フレッシャーズ編集部

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1月4日放送、「情報ライブ ミヤネ屋」(日本テレビ)では、雨上がり決死隊結成28周年。雨上がり決死隊が語ったところによると、宮迫は蛍原より2つ年下。ダウンタウンが東京に行き誰もいなくなったところで登場した。もともとコンビではなく、一緒にオーディションを受けたことからコンビとなった。宮迫はもともとは役者志望で、松田優作に憧れていた。蛍原は花紀京や木村進にあこがれてお笑いに入った。蛍原は国家資格も持っている。

番組で2人は「売れたと思ったことはない」と語った。雨上がり決死隊はデビューした瞬間にバブルがはじけ、初舞台はひとり300円で、税金を引かれて270円だったと述べた。

雨上がり決死隊の魅力は、周囲を活かせる事。売れたと思ったことがないと語るように、宮迫のキャラとは裏腹に非常に謙虚で、実はあまり自分たちの我を出した企画は行わない。それは、これまでさんざん苦渋をなめてきたキャリアもあるが、もともとの性格がふたりとも控えめだというのもある。雨上がり決死隊の代表作は、テレビ朝日の「アメトーーク」だが、アメトーークも本人たちが主張するのではなく、やってくる芸人たちの熱いトークを聞くもの。またスタッフにフィーチャーしたりなど、周囲を活かす性格がよく出ている。特に、ラジオ「雨上がり決死隊のべしゃりブリン!」はカルト的な人気を誇っていた。

2人はもともとは同級生等ではなく、NSCで知り合った。NSCで知り合ったが故にコンビとしての履歴が短いと考え、2人で一緒のアルバイトをするなど、戦略的にコンビ活動を行ってきた。大阪では、天然素材のメンバーとして大ブレイク。ただし、東京に行ってからは不遇の時代が続き、再度東京で人気を博するまで苦労していた。名古屋での地道なレギュラーや、深夜番組への出演で徐々に人気が高まり、2003年にアメトーークを冠番組として持つ。その後は2004年にアメトーークがメガネ芸人で人気になり、一気に火がついた。くくりトークは現在では多くのバラエティ番組が模倣し、多くのコンテンツを生み出してきた。だがいまだに雨上がり決死隊は、不遇時代の謙虚さを忘れず、周囲を立てるトークで人気を博している。