“家族ぐるみ”は悪夢のはじまり。夫の友人家族との、いびつな友情の幕開け
人は、“繋がり”を求める生き物だ。
幸せになりたくて友を求め、恋をし、家族を作る。
そうして幸福な家庭を築いた者は、次第に自分たちだけでは飽き足らず、よその家族まで求めてしまう。
それが、底なしの沼だとも知らずに...。
これはさらなる幸せを求め“家族ぐるみの付き合い”を始めた人々の物語。

<あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。>
「ねえ、誠。この服でいい?それともやっぱりパンツじゃなくてスカートの方がいいかな?」
「美希、服なんてなんでもいいよ。それより早く行こうぜ!」
誠の言葉に同意するかのように、玄関ではすでに靴を履いた娘の真奈が「ママ、早く早く!」と足を踏み鳴らしている。
ゴールデンウィークの初日。ホテルへランチに出かけるなんて、休日の予定といえば近所の公園に行くくらいが関の山の海野家にとっては一大イベントなのだ。
ましてや今日は、夫である誠の友人2家族と初めて交流する特別な機会でもある。誠と真奈が興奮するのも無理はなかった。
美希の心も、いつになくソワソワと浮ついている。新しい友人を得る機会などいつぶりだろう? 36歳のワーママともなると、もともとの友人と会う機会すら減る一方なのだ。
美希は鏡の前で、新しい出会いへの期待に膨らむ胸にリネンのジャケットをあててみた。
印象は少しでも良い方がいい。
同じ8歳の子供を持つ2家族とは、もしかしたら”家族ぐるみ”の長い付き合いになるかもしれないのだから―。
マンネリだった日常が変わっていく。そのきっかとなったのは、予想外の夫の言葉だった
3家族でのホテルランチが決まったのは、4月の中頃のこと。
土曜日の夕方、武蔵小杉の自宅マンションで、家族3人のささやかな団欒の時間を過ごしている時だった。
「はい…はい。なるほど。…分かりました。はい、失礼します」
ふいに鳴った会社用ケータイに神妙に対応していた誠の顔が、まるで訃報でも知らされたかのように暗く曇る。そして、電話を切るなり大きなため息をついたかと思うと、誠はドサリと音を立ててソファに倒れこんだ。
「休日に仕事の電話なんて珍しいね。なにかトラブル?」
カウンターキッチンで夕飯の調理をしながら、美希は問いかける。
その声に反応した誠はノソノソと体を起こして座り直すと、うなだれながら声を絞り出した。
「ごめん…。どうしてもクライアントのイベントに同行しなきゃいけなくなって…ゴールデンウィーク、何日か仕事になった」
「えぇ〜!?」
予想していなかった最悪の事態に、美希は思わず悲鳴を漏らしてしまった。
「パパ、今度のお休みお仕事なの?じゃあ、北海道旅行は?」
テレビに夢中になっているように見えた真奈も、誠の方に向き直り悲痛な声を上げる。
「…ごめん、真奈。約束してたけど、旅行は無理だ。本当にごめん!」
学生時代ラグビー部で鍛えた誠の大きな背中が、愛娘の失望を受けて哀れなくらい小さく萎む。
「どうにかならないの?」という言葉が喉元まで出かかったものの、誠と同じ大手不動産会社で働く美希には、その仕事がどうにもならないものであることは理解できた。
夫婦共働きの海野家では、家族旅行に行けるチャンスはそうあるものではない。美希と真奈がガッカリしているのと同じように、誠自身だって意気消沈しているはずだ。
今にも泣き出しそうな家族の顔にいたたまれなくなった美希は、カレーを煮込んでいた鍋の火を止めると真奈の方へと歩み寄った。
「しょうがないよね…パパお仕事なんだもん。真奈、旅行は残念だけど、ゴールデンウィークはママと2人で東京でたくさん遊ぼう!ね?」
フォローの言葉をかけたものの、普段聞き分けの良い真奈は珍しく眉を歪めながら食い下がる。
「ヤダ、ヤダ!どうせ駒沢公園か、ライズかグランツリーに行くだけなんだもん!そんなのいつもと同じだもん!」
黒目がちな真奈の瞳に、じわりと涙が満ちていく。
「いつもと同じじゃつまんないよ…。何か特別なことがしたいよ…」
「真奈…」

真奈の言っていることが、美希にはよく理解できた。
毎日会社に行き、毎日食事を作り、毎週末、近所の公園かモールに行き、溜め込んだ家事をこなす。
毎日同じ日々。毎週同じ過ごし方。繰り返しばかりの、ネタ切れの日々。
美希がそうであるように、真奈も子供ながらに同じような退屈さを感じているのだろう。
―私だって、何か変化が欲しい。この変わらない毎日に刺激を与えてくれるような、新鮮な変化が…。
密かに抱いていたそんな思いを噛みしめつつ、美希は落ち込む真奈の肩をさする。その時、ソファで肩を落としていた誠がボソリと「…そうだ」と呟いた。
「なあ、真奈。パパのお友達の家族と会ってみないか?」
初めて会う夫の友人家族。期待を裏切る、その第一印象とは
先ほどまでの様子とは打って変わって、誠は瞳を輝かせる。
「美希。ラグビー部の同期で日向ってやつがいるんだけど、つい最近6年ぶりに海外赴任から本帰国したんだよ。で、もう1人山本っていう同期と、ゴールデンウィークに家族同士で食事でもどうかって誘われてたんだ。旅行に行くから断ってたんだけど、どう?」
「日向さんと山本さん…、名前は昔からよく聞くよね。大学時代にすごく仲が良かったんだっけ?」
「うん。日向のところも山本のところも、真奈と同い年の8歳の子供がいるんだよ。子供達も仲良くなれるかもしれないだろ?真奈、新しいお友達と、美味しいもの食べに行きたいか〜?」
誠の提案に、真奈もすっかり元気を取り戻して「うん、行きたい!」と答えている。
「よし、じゃあ決まりだな!」
どうにか真奈の機嫌は持ち直したようだ。誠も、真奈に提案が受け入れられたことで気持ちが切り替えられたように見える。
―誠の友達家族かぁ。ちょっと緊張するけど、仲良くなれたらいいな…。
旅行がキャンセルになることは残念だったが、盛り上がる夫と娘の姿に美希はホッと胸を撫で下ろす。
そしてその安堵の中に、ときめきにも似た好奇心が芽生えているのが自分でも分かった。
◆
ウェスティンホテル東京の『ザ・テラス』のビュッフェは、思った以上の賑わいを見せていた。
所狭しと並んだ目にも美しい料理やデザートの数々に、普段武蔵小杉のフードコートくらいにしか行かない真奈はすっかり瞳を輝かせている。
混雑の中、店の入り口であたりを見回していると、奥まった席の方から誠に向かって快活な声が投げかけられた。
「海野!」
声の方へ視線を向けた誠が、弾けるような笑顔で返事をする。
「おお、日向!山本!元気だったか?」

日向家と山本家は、すでに店についていたようだ。長く繋げられたテーブルには大きく手を掲げる2人の男性と、それぞれの妻子らしき女性と子供の姿があった。
空いていた席に腰を下ろすと、男性のうちの1人が美希の方に向き直る。
「どうも、日向達也と言います。ご主人とはK大ラグビー部でご一緒していました」
「あっ、妻の美希と、娘の真奈です!今日はよろしくおねがいします」
「こちらこそよろしくお願いします」
元ラガーマンとは思えない線の細さと、上品な物腰。夫と同期なら38歳ということになるが、整った目鼻立ちは日向達也を実年齢よりもぐっと若く見せていた。
会釈を交わし合っていると、もう一方の男性も会話に参加してきた。
「海野。なんだお前、いい親父やってるみたいだな」
日向達也とはタイプの違う、浅黒く大柄な体つき。話し方もエネルギッシュなこの男が、おそらく山本という友人なのだろう。
「はじめまして。今日はよろしくお願いします」
美希が話しかけると、誠の方を向いていた山本はちらと視線だけを美希に向ける。そして、さも無関心そうに「どうも」とだけ言い放ち、またすぐに誠だけに向かって話を始めた。
―あ…そうよね。友達同士で久しぶりに集まれたんだもん。私の出る幕じゃなかったのかも…。
山本のそっけない態度に、美希は先走ってしまったことを反省する。
久々の再会に盛り上がる男性3人を尻目に、どんな態度で座っていたらいいのか分からない。
緊張で固まった真奈の膝に手を置きながらボンヤリとしていると、夫たちの向こう側から2人の女性がこちらに向かってニッコリと微笑みを投げかけているのに気が付いた。
夫の友人の妻たちはどんな女性なのか。美希の沈んだ心に変化が起きる...!?
「美希さん?子供達もお腹空いちゃいますし、お料理取りに行きません?」
「あ…はい、そうですね!行きます!」
声をかけてくれた女性は、料理の方へと歩きながら優しげな眼差しを美希に向け、言葉を続けた。
「いつも主人がお世話になっております。山本龍太の妻です。…ごめんなさいね、うちの主人、いつもああなの。緊張してるだけだから、お気を悪くしないでね」
山本の妻は、おそらく36歳の美希よりも年上なのだろう。その立ち振る舞いからは、成熟した女性特有の優雅な風格が感じられた。
腰の低い物言いに「とんでもないです!」と美希が慌てていると、山本の妻の背後からもう1人の女性がお辞儀をしてくる。
「はじめまして、日向の妻です。日本は久しぶりなので、色々教えてくださいね」
日向の妻は、まだ若く見えた。しかしながらその愛らしくも品のある佇まいには、年に似合わぬ貴婦人然とした育ちの良さが滲みでている。
「あ…こちらこそ…」
2人の放つ堂々としたオーラに気圧された美希は、ぎこちない返事を返してしまう。
そんな美希の様子を見ていた山本の妻が、クスッと頬を緩めた。
「美希さん、そんなに硬くならないで。うちの主人、こうして海野家と日向家の皆さんと家族ぐるみのお付き合いをするのに、ずっと憧れていたみたいなの。私たちも主人たちのように、いいお友達になりましょう。私のことは律子って呼んでね」
日向の妻も、山本律子の言葉に同調する。
「そうですね、ぜひ。私は千花と言います。ほら、見て。子供達はもうすっかり打ち解けちゃったみたい」
日向千花の視線の先を見てみると、真奈を含めた3人の子供達は、元から友達であったかのように楽しげにパンを選んでいた。
先ほど山本龍太にそっけない態度を取られたことで硬化していた美希の心が、ゆっくりとほぐされていく。

―なんていい人たちなんだろう。こんな素敵な人たちとなら、楽しい家族ぐるみの付き合いができるかも…。
美希は、期待に頬を上気させながら「はい、よろしくお願いします!」と答えた。
退屈な毎日に訪れた、「家族ぐるみの付き合い」という新鮮な変化。
...だがその変化が美希を絶望の淵へと導くことになるとは、この時はまだ知る由も無かったのだ。
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ついに始まった「家族ぐるみの付き合い」。その罠に、雁字搦めにされていく

