坂東玉三郎「若さを失っていくことに焦りを感じ、老いに抗おうとしたときもありました。でもある時期から、そうしたこだわりがはらりと剥がれ…」
歌舞伎界の未来を見据え、新作などにも挑み続けている坂東玉三郎さん。先達の教えの大切さ、年齢との折り合いのつけ方、創作のために大切な時間――75歳の今だからこその心境を語って(構成:篠藤ゆり)
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今のうちにやっておかないと
「坂東玉三郎」の名を襲名したのは1964年で、14歳のときです。そこから62年、あっという間だった気がします。75歳となった今は、若手の歌舞伎役者の方と共演することが増えましたし、いただいた舞台の一つひとつを大事にしながら取り組んでいます。
何年か前の取材のときにもお話ししましたが、年齢による体調の波はありますし、体力の衰えも実感しています。長年舞台で踊っていると、「あぁ、もうこれ以上できないな」と自分でわかるものです。
いろいろできなくなってきたからといって、これまでずっと積み重ねてきたことを省略した形で舞台に出演したくはないのです。ですから私は、自身で幕を下ろそうと決めて実行してきました。
たとえば、『鷺娘』は、重さ十数キロにもなる衣裳や鬘をつけて踊る演目ですが、もっとも早くに、2009年を最後といたしました。
そんなふうにして一つひとつ大役をおりてきたわけですが、それほど残念だとは思っていません。ありがたいことに若いときから大役をいただいて、たくさんのお役を演じてきましたから、悔いはないのです。
それに自分が出ない舞台でも、お客様が楽しんでくださるものを作ることも大事なのです。新作歌舞伎の『火の鳥』などの新しい作品を作るにも体力がいりますから、この先いずれ、それもできなくなるかもしれません。今のうちにやっておかないと、という思いはあります。
若さを失っていくことに焦りを感じ、老いに抗おうとしたときもありました。でもある時期から、そうしたこだわりがはらりと剥がれて、自分から離れていった感じがします。今の自分にできることをすればいい――。そういう心境になったのです。
長く生きていると、別れも増えてきますね。同時代の俳優として舞台をともにしてきた十八代目中村勘三郎さんは2012年に、十二代目市川團十郎さんは13年に亡くなりました。
そして、私が19歳のとき出会って、翌年初めて写真を撮っていただいて以来、長いおつきあいだった写真家の篠山紀信さんも、24年に鬼籍に入られた。
本当に寂しいですけれど、別れを経験するのも人生です。受け止めなければいけないと思うようになりました。
「決して驕ってはいけない」
若手に歌舞伎を継承していくことも、長くこの世界にいる人間の責務だと思っています。
特別になにかを伝えるということではなく、一緒にお稽古をしたり、一緒に舞台に立つことが、なによりも大事ではないか、と考えていますし、そのなかで自然と伝わっていくものだと思っています。
若い人が苦しみながら大役に取り組んでいるとき、私はどうするかというと、黙って見守っています。公演期間中、彼がどうやって体調を維持するか、毎月どのようにして大役をこなしていくかは、自分自身で理解して解決していくべき課題ですから。
ただ、「困ったことがあったら、いつでも言ってくれていいから」とみなさんに伝えています。逆に、「困ったことがある」と言ってくれない人に、こちらからなにか伝えても、きっと聞こえないと思うのです。
若い人に教えるのも難しいですよね。伝統芸能に限らず、世の中の流れとして、昔のような厳しい教え方は通らなくなりました。とはいえ、耳に心地よいやさしさだけでは通用しないですし、どこかが違うように思うのです。
私はすべてをまったく気にしないで、はっきり言います。いじわるで言っているわけではないのですから。良くないものは良くないと誰かがはっきり伝えなければ、本人が気づくことはできません。
振り返ってみると、私は本当に先輩に恵まれていました。はたから見たら厳しい指導と思えるようなこともあったでしょう。でも、好意を持って言ってくれる人たちばかりでしたので、厳しいと感じたことはなかったんです。
厳しい助言であっても、「あ、このことを言っていたんだ」と理解できると、あえて本当のことを伝えようとしてくれたのだと気づき、あとから感謝の念が湧いたものでした。
なかでも心に刻まれているのが、養父・守田勘彌(もりたかんや)の「褒め言葉を聞いてはいけない」「決して驕ってはいけない」という教えです。10代の頃から徹底してそう教えられたことが、今の自分にも聞こえているのです。
<後編につづく>
