竜太郎には悪いことをした…(C)共同通信社

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【山粼武司 これが俺の生きる道】#80

【前回を読む】現役続行へ背中を押した息子の一言 楽天ファンには悪いが「妙に楽な気持ち」で仙台行きを決めた

 2004年オフに新規参入した楽天への入団を決意した。

 契約交渉の相手は楽天の初代編成部長だった広野功さん。初めは「年俸3000万円」を提示されたが、「年俸5000万円+出来高払い」にしてもらった。

 広野さんといえば、背番号のことを思い出す。その年の12月、友人との韓国旅行中に携帯電話が鳴った。

「山粼、背番号のことなんだけど、どうする?」

「何番が空いているんですか?」

「それが、ほとんど決まっちゃっているんだよ」

 そう言って、2ケタの背番号を2つほど提示されたが、「嫌です」と即答した。どうしても「7番」が欲しかった。娘の名前が「菜々」だから。

 中日がリーグ優勝した1999年に生まれた。当時まだ5歳。オリックス時代は単身赴任で家を空けることも多く、久しぶりに帰れば「パパ、次はいつ帰ってくるの?」と聞かれるのがお決まり。そのたび「パパ!」とくっついて離れない。かわいくて仕方なかった。

 2人目の子供であまり目をかけてやれなかったこともあり、「これからは娘の名前を背負って野球をしたい」と決意。しかし、広野さんからはこう言われた。

「悪いな、7番はすでに決まっちゃっているんだよ」

 最後の最後に入団が決まったから、それもそのはず。でも、「7番」は絶対に譲れなかった。

「そうですかあ。ちなみに7番は誰ですか?」

「竜太郎だよ」

「じゃあ本人と話つけるので、それならいいですよね」

「ああ」

(辻)竜太郎(現西武二軍野手コーチ)はオリックスの元同僚。プロ野球再編による分配ドラフトで楽天入団が決まっていた。チームメートだったから、すでに連絡先を知っていた。

 電話でこう切り出した。

「竜太郎、おまえ、背番号7らしいな」

「はい」

「ええよな」

「え?」

「分かってるよな?」

「……あ、はい。分かりました」

「俺とおまえの実績見たら、当然だよな?」

「はい、大丈夫です!」

 つくづく俺も悪い先輩だったな(笑)。そのときはツッパりたかったのだろう、「悪いな」とすら言わなかった。娘のことも一切言わなかった。

 それから10年が経った2015年。竜太郎が14年に現役を引退し、古巣オリックスに指導者として戻ったとき、「コーチになります」と電話をもらった。俺はそのとき初めて背番号の件を謝罪した。

「あのときは迷惑かけて悪かったな。なのに俺、おまえにまだ何もお返ししてないな」

「いえいえ、いいんです」

「万が一、俺が偉くなったら、必ずおまえにお返しするからな」

 そんな約束を交わした。
(山粼武司/元プロ野球選手)