スポニチ

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 日米7球団でプレーし、通算112勝139セーブをマークした斎藤隆氏(56)が17日に放送されたBSフジ「プロ野球 レジェン堂」(火曜後10・00)にゲスト出演。「人生を変えてもらった」恩師について語った。

 東北福祉大2年の秋に野手から投手に転向。わずか2年後の1991年ドラフトで大洋(現DeNA)と中日から1位指名を受け、抽選の末に“大洋最後のドラ1”としてプロ入りした斎藤氏。5年目の1996年には206三振を奪ってセ・リーグ最多奪三振のタイトルを獲得した。

 だが、同年シーズンオフの契約更改交渉では球団から「それは関係ない」と評価には反映されず、ガッカリ。この年にはプロ初の2桁勝利(10勝)も達成したが、同時に10敗しており、この10敗が「どうしてもね、ありましたね」と苦笑いで振り返った。

 その1996年に5位だったチームは翌年の1997年に2位躍進。しかし、斎藤氏は右肘手術を受けて1軍登板なしに終わり、躍動するチームメートたちの様子を病院から複雑な思いで見守ることになった。

 迎えた運命の1998年、チームは38年ぶりのセ・リーグ優勝&日本一を達成。1998年10月8日の阪神戦(甲子園)でセ制覇が決まった際に先発投手を務めたのが前年登板ゼロの斎藤だった。

 「みんな忘れてるんですけどね。最後、佐々木(主浩)さんと谷繁(元信)が抱き合う。あのシーンは皆さん覚えてると思うんですけど、先発ピッチャー誰か忘れてる。私です」

 そう言って懐かしそうに笑みを浮かべるが、実はこの試合で当初先発予定だったのは別の投手。だが、当日の朝、宿舎の部屋をコンコンと叩かれ、ドアを開けてみると権藤博監督の姿があった。

 現在87歳の権藤氏は1997年にバッテリーチーフコーチとして横浜入り。1998年に監督就任1年目でチームを優勝&日本一に導いたが、「今まではコーナーを突いて投げながら出し入れするのがピッチングだと思ってたんですけど、権藤さんは初めて僕に“ゾーンに投げろ”って教えてくれた。“とにかくストライク投げろ”と。“バッターが打つかどうかは誰も分からないんだから行け!”っていう。あれはもう目からうろこというか。それをやると結果が出るんですよ。マジックですよ。僕に言わせたら権藤マジックです、あれは」と衝撃的な教えを受けた。斎藤氏にとっては「人生を変えてもらった監督」だった。

 その恩師が監督として目の前に。そして、言った。「今日、お前で行くぞ」と。

 「前の晩、(先発予定は)俺じゃないから、知り合いの人と後輩とちょっとご飯食べに行って。カラオケなんか歌ったりしてしてたんですけど“お前で行くぞ”って。“(シーズン)後半はお前がしっかり支えてきたから今日はお前で行く”って言われて」

 38年ぶりの優勝決定が懸かった試合で当日朝に先発投手を告げられ、甲子園入り。ウオーミングアップでは「急にいろいろ感動しちゃって」涙が出てきたという当時の背番号11。「前の年、ケガして。2位までワーッとベイスターズが上がっていくのを病院の中で見てたんで。急に来ちゃいましたね」と振り返る。

 そして、恩師の期待に応えて好投し、自ら安打も放って勝利投手に。横浜の38年ぶり2度目のセ・リーグ優勝が決まったのだった。