「黒い水の塊一気に」「水中でもみくちゃにされ浮上」、15年たっても記憶は鮮明…役場職員が記した420日
今野照夫さんの震災日記 3月11日<上>
宮城県石巻市北上総合支所職員だった今野照夫さん(64)が、震災対応のかたわら420日間にわたり日記をつけていた。
本人と関係者の証言から当時を振り返る。(高倉正樹)
2階建ての北上総合支所が小刻みに揺れ、きしむ。蛍光灯は割れ、天井が剥がれ落ちる。
地域振興課のある2階の窓から、課長補佐の今野照夫さんは外を見た。駐車場も家々も津波にのまれ、みるみる水位が上がっていく。
最後まで無線室で避難を呼びかけていた一人、武山敦子さんが、すぐ隣にいた。海と反対側、北西向きの窓のそばに柱がある。今野さんは「ここにつかまるんだよ」と武山さんに柱を抱えさせた。別の柱には係長の阿部清志さんがつかまった。
水が2階に流れ込み、腰ほどの高さのロッカーの上に今野さんが上がった瞬間、真っ黒の水の塊が一気に入ってきた。窓が飛び、ダムの放水のように今野さんと阿部さんは外に放り出された。
柱をつかんだまま「あ、照夫君」と呼ぶ武山さんの声。くの字に阿部さんの体が曲がり、飛んでいく眼鏡。15年たってもその光景は細部まで思い出すことができる。
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津波が来る直前、地域振興課主査だった牧野輝義さんは不思議な音を聞いている。
庁舎管理を担当する牧野さんは外回りの被害を確認し、自動ドアの開閉を手動に切り替える作業などをしていた。
駐車場から庁舎に戻るとき、ガリガリガリ……と聞こえた。アスファルトを無理やり引き剥がすような、大きな音。あれは引き波の音だったのかと後で思ったが、真相は分からない。
牧野さんが2階に戻ったのとほぼ同時に「牡鹿に3メートルの津波到達」との情報が消防無線から入る。午後3時20分頃、北上総合支所に津波がくる15分ほど前のことだ。
目撃情報などを集約すると、この時点で、指定避難所だった建物には総勢57人がいたとされている。公務員は市職員19人、消防署員2人、警察官1人。住民は、隣接する高齢者デイサービスセンター「きらく」の利用者5人と職員6人、吉浜小学校の児童や未就学児が少なくとも5人。このほかに、ATMへの現金補充のため立ち寄った警備会社「セコム」の社員2人。児童の家族や地域住民もいた。住民らは2階の多目的研修室に集まっていた。
一方、ぎりぎりまで災害対応にあたっていた市職員や消防署員らは地域振興課の隣にある小会議室に駆け込んだ。「奥へ!」と誘導したのは牧野さんで、市の記録には16人いたとある。
小会議室は海から最も遠い部屋だ。しかしここもあっという間に腰までつかった。水を逃そうと、牧野さんは隣にいたセコムの石川拓真さんに「窓を開けて」と叫んだ。開け終わってみんなの方を振り向いた瞬間、水圧に耐えきれなくなった腰壁が抜けた。背後の支えを失い、牧野さんも後ろ向きのまま落ちていった。
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今野さん、牧野さんは水中でもみくちゃにされた後、同じ庁舎西側の水面に浮上する。そこからは別々の動きをたどった。
牧野さんは30分もかからず、押し波の勢いで岸まで泳ぎ着いた。雄勝の浜育ちで泳ぎには自信があった。
まずはパンツ一丁になり、着ていた服を全てしぼった。アウトドアが趣味でジュニアリーダーの指導経験もあり、ぬれた服が危険なことをよく知っていた。着いたところは切り立った崖だった。崖の上から住民の男性が「あがってこい」と言ったが、左足が痛くて動けない。そう返事したら、毛布を投げてくれた。
被災地では大勢の人が津波をかぶり、助かった後に低体温症で命を落としている。外で一晩明かした牧野さんを救ったのは、身を守るための知識と1枚の毛布だった。
胸ポケットに、たばことライターが流されず入っていた。暖を取ろうとしたがライターはつかない。「このたばこを吸うまで絶対死なねえ」と牧野さんは心に誓った。
一方の今野さんは浮上後、北上川の方に流されていく。支所を見上げると、2階の天井までは波が届いていない。「残ったみんなは大丈夫だろう」と安堵(あんど)した。近くの吉浜小から悲鳴が聞こえたが、なすすべもない。
ここから2時間、今野さんは波間をさまようことになる。
