尾崎将司さんの全盛期を支えた元キャディの佐野木計至氏 「向こうで練習しとって、また担ぐから」最後に交わした“握手”
【写真】在りし日のジャンボ尾崎さんと佐野木キャディ
徳島県宍喰町(現・海陽町)出身の2人。お互いの実家が100ヤード以内で小中高の学校だけでなく、産婆さんや保育園まで同じという幼なじみ。海南高校野球部時代は春の選抜大会で甲子園優勝をつかみ取った。佐野木氏が1歳年下で「ジャン兄」と呼んでいる。「現役を引退してからジャンボと会うこともなかったし、たまに田舎に帰る時に『おい、帰るぞ』って電話きたり、年に1、2回会うぐらい。ジャン兄がいない感じはしない。だって家に帰っても写真はいっぱいあるし、自分の部屋にもある。栄光の写真ばかり。これから田舎に帰ったら、朝昼晩とたばこと焼酎を持って会いに行けるし。だから寂しいっちゃ寂しいけど、まだピンとこないね」と胸の内を明かす。栄光の思い出の中で特に色濃く残っているのが1995年の「ダンロップフェニックス」での優勝だ。1打差で迎えた最終18番パー5でイーグルを奪っての鮮やかな逆転Vだ。「あの逆転優勝ね。最後の18番の。あれはやっぱり今までの日本ゴルフ界の中でも一番のシーンじゃなかったかな」と当時の興奮は今でも鮮明に覚えている。プロ113勝を挙げた尾崎さんの強さのヒミツをあらためて語る。「やっぱり、よくばり。一途なよくばり。もうとにかく勝ちたい、人よりうまくなりたい。ゴルフ以外でも歌も上手くなりたいとか。なんでもトップに立たないと気が済まない性格だから」。常にうまくなるために追求する性格が最強のゴルファーをつくったという。最後に会ったのはジャンボ邸に足を運んだ昨年12月。「『ジャンボさんが会いたがっていますよ』ってマネージャーから電話があって。こんにちはって入っていってもよそよそしいから『ジャン兄、ダイエット成功しとるね』って言ったんだよね。もうかなり痩せてたから。おそらく70キロちょっとかな」。初日は田舎の話しなど会話をする時間も多かったが、2日目になると声がかすれて話す時間も短かったという。「ちょっと話しが途切れたら目をつぶっていくんだよね。2人の間で空白の時間ってあんまりないんだよね。あの時間の1分や2分の空白がものすごく長く感じた」と最後の会話のシーンを思い浮かべる。「最後の別れの時に、ジャン兄は『俺みたいないい人生なかろう。やりたいことやって、勝ちたいことやって。何の悔いもない』と言っていた。『ジャン兄、向こう行ってもすぐ練習しとって、また担ぐからね』って言ったら手を出してきて、握手して。涙ながらにじゃあねって。試合で勝ってもハイタッチだけ。今までジャンボと握手なんかしたことなかったから。あの時はつらかった」と悲痛な表情で話した。
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