元B1A4のジニョンがテコンドーのコーチに。戒厳令の下、台湾少女との淡い恋と儚い青春を描いた映画『あの写真の私たち』はこうしてつくられた
〈「私の犠牲で兄妹は大学へ行き、家まで建ったのに、なぜそんなに汚いものを見る目で私を見るの?」14歳で娼婦に売られた女性の再生の物語【『海を見つめる日』】〉から続く
5月30日、日本未公開の台湾映画の名作・話題作を紹介する「台湾文化センター 台湾映画上映会2026」の第2回が、大阪大学会館講堂(豊中市)で開催された。今回上映されたのは、1977年に起きた「中壢(ちゅうれき)事件」を背景に、若者たちの切ない恋と自立を描いた青春映画『あの写真の私たち』だ。
【写真】この記事の写真を見る(7枚)
上映後に行われたトークイベントには、本作の共同監督であり、数々のヒット作を手がけてきたプロデューサーでもあるフィル・タン(湯昇榮)監督が台湾からオンラインで登壇。聞き手を務めた上映会キュレーターのリム・カーワイ監督との間で、映画の知られざる舞台裏や歴史的背景について語った。

©台湾映画上映会2026
『あの写真の私たち』
1970年代、台湾北西部の街・桃園県中壢(現:桃園市)。写真館の娘・賢英(ムーン・リー)は日々、家業を手伝い、写真の撮影と現像に明け暮れていた。幼馴染の大学生・弘国(エディソン・ソン)は、近く行われる県長選挙の不正に反対する運動に身を投じていき、賢英も次第に巻き込まれていく。そんなとき、救国団(蔣経国によって設立された青年支援団体)に招かれ、韓国のテコンドー・コーチ、キム(ジニョン)が街にやってきた。賢英は次第にキムに惹かれていくが……。
監督:フィル・タン、フランク・チェン/2025年/台湾/126分/©2025 GrX Studio Co.,Ltd. All Rights Reserved.
知られざる「中壢事件」
リム・カーワイ(以下、リム) 残念ながらフランク・チェン監督が急遽欠席となってしまいましたが、その分、タン監督にたっぷりとお話を伺いたいと思います。この映画は1977年、台湾で起こった大衆運動の嚆矢とされる「中壢事件」を描いているんですけれど、おそらく、この事件に関して台湾人もあまり知らないんじゃないかと思います。この映画で取り上げたきっかけはなんだったのでしょうか。
フィル・タン(以下、タン) 私は客家人(はっかじん・中国から移住してきた漢民族)なのですが、中壢は客家人が多く住んでいるところです。長年、客家に関するドラマや映画を作りたいと思ってきて、以前、台湾で『茶金 ゴールドリーフ』というドラマを作りました。日本でも放送されて、配信でも見られると思います。それを作った後、次はみんなの記憶を呼び起こすような物語を作りたいと思い、中壢事件を思いつきました。
*中壢事件……1977年に桃園県長選挙の投票での中国国民党の不正行為に反発した中壢の市民が、市内の警察署を焼き打ちにした事件。当局と市民の衝突で大学生1名を含む2名が死亡した。
タン 中壢事件は台湾の民主化の発展において非常に重要な事件ですが、戒厳令下の当時はほとんど報道されず、人々の記憶から薄れていました。そのため、3年かけてフィールドワークを行いました。実は中壢事件に関する公式な報告書は、去年になってようやく出たばかりなんです。私たちは現地に行って多くの人にインタビューをしたり、当事者に話を聞いて手がかりを集めました。私たちは若者の成長の物語を通して、この中壢事件を語ることにしました。
プロデューサー自らが監督を買って出た舞台裏
リム 写真館の少女を主人公にしたロマンチックな物語にしたのはなぜでしょうか?
タン 最初にネットで中壢事件に関連するものを探した時、数枚の写真しか見つかりませんでした。それで、当時起きたことについて、誰か写真を撮った人はいないのか、写真が残っていないのかと非常に好奇心が湧きました。もし写真が残っていれば、当時のことを語る非常に良い素材になる。そこから、写真館からこの物語を語ることを考えました。写真館にはたくさんの写真が残る。当時のニュースが封鎖され、多くの人がこの事件を知らなかったという中、写真は多くの物語を伝えることができるのです。
リム フィル・タン監督は台湾ではすごく有名なプロデューサーですね。おそらく日本でも見られる、Netflixのドラマをいくつかプロデュースされています。この作品はなぜ自分で監督することになったのでしょうか? またフランク・チェンさんと共同監督をされることになった経緯も教えてください。
タン 実は当初はある監督と一緒に進めていたのですが、準備が長引きすぎて、その監督のスケジュールが合わなくなってしまいました。そしてチームから「この物語を一番よく理解しているプロデューサー自身が撮るべきだ」と言われ、私はずっとプロデューサーをしていて、確かにこの物語は私が一番よく知っていて、フィールドワークも深く行い、研究も重ねていたので、自分自身で監督として加わることにしました。そして、それならもう一人監督を探して共同監督としてやろうということになったわけです。
台湾と韓国の民主化運動に共通する背景
リム 台湾映画はいろんな言葉や、方言が使われますが、メインは台湾華語のことが多いです。でもこの映画は、全編、客家語になっていて、台湾華語を話してるのは、韓国人のキムコーチと数人だけです。これもすごく貴重な映画になっていると思います。客家語メインにされたことと、当時そういう韓国人が実際に台湾にいるという状況があったのかどうか、聞きたいと思います。
タン 私の多くの映画やドラマには客家の要素を入れています。この物語の舞台である中壢は客家人が非常に多い場所なので、客家語が重要な言語になります。ではなぜ韓国人のキャラクターが登場するのかというと、リサーチの過程で非常に興味深いことを発見したからです。
まず、当時の台湾と韓国の関係は非常に特殊でした。かつて日本に統治されていた歴史があり、その後、それぞれの国が独立した後に、共に民主化のプロセスにおいて非常に激しい運動が起きていました。
それで、中壢事件と光州事件を結びつけられないかと考えました。光州事件は韓国において非常に大きな事件ですが、中壢事件が起きた3年後に起きています。1970年代から韓国では多くの民主化運動が起きていました。ただ、中壢事件はこれまで誰も映画にしていませんでしたが、光州事件は多くの作品で描かれています。そこから、台湾と韓国の共通点を見つけてこの物語を語りたいと思ったわけです。
*光州事件……1980年5月に韓国の光州市(現・光州広域市)で起きた、市民の民主化運動に対する軍事政権による武力弾圧。死者は数百名に及ぶとされる。この事件を扱った韓国映画に『光州5・18』(2007)『タクシー運転手〜約束は海を越えて〜』(2017)『1980 僕たちの光州事件』(2024)などがある。
タン またリサーチの過程で、1970年代に非常に多くのテコンドーのコーチが台湾に来ていたことが分かりました。ベトナム戦争の後、韓国はテコンドーを海外に普及させており、台湾でも軍隊の中に格闘技術としてテコンドーを取り入れ、有事の際に素手でも戦えるように導入されました。それが徐々に軍隊から一般の協会や道場へと広がっていき、台湾でテコンドーを学ぶ人が増えました。1977年、まさに中壢事件の年に、台湾は世界テコンドー選手権で初めての金メダルを獲得しました。そして2004年のアテネ五輪で台湾が初めて獲得した金メダルもテコンドーで、その選手も客家人だったのです。こうした多くの繋がりがあり、テコンドーは非常に面白い切り口だと思いました。
元B1A4のジニョンのキャスティング
観客からは、ヒロインの賢英を読字障害(ディスレクシア)に設定したのはなぜか、という質問が出た。
タン リサーチで出会った老舗写真館の女性は、小学校も卒業しておらず、文字があまり読めなかった。彼女は文字が読めないけれど、写真を現像する。私たちはこのキャラクターを映画に投影しました。私たちは、主人公が文字は読めないけれど、画像や映像に対する認識能力が非常に高いということを際立たせたかった。そして、客家の家庭には男尊女卑の風潮があり、父親が「女の子は学校に行かなくていい、家で写真を現像していればいい」という態度をとる。そういう設定にすることで、この女の子が後に様々な経験を経て、自分でカメラを持って写真を撮りに行き、写真コンテストに参加して、自分自身の道を切り開いていくという、彼女の自立の精神を際立たせたかったのです。
リム テコンドーのコーチのキムは韓国の人気グループ「B1A4(ビーワンエーフォー)」のジニョンが演じています。キャスティングはどのように決められましたか。
タン キャストの条件として、歌が歌えることがありました。ジニョンも歌手ですし、もう一人の弘国役のエディソン・ソンも歌手です。なぜなら1977年は台湾のポップス界において「校園民歌(キャンパス・フォーク)」が始まった非常に重要な年だからです。大学生たちが自分で曲を書いて歌うコンテストが始まった年で、これが後の台湾のポップスを大きく発展させました。だから劇中でギターを弾いて歌う設定にしました。
ジニョンのキャスティングは、政治的なテーマを孕む作品だけに難航しましたが、ジニョン自身が脚本を5回も読み込み「どうしてもやりたい」と熱望してくれました。私もソウルに赴いて面会し、出演が決定したという経緯があります。
悲劇を次の世代に繋ぐために
観客からは、歴史的に重いテーマをなぜ瑞々しく美しい青春映画として描いたのか、という質問も出た。
タン 重苦しい歴史をそのまま突きつけても、今の若い観客は映画館に足を運んでくれません。当時のリアルな若者たちの生活や恋、音楽といったエンターテインメントの要素を盛り込み、観終わった後に、「あの時代には一体何があったんだろう」と、観客が自ら歴史を調べるきっかけになってくれれば、これ以上の喜びはありません。また、この映画のラストで描かれる大学生(弘国)の死も、実際に中壢事件で命を落とした学生たちをモチーフにしています。それは、悲劇をただの悲劇で終わらせず、次の世代へ繋ぐためでもあるのです。
私たちはこの映画を通して、若者たちの成長と、台湾のユニークな歴史、そして客家の文化を伝えたかった。過去の出来事を、現代の観客に響く独自のストーリーテリングで伝えること。これこそが、私たち映像に関わる者が果たすべき役割であり、台湾映画の持つ大きな魅力だと信じています。歴史の枠に縛られず、一般の人々のリアルな営みを通して普遍的なドラマを描き出す台湾の映画やドラマを、日本の皆さんにもぜひもっと観ていただきたいですね。
(週刊文春CINEMAオンライン編集部/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)
