スポニチ

写真拡大

 3月31日にSAY-LA新体制初となる10作目のシングル「半透明スワロフスキー」がリリースされ、神崎セナがスポニチ東京本社でソロインタビューに応じた。語られたのは、グループ史上最も長い日陰の時代を耐え抜き、執念で這い上がってきた足跡だった。(推し面取材班)

 普段はどれだけ激しく踊っても、ほとんど汗をかかない体質だ。だが、初めてSAY-LAの一員として上がったステージでは違った。異常なほどの汗が頬を伝い、真新しい衣装を重く濡らしていく。「全部出し切ってやる」。照明の熱よりも熱い、マグマのような執念が、全身の毛穴から吹き出していた。

 NMB48の吉田朱里に青春のすべてをささげた高校時代。推しの卒業で、人生の羅針盤を失った。バイト代を全額注ぎ込むほど愛した存在が消えた喪失感を埋めるように、自らがステージに立つ道を選び、大阪でアイドルになった。1年ほど活動した頃、既にSAY-LAに在席していた椎名ここがメンバー募集していることを知った。憧れの存在。「一緒に活動してみたい」。そう決心して、単身上京した。

 研修生として事務所に入った。だが、憧れの扉は固く閉ざされたまま。 「なかなか昇格できなかったのが悔しかったです。自分より後から上京してきた研修メンバーが先にSAY-LAに加入したりして……」。

 後から来た人間が、いとも簡単に自分を追い抜いていく。やがて、客席のファンからも「もう無理やろう」という諦めの声が届き始めた。それでも、荷物をまとめて地元へ帰るという選択肢はなかった。

 「絶対に何年でも残ってやるという執着心で粘りました。椎名ここちゃんが『絶対入ってね』と言って応援してくれていたので、約束を果たすためにも頑張りました」

 つかみ取った居場所。泥臭く這い上がってきたそのキャラクターは、いつしか誰も真似できない唯一無二の武器へと変わっていた。

 「よくスタッフさんやファンの方から『セナだからしゃあないか』って言われることがあって。これって、自分の強みだと思ってるんです」。グループに深刻な空気が流れても、持ち前のアホっぽさと明るさで場をガラリと変えてしまう。「他の人がやったら『どうなの?』ってことも許されてしまうことがある(笑)」。

 これまでは偉大な先輩たちが作ったレールの上を、必死にしがみついて走ってきた。だが、もうメンバーの半分以上が後輩という立場になった。「これからは、SAY-LAを引っ張っていけるような、グループに貢献できるような何かを実現していけたら」。

 神崎は「3000年に一度の正統派」を掲げてきたグループ12年の歴史では、異端児なのかもしれない。その背景には誰かに追い抜かれ、見切りをつけられ、這いつくばった1年の空白がある。無駄に思えたその時間は、決して腐らずにステージで流したあの日の汗となって、きょうもステージの上で輝きを放っている。