同級生との再会が、思わぬ方向に…

写真拡大

【前後編の後編/前編を読む】「家事なんて嫌ならやらなければ」ドライなバリキャリ妻に疲れた…見た目ドンピシャでスピード結婚、2年で離婚を考えた

 本田晃匡さん(50歳・仮名=以下同)は、1つ年上の結衣さんと、出会って3週間後で結婚した。だが、外資系企業に勤務し多忙な結衣さんとは家事分担や子どもをもつことについてすれ違いがあり、いちどは離婚も検討したものの、その矢先に娘を授かり、結婚生活は継続することに。「こういう人だから」と妻に対して半ばあきらめの境地でいた晃匡さんは、ある日の深夜、誰かと電話をする結衣さんを目撃し、浮気の疑念を抱く。

 ***

【写真を見る】「夫が19歳女子大生と外泊報道」で離婚した女優、離婚の際「僕の財産は全部捧げる」と財産贈与した歌手など【「熟年離婚」した芸能人11人】

 44歳のときだった。地方に住む実家の母が急逝した。70代に入ったばかりの母は、ひとり暮らしを満喫しているといつも言っていた。晃匡さんには妹がいるが、結婚して遠方に住んでいるため、兄妹でときどき電話をかけては母の安否を確認していたのだ。

同級生との再会が、思わぬ方向に…

 それがある日、母が電話に出なかった。それまでは数時間以内には折り返してきたのだが、その日はそれもない。不安になって、近所の知人に頼んで見にいってもらった。知人と警察から立て続けに連絡があり、母はベッドの中で眠るように亡くなっていたという。

「心不全だということでした。心臓が悪いなんて聞いたこともなかったけど、知人によれば病院には通っていたとか……。僕はまったく知らなかった。愕然としました。大学入学とともに上京してきて、実家には年に1、2回戻る程度。結婚してからは年に1度がせいぜいでしたから。母が何を考え、何を楽しみに生きていたのかもほとんど知らないことに気づいて愕然としました」

 通夜にも葬儀にも結衣さんは来なかった。予定していた出張を取りやめられなかったからだったが、晃匡さんはこんなときくらい寄り添ってくれてもいいのにと珍しく不満を抱いた。

同級生の真智子さんと再会

「そのころ、SNSで少し気弱なことを書いたことがあったんです。それに反応してメッセージをくれたのが、小中学校で同級生だった真智子でした。四十九日で納骨しに戻ったとき、会おうということになり、近所のファミレスで話しました。気づいたら3時間もたっていてふたりともビックリ」

 それ以降、母の遺品を整理したり片づけたりするために、ときどき実家を訪れるようになり、そのたびにふたりは会った。真智子さんの人生も見えてきた。

「彼女は夫の横暴さに悩んでいました。若くして結婚して、当時、20歳と17歳の子がいたんですが、夫からはいつも『おまえがバカだから子どもたちもバカだ』と言われたり、何十年主婦やってるんだ、メシがまずすぎると怒鳴られたりの日々を送ってきたって。聞いていてこっちが苦しくなるような言葉の数々で、それはDVだよと指摘すると、彼女は『私がバカだからだと思ってた』って。もっと自由に生きていいはずなのに、彼女は夫の言葉にがんじがらめになっていた。なんとかしてあげたい。痛切にそう思いました」

 あるとき、真智子さんがぽろっと言った。

「私、晃匡くんのこと、ずっと好きだったんだよ」

 これが恋の発端となった。真智子さんがもう一度、人生を生き直そうと思えるようにしてあげたい。そして自身も彼女から元気をもらいたい。そう思っていたのが、いつしか「彼女がいないと生きていけない」「彼女とともに生きたい」と変わっていった。

「私は離婚する」

 実家に通う旅は、真智子さんと会う時間になった。手伝いに来てくれた真智子さんと、電気も水道も止まった実家で肌を合わせた。

「情熱と欲望に任せて、無謀なことをしてしまった。こんなところでごめんと言ったら、真智子が『晃匡くんとなら、どこでもいい』と笑顔になった。それを見て胸がぐっと詰まったんですよね。こんな気持ち、生まれて初めてだよと言うと、真智子の目から大きな涙の粒がぼろぼろこぼれて。生きていてよかったとさえ思いました」

 こうなれば恋は深まる一方だ。お互いに配偶者にバレないように、とにかく気をつけること、そしてなるべく早く離婚することを誓い合った。

「下の子の進学先が決まったら、私は離婚すると真智子が言うようになりました。『こんな大きな決断ができると思わなかった』と晴れやかな顔をしていた。僕のほうは娘がまだ小学生。娘を妻に任せることはできない、親権をとって離婚したほうがいいのだろうか。ただ、娘と真智子がうまくいくかどうかもわからない。真智子は着々と準備しているようだったから、僕も焦りました。でも気持ちが焦るだけで現実には何もできなかった」

 真智子さんは、ときおり「下の子に東京の予備校の特別講義を受けさせる」などと理由をつけて上京することもあった。実家近くで、あるいは東京で、ふたりは人目を偲んで逢瀬を重ねる。そのたび真智子さんは心と現実の「離婚準備」を語ったが、晃匡さんには報告するべきことがなかった。

「あなたは急がなくていいと真智子が言ってくれました。その後、真智子の下の子が東京の大学に合格し、アパートの下見や引っ越しなどで彼女の上京頻度が上がった。僕は結衣には、なかなか離婚を言い出せないまま。この状況で真智子に会い続けることが、僕にはいちばん都合がいい。そんなふうにも思っていました。ずるいですよね」

命がけの離婚劇

 47歳のとき、ついに真智子さんは離婚した。夫に離婚を切り出したとき、怒った夫に殴られてほお骨を骨折、キレた夫はその後も暴力をふるい、彼女は全身打撲で病院に駆け込んだのだが、これが逆に離婚には功を奏した。

「命がけで離婚したよと真智子は泣きながら言っていました。僕のためにここまでしてくれたんだと感動する一方で、そんな真智子を自分は幸せにできるのか、彼女を最優先に考えられるのかと悩んでしまったんです」

 真智子さんは、晃匡さんの帰宅ルートにアパートを借りて生活しはじめた。慰謝料と財産分与があるから当面は大丈夫と言いながら、すぐにファミレスとお弁当屋さんで仕事も始めた。

「とにかく働いて自分の食べる分くらいは稼がないとって。明るくなっていましたね。希望を抱いている人がもつキラキラ感があった」

結衣さんの姿を見て…「離婚なんて言い出せない」

 早く自分も離婚しなくてはと思っているところへ届いたのは義父の訃報だった。さすがの結衣さんもショックを受けたようだった。さらにその後、義母も体調を崩して入退院を繰り返した。

「親孝行もできなくてと結衣が泣いているのを見て、僕もそんな気持ちだったよと思わず慰めました。『あなたのおかあさんのときはごめんなさい。私が傲慢だった』と突然、結衣がすがりついてきたんですよ。そんな状態で離婚なんて言い出せない」

 結衣さんは、仕事をやめて母を引き取ろうかなとまで言いだした。職場の先輩に相談したら、さすがに引き止められて翻意したようだが、晃匡さんもどうしたらいいかわからなくなった。真智子さんは文句も言わず、日常を楽しそうに過ごしている。だがそれは、彼との未来が見えているからこその明るさだということもわかっていた。

いきなりのシャットアウト

「それから1年ほどたったとき、さすがの真智子もしびれを切らしてきたんでしょうね。どうなってるのとたまにひとり言のように聞かれました。僕は状況を話していたので、『ごめん、もう少しだけ待って』と言うしかなかった」

 さらに1年後、真智子さんからいきなり別れを告げられた。

「待つことに疲れた。もう期待しない。離婚するまで連絡してこないで」

 いきなりのシャットアウトだった。真智子さんならいつまでも待ってくれるはず。そう思っていた晃匡さんが甘かった。真智子さんは「自分がずっと同じところに留まって先に進めない感じがして嫌なの」と言った。

 その後、今度はいきなり結衣さんから離婚を切り出された。ずっと裏切っていたのねと、妻は鬼の形相で迫ってきた。

「こんなに侮辱されたことはないといきり立っていました。あなたのすべてが嘘だったのねって。急にそんなふうに言われたので、『きみだって浮気してただろ』と返してしまい、結果、自分の浮気を認めることになった。墓穴を掘ったようなものですね」

夫婦の対立を制したのは…

 互いを罵り合うケンカが毎日のように続いた。ある日、高校生になったばかりの娘が「いいかげんにして」と叫んだ。

「さっさと離婚すればいいじゃない。私はひとりになってもかまわないから」

 その言葉に晃匡さんも結衣さんもハッとして黙り込んだ。「ごめん」とふたりは声を合わせた。

「私のために離婚しない、離婚できないなんて言わないでよ。私には私の人生があるんだから」

 娘の言葉は辛辣だった。逆に「離婚しないと娘が納得しない」ような状況に追い込まれた気がすると晃匡さんは言った。話し合って離婚しないことにしたと言っても、娘は傷つくだけだろう。

「娘の前で、まあ、確かに私たち、そんなにうまくいっていたわけでもないしねと、結衣が言ったんですよ。でも、そんなに不仲だったわけでもないよと僕は言った。『私はおばあちゃんにかわいがってもらった。おとうさんは自分の義務を果たすため、なんとか私と一緒にいようとしてくれた。おかあさんは仕事最優先だったけど、その姿は私の人生に悪影響は及ぼしていない。寂しくなかったわけではないけど』と、娘が本音を語ったんです。まだ16歳なのに、こんなに客観的に見て、自分の頭で考えていたんだと驚きました」

 でもひとつつけ加える。義務を果たすためだけじゃない、僕はきみを心から愛しているよと晃匡さんは言った。娘のことが大事だったからこそ、そばにいようと心がけたのだ。

「親の義務と愛情って、きちんと分けることはできないでしょと娘は淡々と言いました。結衣が崩れるように泣き出したんですが、娘は『みんなそれぞれに生きていけばいいんじゃないの』と冷静だった。お金があるなら留学させてくれないかなとも言った」

タイミングが悪かった

 一家の行く末を決めたのは娘だった。親でありながら、大人でありながら、晃匡さんも結衣さんも「決定」ができなかった。

「冷静に離婚を決めて、親権は結衣、僕は家を出ていくということになりました。ただ、娘が高校を出るまではこのまま暮らしていこうと。それでも離婚は成立した。僕はあわてて真智子に連絡しました。離婚が決まったと。だけど真智子からは、『もう遅い。私は気持ちが切れました』と」

 その後、電話で話す機会があったのだが、真智子さんは毎日が楽しくて、仲のいい男友だちもできたと弾んだ声で言った。あなたには人生をやり直す機会をもらった、本当にありがとうというのが決別の言葉だった。

「僕の気持ちは切れていなかったけど、真智子は新しい世界を知って羽ばたくことができたんでしょう。タイミングが悪かった」

 思えば結衣さんからの離婚の申し出がもう少し早かったら、真智子さんと一緒になれたのかもしれない。あるいは結衣さんが離婚を言い出さなければ、彼は離婚しなくてすんだかもしれない。

「どちらもタイミングが悪くて、どちらも失った。今になってみると、いろいろなことが重なって、でも僕が決断できなくてこうなったんでしょう。娘は1年後には留学するらしいです。もう、みんな元気でいてくれればそれでいいやと思うしかありません」

 自分の人生があとどのくらいあるのかわからない。だが、人間、生まれてくるときも死ぬときもひとりだと思うことにした。

「今、うちは同じ屋根の下に暮らしながら、それぞれバラバラです。寂しいなと思うときもあるけど、完全にひとりきりになる準備期間だともいえる。誰かと一緒に暮らして家族ができて、いい形を継続させるのは本当にむずかしい。結衣も僕も、家庭を持つタイプではなかったのかもしれない」

 そう言ったあと、「正直言って、家庭を守りきれなかった自分が情けないです。でも結衣も娘も非常に元気なんですよ。女性は強いですね」と、彼は力なく言った。

 ***

「ずるずるしているうちにすべてを失った」と語る晃匡さん。結衣さんとの夫婦関係でいえば、スタート当初からすれ違いの兆候はうかがえた。妻の浮気疑惑を抱くに至ったエピソードなどは【記事前編】で紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部