「失敗したくない老舗企業」でもAIは使いこなせる…「稼ぐAI」を導入した東京ガスが直面した"最大の壁"
※本稿は、エクサウィザーズ『エネルギー業界を変革するAX戦略』(電気書院)の一部を再編集したものです。

■老舗インフラ企業が「AIネイティブ企業」へ
東京ガスは、明治18年(1885年)に創立され、連結従業員数1万5572名(2025年3月時点)の伝統的大企業です。以前からデータ分析を内製化し、データサイエンティストのスキルと自律性を育み、最近では、「AIネイティブ企業への変革」を掲げています。
「AIやデジタルは、私にとって『ブッシュマンのコーラ瓶』のようなものです」
東京ガスのDXを率いるCDO(最高デジタル責任者)、清水精太氏の言葉は、多くの企業が抱く「AIは、業務効率化のツールである」という固定観念を根底から揺さぶります。

「映画『ミラクル・ワールド ブッシュマン』では、空から落ちてきた1本のコーラ瓶が、それまで存在しなかった道具となり、人々の生活や文化、さらには争いの火種にさえなっていきます。テクノロジーは、単に既存の業務を助けるだけではありません。ときとしてそれは、事業のあり方そのもの、すなわち戦略自体を規定するほどの力を持っているのです」
多くの日本企業が「To-Be(ありたい姿)」から逆算してAIの使い道を考えるなか、東京ガスは、AIという新たな「コーラ瓶」を手にしたことで開ける新しい視野、新しいマーケットを常に見据え、AIを単なるツールではなく、事業を拡大するための「共通言語」として捉えています。同社がビジョンとして掲げる「AIネイティブ企業」への変革は、この強烈な問題意識から始まっているのです。
■情報を調べさせるだけではもったいない
生成AIの活用においては、まず生産性向上が注目されがちです。しかし、清水氏は、「物知りAIばかり増えても仕様がない」と断言し、「稼ぎにつながるAI活用」を明確に打ち出します。
そして、生成AIを単なる情報検索の効率化で終わらせることに警鐘を鳴らします。AIが瞬時に答えを提示したとしても、それが事業価値に結びつかなければ意味がないからです。
「われわれが問うべきは、その活用がトップラインとボトムラインにどう効くかということなのです」。
では、「稼ぐAI」の具体的な姿とは、どのようなものでしょうか。
■調査コンサルティングを任せて外注費削減
トップライン向上については、AIを「アイデアと試行回数の増幅器」として活用します。
人が月に10個しか出せないアイデアを1000個創出し、高速でウェブテストにかけることができれば、「当然トップラインを増やすことにつながります」。一方、ボトムライン抑制については、「外注費をいかに減らしていくか」が主眼です。単純な調査コンサルティングや、将来的には広告宣伝関連の業務までも、AIで内製化することを目指しています。
さらに、東京ガスが見据えるのは、その先です。業務プロセスを人間に最適化するのではなく、AIの創発性を前提に再構築する「AIファースト」の業務プロセスなのです。これは、単なる効率化ではありません。人間の発想を超えたプロセスをAIに考案させることで、事業構造そのものを変革しようという野心的な試みといえるでしょう。
一方、エネルギー業界は、「5つのD」(※)という構造変化に直面しているといわれています。こうした構造変化と、東京ガスのDXビジョンは、どう関連しているのでしょうか。
※デジタル化(Digitalization)、脱炭素化(De-carbonaization)、自由化(Deregulation)、分散化(De-centlization)、人口減少(Depopulation)
清水氏は、「人口減少(Depopulation)」が最もクリティカルな課題だと指摘します。生成AIによる生産性向上も、深刻な人材不足を「軽減するに過ぎない」ため、より踏み込んだ活用が不可欠だというのです。
「もっと徹底的にAIを活用することを考えないといけません」。具体的には、ヒューマンタッチが不要な単純作業はAIで代替し、代替が難しい現場業務も「生産現場で使うロボットスーツのように、AIで人の業務負荷を軽減し、ひとり何役もこなせるようにします」。そこまで徹底して初めて、人口減少という大きな課題に対応できると考えているのです。
■若手社員が保守的な企業を動かした
東京ガスは、「DX銘柄2020」、「DX注目企業2023」、「DX注目企業2025」に選定されており、継続的にDXに取り組んでいる企業として評価されています。どのようにしてDXを軌道に乗せていったのでしょうか。その舞台裏を岸澤剛氏と笹谷俊徳氏に伺いました。
「東京ガスは、世の中の先端を行ってチャレンジするような人が集まるところではありませんでした。どちらかというとインフラを守るという、保守的なDNAが強いところなので、ある程度思い切ってやらないと、なかなかアクセルは踏み切れません。きっかけは、生成AIの登場と、若手を中心にAIを学びたいという機運が高まったことです」

■インフラ業界の「失敗しない」文化
この機を捉え、東京ガスは、DXプロジェクトの実践と人材育成を連動させる「好循環」の仕組みを構築しました(図表1)。

こうしたDX人材育成の取り組みには、エクサウィザーズも一部支援を行っており、研修で学んだ人材が新たなDXプロジェクトを生み、そのプロジェクトがまた次の人材を育てるというサイクルを回すことで、組織全体の変革を加速させていきました。
さらに、メンバーのマインドセットの変化も課題だったと岸澤氏は指摘します。
「インフラ業界は、失敗しないことが基本。そのため『失敗してもいいから、まずやってみよう』という文化は、なかなか受け入れられにくい素地がありました」と岸澤氏は言います。
若手から「会社のためにこれをやるべきです」と言う提案があっても、内発的な「これがやりたいです」と言う声は少なかったのです。
「そこを『これは絶対やったほうがいいです、やりたいです』と、主体性をもって語れるようになってほしかった」。その思いから、DX推進部では、『Fueled by Passion, Empowered by Digital.(情熱を胸に、デジタルを力に。)』というスローガンを作成したり、メンバーとの対話では、意識的に「あなたは、どうしたいの?」と問いかけるようにしたりと、一人ひとりの当事者意識を高める工夫を重ねていきました。
■「AIエージェント」が社長の口癖に
また、経営陣の発信も非常に効果があったといいます。
「経営会議で毎週ひとりの役員が当番で、自部門でのAI活用を自分の言葉で語るという取り組みも始まりました。また、『AIエージェント』と言うフレーズが社長の口から頻繁に出るようになったことで、『何かやらなくては』という機運が一気に加速した」と岸澤氏は振り返ります。
生成AIツールについて、多くの企業が「内製か、SaaS(Software as a Service)か」という二者択一の課題に直面します。AIを競争力の源泉と捉えれば内製化が望ましいものの、その驚異的な進化スピードを前に、すべてを自社で開発するのは、現実的ではありません。
この葛藤に対して東京ガスは、「固有性」という明確な判断軸のもと、エクサウィザーズが提供する生成AIツール「exaBase 生成AI」をはじめとしたSaaSの活用や、内製開発とを巧みに使い分けています。
■生成AIツールを内製化するメリット
その「固有性」の意味について、笹谷氏は以下のように解説します。
「固有性には、2つの側面があります。ひとつは、業務そのものが当社独自であること。そしてもうひとつが、業務は一般的でも、データやナレッジに固有性があるケースです」
「例えば、……」と笹谷氏は続けます。一般的な顧客ペルソナ(特定の製品やサービスを利用する理想的な顧客像を具体的に描いたもの)やカスタマージャーニーマップ(顧客が商品やサービスを認知し、購入するまでの一連のプロセスを視覚化したもの)を作成するだけなら、優れたSaaSツールが数多く存在します。
しかし、「自社が持つデータやナレッジを使って、具体的なマーケティングプランまで落とし込む」。そこには、他社にはまねのできない価値が眠っており、内製で開発する意義が生まれるのです。
AI基盤「AIGNIS(アイグニス)」(図表2)の開発と並行して、ユーザーである事業部門の意識も大きく変化しました。「AI技術の進化でできることが増え、活用への意欲・関心は、指数関数的に拡大している」と笹谷氏は言います。

■最終目標は「組織の全員が使いこなす」
かつては、DX部門から各事業部へ活用を働きかける「営業」が必要でしたが、今では、AIとは縁遠いと思われていた監査部や総務部からも相談が舞い込むほど、その立場は逆転しました。
しかし、この喜ばしい状況は、同時に新たな挑戦の始まりでもあります。それは、一部の先進的な取り組みから、全社的な業務変革へとスケールさせるという、極めて難易度の高い課題です。笹谷氏は、その核心を以下のように語ります。
「PoC(Proof of Concept:概念実証)やアプリ開発までは、事業部門のキーパーソンと連携すれば可能です。しかし、それをしっかり使い、効果を刈り取ろうとすると、組織全体の巻き込みが必要です」
ユースケースの数を増やす段階から、一つひとつの価値を最大化する段階へ。開発したAIツールを一部の担当者だけでなく、「組織の全員が使いこなす」状態を目指す挑戦は、今まさに始まったばかりです。
■大企業ならではの障壁は「データ」
AIネイティブ企業への変革を進める東京ガスですが、その道のりは、決して平坦ではありません。同社は、自社の課題を冷静に見つめ、その先に築くべき競争優位性を明確に描いています。その実践から得られた知見は、同じ道を歩もうとする多くの企業にとって貴重な道標となるでしょう。
東京ガスが「AIネイティブ企業」へと進化するうえで最大の障壁は何か。CDOの清水氏は、人材や経営層の理解といったテーマを挙げつつも、本丸は「データ」であると断言します。
「究極的なボトルネック(隘路(あいろ))はデータだと思います。データの正確性、一貫性、完全性、即時性を担保できるアーキテクチャとガバナンスルールが不可欠です。質の高いデータが集まらない。それは、お金がないということと同意です」
多くの大企業がレガシーシステム(過去の技術や仕組みで構築されている古いシステム)のしがらみでデータのサイロ化(縦割り)に苦しむなか、東京ガスは、この本丸の課題から目を背けません。そして、単にデータを集めるだけでなく、「データ間のシナジー(相乗効果を生む共同作業や協力)を活かすことがポイント」だと清水氏は続けます。
■いち早く質の高いデータを蓄積できるか
例えば、顧客の省エネ設備のデータに、天気や市場のデータを組み合わせれば、新たな価値提案が可能になる。個別のデータをサイロ化させず、「意図を持って複数のデータを集めてシナジーを実現する」ことこそが、データ活用の本質なのです。

なぜなら、テクノロジーが民主化され、どの企業もデータを当たり前に取るようになった
10年後、その競争優位性は、「データの質と蓄積スピード」から生まれると確信しているからです。
「早く取り組まなければ、その差は、縮めることが非常に困難な差になると思うのです。データは、集まるところにどんどん集まってくる。GAFAM(グーグル、アマゾン、フェイスブック<現メタ>、アップル、マイクロソフト)がその典型例で、蓄積されたデータの先行者優位は、そう簡単にはひっくり返らないのです」
いち早く質の高いデータを蓄積し、シナジーを生み出す活用ができる企業に変貌を遂げることが重要です。そこにこそ、先行者としての圧倒的な優位性が生まれるのです。
地道な人材育成や文化改革という土台の上に、CDOの明快なビジョンと「稼ぐAI」の実践が重なり、AIネイティブ企業としての進化が形を帯びつつあります。データという最大の障壁と向き合い、その先に広がる先行者としての未来を見据える東京ガスの動向から、今後もますます目が離せません。
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清水 精太(しみず・せいた)
1995年入社。2022年、総合企画部長として中期経営計画の策定やソリューションブランド「IGNITURE(イグニチャー)」の立ち上げなどを主導。2025年より常務執行役員、CDO、DX推進部担当、カスタマー&ビジネスソリューションカンパニーソリューション共創本部長。
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岸澤 剛(きしざわ・ごう)
1998年入社。2019年、総合企画部経営計画グループマネージャーとして経営ビジョン「Compass2030」の策定を主導。2023年よりDX推進部長。
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笹谷 俊徳(ささや・としのり)
2008年入社。データ分析組織にて各種データサイエンスプロジェクトやデータ基盤整備に従事。2024年よりDX推進部データ活用統括グループマネージャー。
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(清水 精太、岸澤 剛、笹谷 俊徳)
