メジャーリーグの試合などを見ていると、ときに「アンリトゥンルール(暗黙の不文律)」というものに遭遇するときがあります。大差がついた試合の終盤で盗塁を仕掛けることは、相手を侮辱する行為として「アンリトゥンルール」に抵触する、とか。

日本のプロ野球にも似たような考え方はあるようで、以前とある試合では7点差がついた終盤戦に相手打者がショートゴロで一塁まで全力疾走をしたときに、点差が開いているのだから打つなという趣旨の野次を負けているチーム側が浴びせかけたことがあるといいます。

そして今、このような「アンリトゥンルール」は高校野球でも尊重すべきかどうかという議論が起きています。ある試合で、点差が開いた状態でもガンガン盗塁を仕掛けるということがあったためです。

当該の試合に関しては、10点差がついた状況でもなお盗塁を仕掛けたことで、そうした意見が出てきたのだと思いますが、はたして高校野球に「アンリトゥンルール」の意識を求めることは適当でしょうか。

まず勝ち負けという意味において、高校野球での10点差は決してセーフティーリードではありませんので、さらに得点を狙っていくことに問題はないでしょう。そして、仮に100点差があったとしても、高校野球においては「アンリトゥンルール」を意識する必要はないように思います。

メジャーリーグやプロ野球は野球を見せて観衆からお金をもらう興業です。エンターテインメントです。そこで最大の目標となるのは、勝つことではありません。観客を楽しませることです。勝ち負けを決めるためのルールの上位に、楽しい試合を提供するためのルールがある。それが「アンリトゥンルール」ではないでしょうか。

勝敗が決したあとは試合をいたずらに引き延ばさないこと。敗戦の悔しさをさらに増すような追い打ちをかけないこと。勝っても負けても、楽しく試合観戦を終えるためにこそ「アンリトゥンルール」は存在するのでしょう。ダラダラと長時間負け試合を見せつけられたり、無闇に選手がケンカを始めるような見世物では、観客も心から楽しむことが出来ないでしょうし。

その点、高校野球の目的は「観客を楽しませること」ではありません。「自分たちが野球を通じて成長すること」です。努力の尊さや、仲間とチカラを合わせることの大切さ、失敗から立ち直る強さといったものを、野球を通じて学ぶことに意味があるはずです。

その意味で、対戦相手は関係ないのです。何点差がつこうが、お互いに自分のベストを尽くし、練習の成果を出していく。「自分自身の成長」にこそ意識を払うべきで、言うなればそれこそが高校野球の「アンリトゥンルール」。逆に言えば、100点差がついた状況でも「負けは確定だからとっとと凡退して帰ろう」などという話もないのです。一打席でも一球でも、成長の機会を逃さぬように全力を尽くすことが肝要。

勝敗は超えたところにある、もっと大切なもののために。

プロ野球ならば「楽しい興業」のために。高校野球ならば「自分自身の成長」のために。野球の規則よりも大切なものを守るためにこそ「アンリトゥンルール」は活用されるべきだと思います。

(文=フモフモ編集長 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/

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