語られなかった記憶 台湾出身被爆者の『ヒロシマ』
81年前、広島で被爆した人たちの中には台湾出身の人たちもいました。
そのうち、今も存命なのは10人以下となりました。これまでほとんど語られてこなかった、台湾の被爆者を取材しました。
広島から南西に約1500キロ。台湾・高雄市にある博物館。
ここには、台湾がたどってきた戦争の歴史が展示されています。
■館長
「こちらは、台湾の日本統治時代に関するものです。」
並べられていたのは、台湾の人々が日本兵として戦った証。日本は日清戦争後の1895年から50年間、台湾を統治していました。
南部にある小さな漁村。ここに日本統治下の台湾で生まれ、広島で被爆した男性が暮らしています。蔡崇金(サイ・スウキン)さん(97)。高齢者センターで体操をするのが日課です。
■蔡 崇金 さん
「朝は手足の運動。午後は絵を描くんです。」
家でよく見ているのは、日本の番組です。
■蔡 崇金 さん
「相撲好きです。今は、3月ないね。」
1928年、この家で生まれました。
■蔡 崇金 さん
「お父さんの商売は雑貨商で、主に日本人との付き合いです。」
日本が統治していた時代。日本語で日本と同じ教育を受けていました。1941年に小学校を卒業後、母親の勧めで日本へ留学。選んだのは担任の出身だった広島。現在の広陵高校に入学しました。
■蔡 崇金 さん
「勉強は1週間に2日くらい。単に頭は大学へ入る思いだったけど、入れなかった。」
卒業後は広島市内の航空機工場に勤務。そして、8月6日。強い光と爆音で、とっさに机に隠れました。
■蔡 崇金 さん
「机の下に隠れたけど、工場がぺっちゃんこになって、机の下敷きになった。『助けてください』と叫んだら、同志が来て引っ張り出して。」
外に出たときの光景は、今も鮮烈です。
■蔡 崇金 さん
「広島市内から焼かれた人が、徐々に飛行場に歩いてきて、焼かれた人は、みんな亡くなってしまう。生きてる私たちは、飛行場の土を掘って、下に板入れて、死んだ人を焼いて遺骨を拾ったんです。」
『ふるさとに戻りたい』沸き上がってきたのは、祖国への思いでした。
■蔡 崇金 さん
「親父(おやじ)、母親に会いたい気持ちだけ。(両親は)自分の息子が日本で原子爆弾が落ちてから、死んでいるか生きているか、全然分かっていないから、連絡していないから、帰ったときの気持ちは本当にうれしい。」
終戦翌年に母国に帰った蔡さん。日本の統治が終わり、台湾は国民党政権の支配下に入りましたが、中国共産党軍の戦いが始まるなど、混乱が続きました。蔡さんは、父親が営んでいた雑貨商を継ぎ、結婚。3人の子どもに恵まれました。
激動の時代を生きた蔡さん。被爆の体験は家族にも語りませんでした。
■蔡 崇金 さん
「(被爆体験を)話したくないね。子どもや孫は生活が良ければ、それだけでいい。核兵器は国と国の争い。生活は自己の生活だから、子どもが生活に苦しまなければ、それでいいだけです。」
あの日から81年。台湾出身の被爆者は10人を切りました。台湾に残るヒロシマの記憶を消してはいけない。
3月、ある男性が蔡さんの元を訪れました。台湾の中部にある「国立中興大学」。助教授の洪鈞元(ホン・ジュンユェン)さん(44)。台湾の文化研究を専門にする洪さんが今、取り組むテーマは・・・。
■洪 鈞元さん
「被爆者には、実は固有の呼び方があります。”ヒバクシャ”という言葉です。」
洪さんは、これまでほとんど語られてこなかった「台湾被爆者」の記録を調べ、伝える活動をしています。
■学生
「台湾人の被爆という問題については、私たちはこれまであまり耳にすることがなく、議論されることも少ないテーマだと思う。きっと私たちの記憶の中に何かしらの痕跡を残し、みんながこの問題について、考えるきっかけになるのではないかと思う。」
洪さんが原爆について調べ始めたのは5年前。妻の祖父・林義方(リン・イーファン)さんが、広島で被爆したことが知ったのがきっかけでした。林さんは広島の高校に留学し、その後、広島大学に進学。学徒動員で軍需工場で働いていたときに原爆が投下。救援活動で入市被爆しました。亡くなるまで被爆体験を語らなかった林さん。
生前、「絶対に開けてはいけない」と家族に伝えていたカバンには、被爆の記録がおさめられていました。
■洪 鈞元さん
「この歴史は、自分自身が実際に体験したわけではないので、どこか現実感がなく非現実的なもののように感じていました。しかし、実際に目の前にすると『本当にあったことなんだ』と強く感じました」
台湾の被爆者から直接話を聞きたい。訪れたのは、台湾の被爆者・蔡崇金さんです。自らが調べた記録と照らし合わせながら、蔡さんの足跡をたどっていきます。
■蔡さん
「紙屋町のところ、そのあたりです。爆風は、この辺りまで広がりました。ちょうどあの上空で爆発したんです」
「あの日」の記憶を、つなぎとめる。
■洪 鈞元さん
「あなた方が、過去に広島で経験した歴史を伝えていくことは、重要なことです。そして、蔡さんご自身こそが、とても重要な存在なのです。」
■蔡 崇金 さん
「もう体は、あまり良くありませんが。」
■洪 鈞元さん
「そんなことないです。とてもお元気そうに見えます。どうかこれからも元気で、長生きしてください。」
中国からの軍事的な圧力を受けている台湾。中国大陸が見える「金門島」に配備されているのは、中国に向けられた大砲です。世界で新たな戦争が始まったいま。蔡さんが訴える、平和への思いは。
■蔡さん
「(核兵器を)使ってはいけない。中東の戦争が拡大すれば、また戦争が起こってくるかもわからない。核兵器は戦争、国と国の戦い。生活は人民の生活。だから、戦争は避けるほうがいいです」
戦争に翻弄された人生を生きた台湾の被爆者たち、語られなかった記憶を未来につなぎとめる。戦争の足音にかき消されないように・・・。
【テレビ派 2026年4月10日 放送】
