避難所となった学校で児童が作った「ボランティア新聞」地震の教訓伝える授業
熊本地震が起きた10年前、益城町の広安西小学校は避難所として約800人を受け入れました。当時の教頭が、子どもたちに教訓を伝える授業を行いました。若い世代に伝えたメッセージとは。
益城町の広安西小学校で授業を行ったのは田中壮介さん(66)。熊本地震が起きたときの教頭です。
■広安西小・田中壮介元教頭
「避難所になったんだけど当時水が出なかった。だからトイレが使えない。だからこういう風に仮設トイレを持ってきてもらいました」
2度の震度7に見舞われた益城町。広安西小も被災しましたが、すぐに避難所として地域の人たちを受け入れました。その数、約800人。ひと月近く休校が続く中、教頭として赴任した田中さんは避難所の運営に奔走しました。
■田中壮介さん
「赴任してきてすぐに地震。知っている先生もいれば全然知らない先生もいた。人間作りからしていかなければいけなかったのは1つ思い出」
学校が避難所としてどんな役割を担ったのか話した田中さん。もうひとつ伝えたいことがありました。この日、授業を聞くのは5年生。田中さんは、ほぼ同じ年齢だった当時の6年生の取り組みを紹介しました。
■田中壮介さん
「この体育館にもたくさんの子どもたちも避難していました。その時に子どもたちは自分たちで何かできることないのかなって話をしてました」
6年生が作った「ニコニコボランティア新聞」。避難生活を送る人たちに笑顔を届けました。
■城本美海さん(当時小6)
「ニコニコすることを書こうと思って感謝しようみたいな感じ、新聞に書いています」
10年前、避難所となった学校で先輩たちが取り組んだこと。子どもたちはどんなことを感じたのでしょうか。
■5年生
「今後6年生になる。だからあの人たちみたいに地震で困っている人がいたら自分から進んで取り組める6年生になりたい」
「たくさんの人たちが協力してくれたおかげで今、この小学校があると思いました」
地震後、学校が再開するときに避難していた人たちが残したメッセージです。
(メッセージ)
「大切な教室を使わせていただいてありがとうございました。これからもしっかり勉強して熊本を支えてください」
地震が起きたからこそ味わった経験を振り返り、田中さんは子どもたちにこんな言葉を伝えました。
■広安西小・田中壮介さん
「寂しそうな友達に声をかけてあげるのも命を輝かせることでしょ?他に自分の命がこんな風に輝くってことを考えていくと立派な6年生になるんじゃないかな」
1~2歳で被災し地震の記憶がない子どもたち。田中さんの授業をそれぞれに受けとめました。
■5年生
「熊本地震のことをよく知ることができてよかった。自分ができることをしてみたいと思った」
「1歳ぐらいだったけれど自分にもやっぱり関係ある。地震の被害だけじゃなくて助け合ったり協力する大切さについて学ぶことができました」
熊本地震からまもなく10年。
■広安西小・田中壮介さん
「一生懸命考えてくれている。実際は経験していないが、追体験だとしても、もし地震が起きた時にこういう風に行動していきたいっていう気持ちの芽生え、それができればいい」
苦しい体験を、力に変える。教壇を降りても伝えたい思いは、子どもたちに託されました。
