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なんとなく気分が晴れない。夜、理由もなく不安になる。体の不調は病院で相談できても、「こころの不調」は後回しにしていませんか? 内科医であり心理カウンセラーでもあるDr.野上は、日々の診療のなかで“心と体は切り離せない”と実感してきました。本連載では、がんばりすぎてしまう大人世代に向けて、今日からできるやさしいメンタルケアをお届けします。

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毎年4月に「医療現場」で起こる現象とは

4月は、日本社会において特別な意味を持つ季節です。入学、入社、異動、昇進、転勤…。社会全体が一斉に新しいスタートを切り、街には新しいスーツを着た新社会人や、新しい制服の学生の姿が増え、希望に満ちた雰囲気に包まれます。

しかし医療の現場では、この時期になると毎年ある現象が起きているのです。

それは、4月から5月にかけて心身の不調を訴える人が急増するということ。

外来では次のような症状を訴える人が増えてきます。

●眠れない

●胃腸の調子が悪い

●頭痛やめまいが続く

●食欲がない

●集中力が続かない

●朝起きるのがつらい

こうした症状は「五月病」と呼ばれることもありますが、実際には多くの場合、4月の段階から静かに始まっています。

そして興味深いのは、この不調が「頑張っている人」「責任感が強い人」「仕事で成果を出している人」に多く見られるという点です。

その背景には、年度末から新体制への移行が人間の脳や自律神経に与える影響があります。

新しい環境に入る=脳に負荷がかかる

3月から4月にかけては、1年の中でも特に環境の変化が大きい時期です。

年度末の業務整理、引き継ぎ、組織再編、人事異動、新しい上司や部下との関係構築…。こうした変化は、脳にとって大きな負荷となります。

人間の脳は本来、安定した環境を好むため、環境が変わると、脳は新しい情報を理解し適応するために多くのエネルギーを消費することに。

たとえば新しい職場では、「この職場では何が評価されるのか」「上司はどのような価値観を持っているのか」「同僚との距離感はどうすればよいのか」といったことを、無意識のうちに常に処理しているのです。

心理学では、こうした環境の変化は「ライフイベントストレス」と呼ばれます。

1967年に精神科医ホルムズとレイが発表した研究では、昇進や転職などのポジティブな出来事であっても、人間にとっては大きなストレスになることが示されていました。

つまり、新しい環境に入ること自体が脳にとって負荷になるのです。

ストレスが続くと、自律神経のバランスが崩れることに。

自律神経には交感神経(活動モード)と副交感神経(回復モード)があり、新しい環境では交感神経が優位な状態が続きやすくなります。すると睡眠の質の低下、胃腸機能の低下、免疫力の低下、慢性的な疲労感といった変化が身体に現れるのです。

さらにストレスが長く続くと、脳の視床下部・下垂体・副腎をつなぐHPA軸が刺激され、コルチゾールというストレスホルモンが増加。

このホルモンは身体を守る役割を持っていますが、慢性的に増え続けると睡眠障害、集中力低下、気分の落ち込みといった症状を引き起こします。

つまり4月の不調は、単なる気の持ちようではなく、脳とホルモンの生理的反応として起こるものなのです。

"責任感が強い人"ほど危ないサイン

では、なぜ優秀な人ほど不調を抱えやすいのでしょうか。その理由の一つが、強い責任感です。

成果を出す人ほど「迷惑をかけてはいけない」「早く結果を出さなければ」「期待に応えなければ」という思いが強くなります。この姿勢は仕事を前に進める大きな力になりますが、同時に身体のサインを無視する原因になることも。

本来、人間の身体は非常に賢くできています。疲れていれば眠くなる、ストレスが強ければ食欲が落ちる、集中力が低下する。これはすべて身体からの「休息が必要」というメッセージです。

しかし責任感が強い人ほど、このサインを「まだ頑張れる」「ここで休むわけにはいかない」と抑え込んでしまいます。その結果、疲労は静かに蓄積していくのです。

特に注意したいサインには次のようなものがあります。

●以前よりイライラしやすくなる

●小さなミスが増える

●仕事のことが頭から離れない

●休日でも疲れが抜けない

こうした状態は、脳が過度の緊張状態にある可能性が。早めに気づき、意識的に回復の時間を取ることが重要です。

1日30分の「戦略的リセット」

環境変化のストレスを乗り切るために重要なのは、意識的に回復の時間を作ること。

おすすめなのが「1日30分の戦略的リセット」です。ポイントは、脳を仕事モードから回復モードへ切り替えること。具体的には次の4つの方法を組み合わせてみてください。

1 散歩(20〜30分) 自然の中を歩くことで、ストレスホルモンが低下し、気分が改善することが研究で示されています。通勤や昼休みに少し遠回りするだけでも効果があります。

2 デジタルデトックス(画面から離れる時間) スマートフォンやパソコンから流れ込む大量の情報は、脳を疲労させます。30分だけでも画面から離れることで、脳は回復モードに入るため、食事中や就寝前に試してみましょう。

3 深呼吸(1〜2分) ゆっくりとした深い呼吸は副交感神経を活性化させ、身体の緊張を和らげる効果が。息を4秒吸って、8秒かけてゆっくり吐く「4-8呼吸法」は、手軽で即効性があります。

4 軽いストレッチ(5〜10分) 筋肉をゆるめることは、脳の緊張を緩和する助けになります。肩や首まわりを中心に、ゆっくりほぐすだけでも十分です。

この4つをすべて行う必要はありません。今日の状態に合わせて、できるものから取り入れてみてください。大切なのは「毎日続けること」です。

空気を整えるコミュニケーション

リーダーや管理職の方には、個人のリセットに加えてもう一つ意識していただきたいことがあります。

自分のストレスが、知らないうちにチームの雰囲気に影響しているかもしれないということです。

ストレスが高い状態では、脳の前頭前野の働きが低下し、感情のコントロールが難しくなることが知られています。そのため、まず自分自身が整っていることがチームへの最大の貢献になるのです。

その上で、コミュニケーションでは「結論より共感を先に伝える」ことを意識してみてください。「それは大変だったね」「忙しい中ありがとう」。この一言だけでも、相手の緊張は大きく緩みます。

また、「最初から完璧なチームを目指さない」という視点も大切です。

近年の組織心理学では、チームがうまく機能するためには「心理的安全性」、つまり意見を言っても否定されない、失敗しても責められないと感じられる環境が重要だとされています。

新しいチームは、最初は多少の混乱があるのが自然です。焦らず、安心できる雰囲気をつくることが、結果として生産性の向上にもつながります。

「頑張る」より「回復」が大切

4月は、多くの人が「頑張らなければ」と思う季節です。しかし、長期的に高いパフォーマンスを維持するために本当に必要なのは、頑張ることだけではありません。

人間のパフォーマンスは、「ストレス × 回復」のバランスによって決まります。

どれだけ能力が高くても、回復が追いつかなければ、心と身体は必ず疲弊してしまいます。実際に成果を出し続けている人ほど、回復の時間を戦略的に確保しています。

もし最近、眠りが浅い、食欲が落ちている、以前より肩や首のこりが続く、些細なことでイライラするといった変化を感じているなら、それは身体からの大切なサインかもしれません。

環境が大きく変わる4月は、普段以上に自分のコンディションに目を向けることが大切です。

まずは1日30分のリセット時間を作ってみてください。環境の変化に身体と心が適応するには、少し時間がかかるでしょう。でも焦る必要はありません。

その小さな習慣の積み重ねが、新しい環境でも持続的に力を発揮できる土台になります。新しい季節を乗り切るために大切なのは、無理をすることではありません。自分を整える習慣を持つことなのです。