「バラ色の人生ではなかった」イニエスタが自身のうつ病について激白。きっかけは“友の死”「最後まで練習を続けられなかった」【現地発】
プロサッカー選手になるために、自らの意思で家を離れたのは12歳の時。そのまた12年後の24歳の時に予期せぬ暗闇に襲われた。現在、彼はその恐怖と疑念について語っている。バルセロナのファンがスタンフォード・ブリッジでのゴール(08-09シーズンのCL準決勝、チェルシーとの第2戦)を叫び、スペイン中が彼のもう一つの生涯のゴール--W杯南アフリカ大会でスペイン代表を世界一に導いたゴール-―を祝っている間、うつ病が彼を襲った。
「私は常にそのことについて話すことに抵抗はなかった。バラ色の人生ではなかったことについて話すことに恥じらいはなかった。なぜならそれもまた私の一部だからだ」と彼は告白する。
【画像】長澤まさみ、広瀬すず、今田美桜らを抑えての1位は? サカダイ選手名鑑で集計!Jリーガーが好きな女性タレントランキングTOP20を一挙紹介
――著書では、12歳で家族を離れ、ラ・マシアに移り住むことを決めた経緯を振り返っています。その別れと決断の重さが、あなたのキャリアにどのように影響しましたか?
「2つの側面があると思う。1つはスポーツと家族に関するもので、これは最高の形で進んだ。もう1つはより個人的なもので、おそらく私だけでなく家族にも影響を与えた。別れやそのほかいろいろなことと向き合わなければならなかった。誰だってそのような大きな決断を下せば、最終的に何らかの代償を払わなければならないと確信している」
――あなたが「暗闇」と呼ぶその時期、うつ病を患っていたにもかかわらず、ボールを蹴ることで常に救いを見出したと告白しています。あなたのサッカーへの愛は、アンドレ・アガシの「テニスが嫌い」という言葉や、競技から距離を置くことで心の平安を得た人々とは一線を画しています。その2つの部分をどのように切り離すことができたのでしょうか?
「なぜなら、サッカーは私の人生であり、情熱であり、最も自分を表現できる方法であり、最も幸せだった場所だからだ。それが、私の中にあった内面の痛みを和らげてくれた。その痛みは外に出さず、何らかの形で隠そうとしていた。その二つの世界はそうやって共存していた。長い間サッカーが勝っていた。しかし、時が経つにつれ、少しずつ逆転し、その内面のもう一つの世界が『おい、私はここにいるぞ』と声を上げ始めたんだ」
――今から10〜15年前、サッカーのドレッシングルームの雰囲気はどのようなものでしたか?常に激しい競争を強いられる環境で生き残るために、痛みや不安を隠すことはどれほど重要でしたか?
「雰囲気は最高だった!ただ、その中でそれぞれが自分の役割や立場で抱える問題があった。私は幸運だった。当時の監督やコーチ陣と出会い、共有することができた。彼らは私がその時に必要としていたことを理解してくれた。誰もがそのような状況で、身近さを感じることができるわけではない。中には『練習に来ないなら、日曜日の試合に出さない』と言う人もいるだろう」
――当時の監督というのは、ペップ・グアルディオラ(現マンチェスター・シティ監督)のことでしょうか?
「そうだ。監督とコーチ陣は最初から私の状況を理解していた。私が体調が悪くて最後まで練習を続けることができなかったとしても、それは良いことだと認めてくれた。彼らは私が常にチームの一員であると自覚できるように、助けてくれた。彼らの理解がなければ、あの状況から抜け出すことはほぼ不可能だっただろう」
インタビュアー●ナディア・トロンチョーニ(エル・パイス紙スポーツ部編集長)
翻訳●下村正幸
※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙のコラム・記事・インタビューを翻訳配信しています。
