。年に数回かかってくる長嶋茂雄監督からの「生電話」も話題に ]
長嶋監督退任の時の電話、生電話の回も、リアルタイムで学生時代見てたんですよ。
[ 2001年9月30日
勇退する長嶋監督にとって東京ドームでの最後の試合当日の朝。番組に長嶋監督からの“生電話”が入り、徳光は感極まり号泣した ]
徳光:
あの時。
遠藤:
見てました。
徳光:
「長嶋さん、お電話ください」って。「江川さん、こんなこと言ってますけど、長嶋さんお電話ください」って言ってたんですよ。
江川:
本当にかかってきたんですよね。
われわれ知らなくて、あとで調べたんですけど、(日本テレビの)代表番号にかけたらしいですよ。
遠藤:
そうなんですか。
江川:
日本テレビの代表番号とかあるじゃないですか。出てるんですよね。
あわてて本当かどうかってことを調べたら、本物らしいっていうんで、スタジオにつなげたんですよね。
徳光:
そうなんです。その間にひとつ交換手に聞いたんですよ。
江川:
聞いたんですか、本当に。
徳光:
交換手に「長嶋さんから電話かかってきて、どうしてすぐにつないでくれなかったの?」って言ったら、「どちらの長嶋さんですか?」って言ったら、「田園調布の長嶋です」って言ったって。
江川:
言ったんですか。
徳光:
それで怪しい人物だと思っちゃったらしいですよ。
江川:
普段が怪しいですからね。
徳光:
「巨人軍の長嶋」って言えば、すぐにスタジオにつないだのに。
江川:
そうかそう。
あの当時は場所を言うのが、すごいステータスだった。
だから川上(哲治)さんだったら、野沢でした。
徳光:
そうだ、「野沢のおやじ」とかね。
江川:
野沢って言ったら川上さんで、田園調布って言ったら長嶋さんだった。
遠藤:
お二人ずっと番組ご一緒されてて、こうやってあらためてインタビューじゃないですけども、こうやってお話しする番組…。
江川:
インタビューはないですよね。なかったですよね。
徳光:
長年ぶりだもんね。
江川:
ないですね。
遠藤:
江川さんをこうやって、テレビでゆっくり江川さんがお話しされる、ご自身のことをっていう番組自体、ちょっとあまり私も拝見したことないんですけど。
江川:
そうですね。過去がいろいろあったもんですから、あんまり…。
出るとそういうことの話になるじゃないですか。きょうはたぶんないと思いますけど。
【天竜川で石投げ遊び 小学5年で100メートル先の対岸へ伝説】
徳光:
福島県の生まれなんですってね?
江川:
福島のいわきというところ、昔は平市というのがありました。
[ 1955年 福島県平市(現いわき市)生まれ ]
徳光:
磐越東線の終点駅で。
江川:
そこの生まれで、4歳までしかいなかったんですけどね。
徳光:
お父さんはでしたっけ、鉱山関係のお仕事。
江川:
鉱山の技師というか、やぐらを組む技師だったんですよね。
徳光:
そうですか。
江川:
それでいろいろ転勤で動きまして、4歳から静岡に移りまして、中学校2年までは静岡に。
徳光:
静岡で野球を覚えたの?
江川:
そうですね。野球部入ったのは中学ですね。
山の中でしたから、小学校はソフトボールしかなくて。
ソフトボールは長嶋さんに憧れてサードをやってましたけども、中学に野球部があったので、中学になってから野球部に入るということになりますね。
徳光:
小学校時代はサードだったんですか?
江川:
サードで4番です。
徳光:
やっぱり背番号3つけて。初めて憧れた野球選手は長嶋さんだったんですか?
江川。
はい。
徳光:
そうですか。
江川:
ピッチャーやる気は全然なかったんですけど。
徳光:
ピッチャーで憧れの人はいなかったんですか?
江川:
先輩全員ですけど、一応いないということにしております。
徳光:
お父さんは大変慧眼(けいがん)だなと思ったんですけど、つまり例えば、鉱山技師にするとか、そういうことではなくて野球選手にしたいっていう。
江川:
そうですね。母親の方の兄弟が、今でいう「都市対抗野球」みたいなのに出てたんですね。
徳光:
そうですか。
江川:
それで母親と結婚をして、(父親が)そういう母親の兄弟を見てたので、息子をたぶん野球選手にしようと思ったらしいです。
徳光:
お父さん、野球経験はないんですか?
江川:
ないんです。野球大好きで見に行ってたらしいですけど、経験なしですね。
徳光:
お父さんから最初指導を受けたんですか?
江川:
指導はほとんど受けてないですよ。
徳光:
野球らしきものの“初め”は何ですか?
江川:
初めは石投げなんですよね。山の中なので(川幅)100メートルぐらいの川、天竜川って川があるんですよ。
徳光:
天竜川。
江川:
向こうは誰もいないですよ。時々秋になるとサルが出てくるぐらいの場所なので。
その向こう岸に誰もいないところに石を毎日こう。小学生くらいからバスで通学してましたから、バスで帰ってきて、家に帰る前に石を投げるっていうのが。
徳光:
日課みたいな。
江川:
日課だったんですよ、雨の日以外は。
で、毎日投げて少しずつ距離が伸びていくじゃないですか、1年生、2年生、3年生って。
5年生の時に、向こう岸にバーンッと着いたんですよ。
だから肩がこれでできて、たぶん100メートルぐらい、本当にあるんですよ。
徳光:
ありますよね。
江川:
でもね、100メートル石投げるって、みんな信じないんですよ。
徳光:
信じないね。
江川:
でも本当なんですけど、いまだに誰も信じていない。
平たい石で風に乗せられる石があるんですよ。
それを風に乗せて向こうの石に投げるっていうのを毎日やってたので。
徳光:
石を水面に、何度もポンポンとんじゃないんだ。上からですから、石を上、平たい石を。
江川:
はい。風に乗せる。
徳光:
平たい石を選んで。面白いね。
遠藤:
あれですか、その形、その方が回転とか、何かその後につながって…。
江川:
回転はさせないんです。平たい石をこう投げて風に乗せて飛ばすっていう。
徳光:
みんな懸命になって、向こう岸に届くように投げてたわけだ。
江川:
ほかにやってた人いないんですよ。
徳光:
えっ、1人で?
江川:
1人で。
徳光:
そのころから1人だった?
江川:
今も1人ですけど。
そのころから1人で、家に上がる前に。
だって学校が、バスで帰ってくると、みんな一緒のところにいる人とは違う時間に帰ってくるから。だから1人なんですよ。
[ 江川の家は山の中で生徒の多い学校へ越境してバスで通っていた ]
だからその時から、あんまり友達できなかったっていうのは、僕が作らなかったとかそういう話じゃなくて、時間がずれてたんですよ。性格の問題じゃないんですけど。
のちのち性格がそうだって言われてしまうっていう。
徳光:
いや、私は言ってませんよ。
それは野球選手になろうと思って投げてたの、石を?
江川:
いや全然。距離が伸びていくのが楽しいだけですね。
のちのちですね。だからその風の乗せ方が、ボールの回転が普通の人よりいいということになっていくんですけど、その時やってる時はそう思ってないです。
「プロ野球選手になる」と思ってないですから。
徳光:
当時は?
江川:
憧れがありましたけど、もう山の中ですから、プロ野球選手なんかどこ見てもいないんですよ。
1人もいませんから。なれるなんて思ってないですね。
徳光:
でね、江川さん投げるのはよくわかります.
ただ足が速かったんですよね、子ども時代ね。
江川:
はい。まずまず。
体育でソフトボール投げという競技があるんですよ。
5年生と6年生の大会があるわけですね。
たまたま3年生で投げちゃったら、5年生より記録が伸びちゃったんですよね。
3年生の時に大会出ようとしたら、学校側がやっぱり低学年の人が高学年を超えるのはよくないということになった。なったらしいです。なって出れなかったですよ。
徳光:
分かるな、でもそれは。
江川:
教育上そういうことですよね。
4年生になった時に、「去年出れなかったから出してみよう」っていうんで、5年生の大会に4年生で初めて出たわけですね。
そしたら5年生の記録抜いちゃったんですよ。それでこれはまずいと。
徳光:
教育上。
江川:
うん。教育上まずいですよね。あんまりにもいっちゃってるんで。
だからもうこれ、5年生になったらソフトボール投げはダメだと言って、幅跳びに変えてくださいって言われたんですよ。
で、幅跳び跳んだら、5年生の記録があったやつを抜いたんですよ。
5年、6年は僕幅跳びなんですよ。ボール投げ出てないんですね。
徳光:
幅跳びはだって、足が速くないとダメですよね。
江川:
速くてバネないとダメなので、それがなんとなく、結構足速かったんだなって証明になるという感じですね。
徳光:
それ遺伝ですか?
それともやっぱり河原での石投げが良かったのかな。走ってって投げるとか。
江川:
それは大きいと思いますね。石投げと、あと鉱山なので段々で家があるんですよ。
家があるまでに100段ぐらい階段上がるので、そこ2〜3段ぐらい飛び越えて上がってきましたから。
それで足腰もたぶん強くなっていったんだと思います。
徳光:
じゃあ自然児なんだ。
江川:
自然ですね。
遠藤:
体はでも、もともと大きかったんですか?
江川:
大きい方ですね。一番後ろでしたから。
前から並んでいくと一番後ろだったので。
[ 現役時代は身長183cm・体重90kg ]
徳光:
ご両親も大きくてらっしゃるんですか?
江川:
父が168cmで母が158cmですから、そんな大きくないです。
【栃木の中学に転校 いきなりノーヒットノーラン伝説】
遠藤:
ピッチャーを始めたのはいつ?
江川:
中学の2年生ですね。
最初肩いいんで、外野をやらされたんですよ。
レフトだったんですよ。肩がいいからレフトやれって。
それでたまたま(ピッチャーの)先輩がいたんですけど、ちょっとピンチになった時に、肩いいからレフトからリリーフしたんですね。
そしたらなんか、2イニングぐらい抑えちゃったんですね。
そこからピッチャーやったらってことになったんですね。
偶然です、だから。
徳光:
そうですか。
そこでピッチャーという存在感を示しながら、転校するわけですよね。
[ 中学2年生から3年生になる直前に静岡の佐久間中から栃木の小山中に転校 ]
江川:
父親は転校するって言って。僕は残るって言ったんですけど、ダメだっていうことで。
友達の家に残りたいって言ったんですけど。
徳光:
野球続けたくて?
江川:
友達と一緒に卒業したかったんで。3年生の大会も出たかったんで、残りたいって言ったんですけど、父はダメだということで栃木に転校します。
徳光:
お父さん絶対なんですか?
江川:
絶対でしたね。怖かったですから。
徳光:
栃木はいきなりピッチャーやったわけですか。
野球部入ったんでしょ?
江川:
野球部入りまして、もちろんエースの子がいたんですけど、僕は転校していったので「両方一緒にマウンドで投げてみろ」ということになって、一緒に投げたら僕がピッチャーやることになりまして、その栃木の大会で優勝しちゃったんですね。
優勝しちゃったので、いろんな周りの高校から誘いが来るってことになるんですね。
[ 中学3年時の成績
7月 栃木県中体連大会 優勝、8月 栃木県少年野球大会 準優勝。
2大会の中で2試合ノーヒットノーラン ]
徳光:
江川さんの投げ方って、石投げで上から投げてたって言ってましたけど、中学時代も同じようなフォームだったんですか?
江川:
同じです。ちょっと(最初は)スリークォーターでしたけども、それがピッチャー寄りになって、少しオーバースローというか、上に上がってきたと思いますね。
徳光:
中学時代にある程度、自分の中では完成したなという感じはあったんですか?
江川:
完成したというか、ノーヒットノーランとかやっちゃったので、中学校の時に。
だからたぶん完成したなって周りは思ってたんじゃないでしょうか。
僕は別にピッチャーやりたくないわけじゃないので。サードやりたいので。
徳光:
そうだった。そのころもまだサードやりたかった。
江川:
長嶋さんに憧れてましたから、別にピッチャーはやりたくないので。
ただ、やって投げたら完全試合みたいになっちゃった。
徳光:
自分の本意とは違う道に、どんどん野球人としては進んでいくことになるんですね。
江川:
おっしゃる通りです。
徳光:
でも、「サード・江川」も見たかった。どうなったんでしょうね。
バッティング良かったからね。
遠藤:
足も速くて。
徳光:
足も速くて。
「小山中に江川」ありですよ。
なんだっけ、両毛新聞か何かに出ましたよね。
最初に出たのは、怪童・江川少年だったか、卓少年だったか。
江川:
正しくは「超高校級」っていう。
なんでこんなことを僕が覚えてるんですか。昔のことはよく覚えてるもんですよね。
初めて新聞に載った時、うれしかったですね。「あ、新聞載った」と思って。
遠藤:
静岡に残ってたら違ってましたか?
江川:
静岡残ってたら…。静岡ってすごく、西部・中部・東部って、3つの地区に分かれていて。
西部大会って出るのも大変だったんですよ。
まだ学校ができて10年ぐらいでしたから、残ってたらその県大会まで行けたかどうか分からないですね。
徳光:
選ぶ高校も違ってたよね。静岡にいましたらね。
静岡も名門校多いですしね。
江川:
そうですね。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年4月14日放送より)
