「NoB追悼ライブ」に出演した「OSAMU METAL 80'S」「URUGOME」「GRAND−PRIX」「DAIDA LAIDA」(撮影・川田和博)

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昨年8月、61歳で亡くなった“NoB”こと山田信夫さんの追悼ライブ「NoB追悼ライブ」が22日、都内で開催され、現役ハードロックミュージシャンによる本気のカバーバンド「OSAMU METAL 80'S」(オサメタ)などが出演した。

オサメタはNoBさんがボーカルを務め、ギターはEARTHSHAKERの石原“シャラ”慎一郎(66)、ベースは元BLIZARDの寺沢功一(62)、キーボードはNoBさんとともにMAKE−UPでデビューした盟友河野陽吾(63)、ドラムは元No'whereの藤井修(65)というラインアップ。今回、サポートボーカルとしてBLINDMANのRay(59)が参加した。

Rayは「NoBさんが(会場に)来てくれているだろうなと楽屋でも話していた」とすると、「集まってくれたみんなの声も届いていると思います。NoBさんにみんなの声が届くように!」に会場は大歓声で応えた。

JOURNEY「Separate Ways」、EUROPE「The Final Countdown」など80年代洋楽のヒット曲で、オサメタが定番曲としてきた5曲でNoBさんを追悼した。

メンバーはライブ前、取材に応じた。NoBさんとの関係を“腐れ縁”という河野は、「酸いも甘いも、全てを私は知っています」。若かりし頃、「フラれてね、通りを上下白のスウェットで爆走していましたね」と過去を暴露しつつも、それは愛情の裏返し。「なので、弟みたいな、もう家族ですよね」としのんだ。

寺沢はNoBさんを「日本を代表する世界的なシンガー」と位置付け、「唯一無二のシンガーと一緒に音楽ができたのは、本当に幸せでした」。

NoBさんがデビューしたMAKE−UPとは「当時はまだ若かったし、それぞれがライバルだった」というシャラは、オサメタを機に交流がタート。「僕がだいぶ年上だったので、いつも優しく接してくれて、いいやつやった」とほほ笑んだ。

NoBさんがソロ活動を始めてから出会った藤井は「家族ぐるみで付き合っていて、同士でもあり、弟でもあった」とした。

今回サポートボーカルとして参加したRayは「もう、レジェンドです」とすると、「学生の頃から聞いていて、もう雲の上の存在というか、憧れのもうボーカリストです」。また、「テクニック的なものももちろん、甘く切なく響かせるあの声質は唯一無二で、あの人にしか出せない世界観」とし、「いちボーカルとしては、本当に嫉妬してしまいます」と大絶賛した。

Rayはシャラの紹介で参加。「シャラさんがいってくださるのなら、僕も少しはお手伝いできるのかなと思った」とすると、「やるからにはやっぱり喜んでもらいたいですし、もちろんNoBさんにも喜んでいただけるような、そんな歌を精いっぱいやりたい」と意気込んだ。その宣言通り、会場は大歓声に包まれ、その思いはNoBさんに届いたはずだ。

河野は「本人は死ぬ気が全くなくて」とすると、「多分死んだ後も“俺、なんでここにおんのやろ”という感覚でいたと思う。だから、多分今日もおると思う」。亡くなる直前までステージに立ち続ける姿も見てきた。「ずっと、頑張っていたから。その痛みから解放された安堵(あんど)感に浸っててほしいなと思う」と吐露した。

同ライブにはオサメタのほか、生前NoBさんが在籍したバンドとして「URUGOME」「GRAND−PRIX」「DAIDA LAIDA」も出演した。

NoBさんは1984年、ハードロックバンドMAKE−UPのボーカルとしてデビュー。アニメ番組「聖闘士星矢」の主題歌「ペガサス幻想」が大ヒット。同バンド解散後はバンド活動の他、ソロ活動で「轟轟戦隊ボウケンジャー」「天装戦隊ゴセイジャー」の主題歌を担当するなど、特撮ソングでも人気を集めた。

17〜18年頃に腎臓がんが発覚。24年には脳腫瘍も患うが、亡くなる直前まで不屈の精神で歌い続けていた。