2015年、38歳で乳がんステージ4を宣告された会社員の井出久日子さん(49)。当初は夫婦で支え合いながら闘病に向き合っていました。しかし、終わりの見えない治療、不安、そして経済的負担は、少しずつ二人の関係に影を落としていきます。夫婦関係のバランスが崩れた先にあったのは、離婚という決断でした。

【写真】酒で暴言を吐く夫には見えない!結婚式で微笑み合う夫婦のツーショットなど(8枚目/全13枚)

闘病は夫にとっても想像以上の負担だった

── 井出さんは2015年、38歳でステージ4の乳がんと診断されたそうですね。

井出さん:抗がん剤治療を受けながら自宅療養をしていた私は、夫の行動が信じられませんでした。周囲に相談できる人もいなくて、ひとりで耐えるしかありませんでした。

というのも、私の闘病生活が始まると、夫は、少しずつ変貌していったからです。お酒におぼれ、毎晩のように暴れながら「離婚してやる」と怒鳴るんです。翌朝になると彼はそのことをまったく覚えていなくて…。私が指摘すると、「ごめんね、本当に悪かったと思っている」と平謝りでした。あんなにやさしかった夫が…と、信じられませんでした。

── 病気でつらい思いをされていた時期に、追い打ちをかけるような苦しみだったと思います。

井出さん:耐えられなくなり、暴言の録音を聞かせた時の彼の驚いたような、あきらめたような表情は忘れられません。一生ともに生きていくと誓い合ったのに、いつの間にか私たちは別々の道を歩むことになりました。がんをきっかけに、夫婦関係に少しずつひずみが生じていったんです。今思えば、闘病する私を支えることは、彼にとって想像以上に大きな負担だったのだと思います。

闘病前はグランドスタッフや客室乗務員として活躍していた

病気で変わりゆく私を見た夫も徐々に追い込まれ

── 旦那さんはもともとどんな人だったのでしょうか?

井出さん:とても繊細で、気配りのできる人でした。私が友人と食事をしていて遅くなると、彼は友人のためにタクシーを呼び、代金も払っていたんです。さらに手土産にケーキまで用意するほど。「そこまで気を配るの?」とびっくりしました。誰に紹介しても「最高の旦那さん」と絶賛されました。外資系企業に勤めていて収入も安定し、周囲からも「理想の夫婦」と言われていたんです。

私の通院にも毎回付き添ってくれて、本当に献身的でした。ただ、がん治療は終わりが見えません。私の場合、骨への転移もあり、治療は長期に及びました。副作用が強く、髪の毛が抜けたり、顔がまん丸にむくんだりするなど、外見の変化も含めて精神的な負担は大きかったです。

きっと、隣にいた夫にとっても同じだったと思います。将来への不安や、「支えなければならない」という責任が、彼を少しずつ追い詰めていったのかもしれません。繊細な彼には耐えられなかったのでしょう。結果として、彼は心身のバランスを崩し、お酒に頼るようになっていきました。後にアルコール依存症と診断されたんです。

「支え合う」は言葉ほど簡単なことじゃない

── がんの闘病生活は当事者はもちろん、支えるパートナーにも大きな負担がかかってしまうのかもしれません。

井出さん:心身の負担だけなく、治療費による経済的な負担もありました。抗がん剤治療には月約9万円かかり、彼が負担してくれていたんです。私は通院などで思うように働けず、経済的にも彼に頼らざるを得ない状況だったので。そのため、夫婦の関係は少しずつ対等ではなくなっていった…と感じています。

どちらもサポートが必要だったのに、相手を気遣ったり、支えたりする余裕がなく、共倒れしていたのかもしれません。病気をする前の私は、バリバリ働いていたし、夫とは対等な関係だったのですが…それがガラガラと壊れていくような感覚でした。

闘病中は髪の毛がすべて抜けてしまった

夫のアルコール依存症を改善させるため、私は病院や自助グループ(同じ立場や経験を持つ人が交流し、回復を目指す集まりのこと)を探しました。支援者ともつながることができたんです。だから「いつかはよくなる」と信じていて…。でも、お酒をやめるのは難しいことでした。しばらくの間はやめられても、飲んでしまい、暴言を吐くの繰り返しでした。

アルコール依存症は脳の病気であり、理性だけではどうにもならないと痛感する毎日で…。いつも夫に振り回され、私自身のがんについて思いわずらう余裕もないほどでした。夫には情があったし、これまで支えてくれた感謝もありました。でも、夫の暴言は止まらず、何度も「離婚してやる」と怒鳴られて…。私にとってはトゲのように刺さる言葉で、ある時「もうダメだ」と限界を感じました。

「もう一緒に生きていけない」と伝えたのですが、夫はみずから別れる言葉を発していたのに、実際に離婚することをまったく想像していなかったようです。でも、夫婦の結末生涯をともに生きるはずだった人との生活に、終止符を打つことになりました。

── 夫婦の関係に終止符を打つまでには葛藤もあったと思います。

井出さん:振り返ると「支え合う」というのは言葉で言うほど簡単ではありませんでした。大きな困難の前では、お互いが不安定になるし、自分のことでせいいっぱいになってしまいがちで…。関係のバランスを保つこと自体がとても難しいんです。

2025年、私のがんはようやく寛解状態になりました。診断から10年、本当にさまざまな経験をしました。もちろん、がんに罹患したからといって、誰もが離婚を選ぶわけではないと思います。「あの時、どうしたらよかったんだろう」と考えることもありますが、今でも正解はわかりません。それでも私は、自分の選択を後悔していません。あの時、必死に日々を過ごした結果だからです。当時の決断が今の自分を形づくっていると思っています。

取材・文:さいだ多恵 写真:井出久日子