結婚してよかった、オレみたいな幸せな男は世の中にいないんじゃないか……そう思った矢先の出来事だった

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【前後編の前編/後編を読む】妻を尾行し、目撃した光景に浮気を“確信”…それでも追求しない47歳夫が始めた「ピュアすぎる恋」

 世間は意外と広いので、自分の価値観からはとうてい理解できないような生活を送っている人もいる。

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「うちの妻はすごいですよ。僕の母親と同居しながら仕事もしていて家事も万端。しかも不倫までしている。最初は衝撃を受けたけど、今はそんな妻が幸せを感じる時間があるなら、それもいいかと思うようになりました」

 半分、苦笑ともいえる笑みを浮かべながら、吉長剛司さん(47歳・仮名=以下同)はそう言った。剛司さんが結婚したのは29歳のときだ。相手は2歳年下の芽依さんで、友人の紹介で知り合い、1年ほどつきあって結婚した。

結婚してよかった、オレみたいな幸せな男は世の中にいないんじゃないか……そう思った矢先の出来事だった

「僕も妻もごく普通の家庭に育ったので、自分たちもごく普通の家庭を作ることになるんだろうと思っていました。僕は仕事で忙殺されていたので、実際には妻の負担が大きかったかもしれないけど、子育てをしながらも妻は淡々と自分の次のステージを狙っていたらしいです」

とつぜん「起業」した妻

 年子で男女の子どもが生まれたので、妻はいったん退職したが、子育て中にいろいろな勉強をしていたという。もっともそれを剛司さんが知ったのは6年後、妻が「起業するつもり」と言いだしたときだ。

「妻は一般事務をしていた女性なので、いったい何の仕事を始めるんだと思ったら、美容関係でした。そういえば妻は美容オタクみたいなところがあったので、好きが高じて探究心がわいていったんでしょう。そうはいっても、起業なんてそううまくいくものではないと諭したこともありました。でも妻は『あなたに迷惑はかけないから』って。せっかく会社員時代に貯めたお金なんだから損しないようにねと言った記憶はあります」

 ところが妻にどういうツテがあったのか、あるいはどんな才能があったのかわからないが、2年後に起業すると徐々に会社は成長していった。3年たったころにはスタッフが3人に増えており、事業も広がっていったらしい。

「僕は内容をよく知らないんですよ。そのあたりは妻も詳しくは話さないし、僕も聞いてもわからないし。ただ、妻も仕事が忙しくなって、小学生の子どもたちに影響があるのではないかと、それだけが心配でした」

北陸の母を呼び寄せて…

 そんなとき、妻がにこにこしながら剛司さんに相談をもちかけた。あなたのおかあさんと同居するのはどうかなと。

「当時、母は故郷の北陸でひとり暮らしでした。父は僕が大学を卒業してすぐに病気で亡くなって。母も仕事をしていたのですが、定年まで勤め上げて、そのころは趣味を生かしつつ地域の友人たちと楽しく暮らしていたんです。だから『母はあの土地が大好きだから、来ないだろうなあ』と言ったら、『え、大丈夫よ。来てくれるって言ってた』と。なんと先回りして母の了解をとりつけていたんです。妻が、実は仕事ができる人なんだなというのは、そういうときにわかりました」

 ただし、母には母の条件があった。ずっと東京にいるとたぶん疲れるから、本当に終の棲家だと思えるまでは行ったり来たりの生活をしたいというものだった。芽依さんはもちろんそれを了承し、母は東京近郊の剛司さんの自宅へと越してきた。

「母は柔軟なタイプなんでしょうね。越してくるやいなや近所に友だちを作り、自分の趣味の教室を開いてしまった。細々と教えているうちに地域のサークルから声をかけられて講師になって。妻は早起きして食事の下ごしらえをして出社、母が夕方からそれを調理して子どもたちに食べさせる。妻もなるべく早く帰って一緒に食卓を囲むという習慣ができていきました。僕だけは出張や残業が多かったから、なかなか平日は一緒に食事をとれなかったけど」

「オレみたいな幸せな男は世の中にいない」

 芽依さんと母の間に特に問題が起こることはなかった。ふたりとも「仕事の延長線上」で嫁姑に起こりがちなできごとを回避していたのだろう。芽依さんはよく母の好物を買ってきたし、母は素直に喜んでいた。

「家庭に問題があるという友人知人の話を聞くにつれ、うちは何もないなあ、芽依と母が賢いからだろうなと思っていました。僕は何もすることがなかった。代わりに週末は子どもたちのめんどうを見ました。とはいえ、遊んでもらっているのはこっちだったような気がするけど」

 小学校も中学年になると、子どもたちは友だちと遊ぶほうが楽しくなる。剛司さんは率先して、自分の子とその友だちも連れて遊びに出た。遊園地へ行ったりキャンプをしたりしながら、近所のパパ友とも交流をもった。

「新興住宅地だったこともあって、越してきた時期も収入も似たり寄ったりの人たちが多かった。子どもたちの年齢もあまり離れてなくて、そのせいか親たちも仲が良かったんです。地域のコミュニティがおもしろいなと思ったのは初めてでした」

 家族同士で旅行に行ったこともある。3家族でドライブをしたこともあった。子どもたちが成長し、中には私立の中学へ行く子もいたが、それでも親たちのつきあいは変わりなかった。べったりとつきあうわけではないが、道でパパ友に会うと、「そろそろ釣りにでも行きたい季節ですね」「そうですね、〜〜さんにも声かけてみましょうか」と話が盛り上がり、その場で電話をかけたりメールやSNSで連絡をとったりして、計画が実現していく。

「誰かが何かやりたいことに他人を巻き込んで、みんな楽しくという感じでした。これは仕事にも使えるなと思って、仕事のやり方としてそういう方法を取り入れたこともあります」

 4年前、息子が中学校に入学、夫婦はホッと一息ついた。もちろん、まだまだ学費もかかるし、子どもたちのメンタルにも注意が必要だけれど、「とりあえずここまで大きくなったことがうれしかった」と剛司さんは言う。

「70代に入った母も元気そのものだったし、無事でいることのありがたさを日々、痛感していました。息子の入学祝いと称して家族で、少しだけ豪華な中華料理を食べに行きました。本当は母と僕ら夫婦が、自分たちへのお祝いをしたかったんだと思う」

 改めて家族が愛おしかったし、芽依さんにはどんなに感謝してもしたりない気持ちだった。彼女はほとんど物欲のない女性なのだが、何かプレゼントしたいと言うと、シンプルなプラチナのベビーリングがほしいと答えが返ってきた。結婚指輪はしたくないが、小指におしゃれにつけたいのだという。

「一緒に指輪を買いに行って、久々に休日の午後、ケーキとコーヒーでティータイムを楽しんで……。たまにこういうのんびりした時間もいいよねと笑い合いました。芽依と結婚してよかった。心からそう言ったら『私もよ』って。オレみたいな幸せな男は世の中にいないんじゃないかとさえ思っていた」

おたくのおくさんうわきしてるよ

 その数日後だった。彼が仕事で深夜近い時間に帰宅し、郵便受けを覗くと、真っ白な封筒が入っていた。開けてみると、「おたくのおくさんうわきしてるよ」とすべて平仮名で印刷された文字が目に飛び込んできた。

「1行で書かれていたので、二度見しちゃいました。うわきって浮気かとわかったとき、背筋が寒くなった。どういうことなのだろう。あんなにいい妻が浮気なんかするはずもない。近所の誰かがやっかんで書いたのか。しかし、近所とはとても仲よくしてきたから、にわかには信じられない……。手紙を見つめたまま、しばらく呆然としていました」

 周りを見渡しても誰もいない。だが、この状況を誰かがこっそり見ているかもしれない。動揺せずに家に入ろう。そう思ったのを記憶していると剛司さんは言った。

 ***

 一通の手紙をきっかけに、剛司さんの穏やかな家庭生活には暗い影が差し始めた。妻に疑念を抱いた彼は、その後どう動いたのか。【記事後編】で詳しく紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部