『岐路に立つドイツの「過去の克服」』 [編著]浅田進史、板橋拓己、香月恵里

 今日、ドイツほど理解しがたい国はない。いや、ドイツの知識人の思考に理解が及ばないのだといってよい。戦後のドイツと言えば、「過去の克服」。ナチの犯罪を反省し、人権と民主主義、そして平和を唱える模範国のイメージがあった。二度と同じ過ちを繰り返さないという決意は、日本を含む世界各国に影響を与えていた。それがどうだろうか。ドイツの知識人たちはガザの人道危機に対してなぜか沈黙し、イスラエル擁護に回った。「過去の克服」とは名ばかりで、イスラエル批判を封じるための道具に落ちぶれてしまったかのように見えた。実際、先月逝去したハーバーマスのような著名な学者でさえ、ガザの惨状には目もくれず、イスラエルの安全を肯定することに終始していたのには、正直、驚きを禁じえなかった。
 ドイツ・リベラルとはそういうものなのか。欧州の唱える自由や民主主義や人権に、人類に共通の普遍性などない……。誰もがそのように感じ始めた頃、「歴史家論争2.0」が始動した。本書はその論争をいち早く日本に伝えるほか、日本の最先端のドイツ史研究者の論考も組み込んだタイムリーな書。上記の多くの謎を紐解(ひもと)き、疑問に答えてくれる。
 歴史家論争2.0の中心にあるのは、アメリカのポストコロニアル研究の論壇。ドイツでは従来、ホロコーストは人類史上類を見ない唯一無二の犯罪と認識されてきた。しかし、記憶研究の第一人者ロスバーグは、ナチの虐殺を、欧州列強に見られた植民地主義や人種主義の延長線上にある事件として再定義すべきだと主張。他の歴史的犯罪と対話可能な多方向的な広がりを持つべきものとして理解するのだ。一方、ジェノサイド研究の大家モーゼスは「教理」という概念を提唱。戦後ドイツがホロコーストの唯一性を一種の宗教的聖域にしたことで、イスラエルへの批判や、ドイツの植民地支配、特にナミビア大虐殺への反省を二の次にするような思考が定着してしまったという。浅田と板橋はこの構造を鋭く突き、教条化の過程を追う。
 ロスバーグとモーゼスの提起は、ドイツで燻(くすぶ)り続けていた不満や問いに火をつけている。左派リベラルの目には、この提起がホロコーストの罪を減免していると映った。一方、右派はこれをホロコーストの相対化と捉え、自己の主張に逆利用している。一見、八方塞がりだ。だが、この状況は特にリベラルの鍛え直しに最適ではないか。ガザの代償は大きいが、ドイツの戦後を足元から見つめ直す機会を得たともいえる。
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あさだ・しんじ 駒沢大教授▽いたばし・たくみ 東京大教授▽かつき・えり 岡山商科大教授▽他の執筆者にマイケル・ロスバーグ(カリフォルニア大教授)、A・ダーク・モーゼス(ニューヨーク市立大教授)ら。