先輩の家から朝帰りをすると、家の中に人の気配が…

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【前後編の後編/前編を読む】赤・青・黄・緑…「原色だらけの部屋」で始まった新生活 20代女性が気づいてしまった「食事中や入浴中、行為中の熱視線」

これまでに6,000件以上の怪異体験談を蒐集し、語り部としても活動する川奈まり子が世にも不思議な一話をルポルタージュ。

美大生のリエさんは浮気性の彼に悩まされつつも、「結婚」をちらつかされ、卒業後に彼の地元である名古屋で過ごすことに決めた。ひとり暮らしの新居は、赤や黄色、青、緑など、原色を使った少し変わった内装のマンション。前のオーナーは少し変わった画家であったと聞く。そんなあるときから、リエさんは「誰かに見られている」と感じ始める。食事中の口元や手元に視線、またトイレや浴室や寝室など部屋中あらゆる場所で視線が……。

先輩の家から朝帰りをすると、家の中に人の気配が…

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 リエさんは就職した会社でテレビコマーシャルのカンプや印刷物用のイラストを描く仕事を割り振られ、最初のうちは家に作業を持ち帰っていたのだが、それすらままならなくなった。

 背後から肩越しに、絵を描く手もとを凝視されている感じがして、落ち着かないのだ。

 結局、1ヶ月と経たず、彼女は自宅で仕事をすることを断念した。

気のせいだ

 早朝に出勤し、可能な限り残業もして、家になるべく寄りつかないようにしていたら、彼が不満を口にしはじめた。

「合鍵を貰ったけど、いつ来ても留守じゃないか!」

「……引っ越そうかな。お金を少し貸してくれる? そしたら、すぐに引っ越せる」

「ハア? まだひと月じゃないか! せっかく俺の幼なじみが探してくれた部屋なのに。何が不満なわけ?」

「視線や気配を感じるの。いつも監視されている気がして……」

「気のせいだよ!」

 彼は少しも取り合ってくれなかった。

乗りかえ

 そんなあるとき、職場の先輩に「部屋が落ち着かない」と打ち明けたところ、親身になってくれた。

 その人は5歳年上の男性デザイナーだったのだが、心霊的な話題に対する忌避感が薄いタイプだったようだ。

「わかるよ」と彼は真剣な面持ちでリエさんに応えた。

「どうしたらいいと思いますか? また転居するには少しお金を貯めないと……。お祓いを受ける……とか?」

「お祓い? 手もと不如意なのに、効果があるかどうか定かじゃないものにお金を使うのは賢明じゃないよ! とりあえず僕のうちに来たら?」

 そういうわけで、名古屋に来てから2ヶ月足らずで、リエさんはこの先輩に乗り換えることにした。

 会社の先輩デザイナーと関係を持ってから、日曜の午前中、自分のマンションに帰宅すると、ドアを開けた瞬間から人の気配を濃厚に感じた。

――彼だろうか?

 なるべく早く転居するにしても、まずは合鍵を返してもらわなくては……と考えながら、「来てるの?」と呼び掛けてみた。

 返事が無かったが、部屋の奥の方で衣擦れの音が微かに立った。

「寝てた? 昨日は土曜だもんね。ライブだった?」

「……」

「あのね、話があるの」

 語りかけつつ寝室へ向かおうとしたが、浴室から水が流れる音が聞こえてきた。

 ところが浴室へ行くと誰もおらず、水も出ていない。

人影

 うなじに視線を感じて振り返ると、黒い人影が目の端をよぎった。

 視界領域の隅を素早くかすめて、ダイニングキッチンの方へ移動した。

 体格や動作から男性だと思われたが、正体がわからない。

 彼ではなさそうだとリエさんは判断して、外へ逃れようとした。

 そのとき、キッチンで食器が割れる音が聞こえてきた。

 床に激しく叩き落として割るような物音が立て続けにして、彼女を縮み上がらせた。

 足がすくみ、手先が震えて、その場にしゃがみ込みたくなるのを堪え、必死で靴を履いて玄関から飛び出した。

 その勢いのまま、階段を駆け下りて……。

「あっ、鍵!」

 鍵を掛けるのを忘れたことに気づいたが、戻る気にはなれなかった。

 盗られて困る物など何も無い。名古屋に来る前に想い出の品は実家に送ってしまったし、高価なブランド品やアクセサリーは1つも持っていない。

 それに……彼女は彼を部屋に泊めるようになってから、貴重品を持ち歩いていたのであった。

 ずっと後に当時を振り返って、本当は彼に心を許していなかったのかもしれないと彼女は思ったとのこと。

 ――件の先輩デザイナーの家を再び訪ねて、それから一週間、居続けた。

別れ

 名古屋に来るきっかけを作った恋人を喫茶店に呼び出し改めてリエさんがが別れを告げると、彼は人目もはばからずに大泣きをはじめた。

 子どものように声を放って泣き、涙を流して、懸命に搔き口説いた。

「結婚するために名古屋に来たんじゃないのか!」

「それはそう。でも、私の話を聞いてくれなかったじゃない?」

「いつ? いつだって、ちゃんと聞いていたよ!」

「あの部屋がイヤだと言ったとき。視線や人の気配を感じるって言ったでしょう?」

「だから何だよ? そんなの気のせいだ……」

「ほら。そういうところだよ。すぐに結婚して引っ越してくれたら良かったのに」

「すぐには無理だろ?」

「じゃあ、いつまで待てばよかったの? 本当に怖かったんだよ!」

「見られてる感じがするだけで、実害は無かったんだろう?」

「ううん! 実害あったよ!」

信じてほしかった

――あの日、鍵を開けっぱなしでマンションを出てから一週間が過ぎていた。再び日曜日になり、新しく恋人になった先輩デザイナーについてきてもらって自宅マンションに戻ってみると、玄関に鍵が掛かっていた。

 彼女は元彼を思い浮かべた。彼は合鍵を持っている。彼が来て鍵を掛けたのだろうと推測した。

 室内に入ってみたところ、意外なことに、寝室のベッドは彼女が最後に整えたときのままで乱れが無かった。彼が来たにしては奇妙だ……と思っていたら、ダイニングキッチンの床一面に陶器とガラスの破片が飛び散っていた。

 食器がことごとく叩き割られていたのである。

 それを見て衝撃を受け、彼に電話をかけたというわけだった。

 この話をして「あなたがやったわけじゃないでしょう?」と彼女が訊ねると、彼はかぶりを振って否定した。

「やってない! それどころか、俺はリエの家に行っていない!」

「じゃあ、あの部屋に棲んでいる幽霊が中から鍵を掛けたんだわ」

「……幽霊なんて信じられないよ」

「幽霊を信じなくてもいいから、私の言うことは信じてほしかったな。話を聞いてほしかったよ。でも、もう終わりだよ」

 そう告げて、リエさんは学生時代からの彼との長い交際に終止符を打った。

 それからは、新しい住まいを探しつつ、先輩デザイナーの家に居候を決め込んでいたが、しばらくすると部屋探しをやめた。

 先輩と職場で公認の仲になってしまい、向こうの親にも受け容れられて、今度こそ本当に結婚する運びになったからだ。

 あの部屋を維持する必要もなくなった。

激動の半年

 いつのまにか、名古屋に来てからおよそ半年が経っていた。

 音楽活動をしている彼を追い駆けてやってきたつもりが、まさか、こんなことになるなんて……と、彼女自身も呆れるしかない経過を辿った。

 例の部屋を解約して、とある土曜日に引き払い、日曜の朝、先輩あらため婚約者とテレビをだらだらと眺めながら適当にザッピングしていたら、見覚えのあるマンションの建物が、突然、画面に映った。

 ローカル局のニュース番組だった。

 間違いなく、昨日、荷物を運び出したばかりのマンションだ。

 彼女が住んでいた4階の角部屋の辺りが黒煙に包まれ、窓から炎が吹き出している。
 
 聞けば、火もとは上の階のようだということだったが、その真下に当たるあの部屋も延焼してしまったか……。

 リエさんは「自分の部屋を原色で彩ったちょっと変わり者の元オーナーが、幽霊になっても棲んでいたのでしょうね」とおっしゃっていた。

「当時は幽霊にまでモテました」と言って笑っていたけれど、件の先輩デザイナーとも結婚したものの離婚してしまったそうだし、人生はとかくままならないものだ。

―――
【記事前半】では、美大生のリエさんが浮気男と出会って、名古屋の奇妙なマンションに住むまでの出来事が語られる

川奈まり子(かわな まりこ)
1967年東京生まれ。作家。怪異の体験者と場所を取材し、これまでに6,000件以上の怪異体験談を蒐集。怪談の語り部としても活動。『実話四谷怪談』(講談社)、『東京をんな語り』(角川ホラー文庫)、『八王子怪談』(竹書房怪談文庫)など著書多数。日本推理作家協会会員。怪異怪談研究会会員。2025年発売の近著は『最恐物件集 家怪』(集英社文庫8月刊/解説:神永学)、『怪談屋怪談2』(笠間書院7月刊)、『一〇八怪談 隠里』(竹書房怪談文庫6月刊)、『告白怪談 そこにいる。』(河出書房新社5月刊)、『京王沿線怪談』(共著:吉田悠軌/竹書房怪談文庫4月刊)

デイリー新潮編集部