日本人は景観に鈍感すぎる?五輪で注目「イタリア」の美しい景色と美意識 徹底的に守り育む“ルール作り”
異論の唱えようのない美しさ
2月6日午後8時(日本時間の7日午前4時)にはじまったミラノ・コルティナ冬季オリンピックの開会式。サッカーの聖地としても知られるミラノ(ロンバルディア州)のジュゼッペ・メアッツァ競技場(通称サン・シーロ)をメイン会場に、式典の一部はヴェネト州のコルティナ、ロンバルディア州のリヴィーニョ、トレンティーノ=アルト・アディジェ州のプレダッツォでも行われた。
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3時間半近くにおよんだ式典は、冬季五輪としては史上最長レベルで、各国のメディアからは「長すぎる」という声も上がったようだが、美しいことに関しては、異論を唱える人は少ないのではないだろうか。映像、ダンス、音楽、ファッションと、イタリアが誇る文化的要素が多彩に繰り出され、それぞれが美的に磨かれていた。

18世紀イタリアの彫刻家、アントニオ・カノーヴァの大理石彫刻がイメージされた幻想的な白い世界にはじまり、色彩が加えられていった。頭上高く三原色(赤、青、黄)の絵具の巨大なチューブが現れて、それぞれから絵具がステージ上に垂らされ、三原色から派生する色彩をまとった人々が舞台を囲んだ。混ざり合ってさまざまな色彩を生み出すこの3つの色は、イタリア文化と同時に、「調和」をテーマにしたこの開会式そのものをも象徴的に表した。
そして、文学や音楽、建築からファッション、さらにはコーヒーメーカーまで、イタリアの歴史、文化、産業を代表する要素が、種々の衣裳に身を包んだ300人ほどのパフォーマーによって表現された。たとえば、イタリアの女優マティルダ・デ・アンジェリスと一緒に現われたのは、主にオペラを作曲した3人の巨匠、ジョアキーノ・ロッシーニとジュゼッペ・ヴェルディ、ジャコモ・プッチーニで、その大きなマスクもユニークであると同時に場面に調和していた。
競技会場周辺の景観美と美意識の関係
開会式について書き出すとキリがないのでこの辺りに留めておくが、その後も競技に際してテレビに映し出されるイタリアの風景は美しい。アルプスに近い地域の山々が美麗なのはもちろんのこと、たとえば、日本では山間の地域でも無数に敷設されている鉄塔や電線は、よく見ると非常に少ないことに気づかされる。
また、雪景色なので判別しにくいかもしれないが、無造作に開発された区域がほとんどなく、自然と集落の調和が保たれている。建物の高さも一定のところでそろい、色彩やスタイルの統一が保たれている。これはミラノのような大都市でも同様で、再開発地区には近代的な高層ビルが立ち並ぶ一方、古くからの市街では歴史的な景観を守るために、建て替えが厳しく制限されている。
このように街並みも、街と自然も、調和が保たれているのがイタリアの特徴で、そんな環境に囲まれているのが、筆者には羨ましく感じられる。なぜなら、今日の日本のように、同じ地区に高さも様式も色彩も異なる建物がカオスのように混在することも、自然美が讃えられた景観が、開発によってとめどなく蝕まれることも、山々の稜線の美しさが連なる鉄塔で台無しにされることもないからだ。
こうした景観美がイタリア人の高い美意識の源泉だと筆者は痛感する。オリンピックの開会式でも強調された文化的伝統に恵まれていることも、もちろんある。だが、高さも色彩も様式も一定以上にはみ出さない街並みや、人工物によって汚されていない自然美に、生まれたときから囲まれているために、美的感覚が自然に育まれるということは、否定できないと思う。
このような景観美はたまたま保たれているのではなく、徹底して守られてきたものなのである。
法律によって徹底的に守られる景観
イタリアでは早くも戦前の1939年、文化財保護法と自然美保護法が施行され、歴史、伝統、自然美という観点から、景観を保護することが法制化された。ただ、対象外の地域では景観を損ねる開発も進んだため、国土全体の景観を保全しようという機運が高まっていった。こうして1984年、文化・環境財省政務次官だったジュゼッペ・ガラッソの名で省令が告示された。
この「ガラッソ省令」では、たとえば海岸線や湖沼岸の水際線から300メートル以内や、海抜1,800メートル以上など、景観的に価値が高いと考えられる地域での開発が一時的に停止された。そのうえで翌1985年、この省令を立法化する案が国会に提出され、景観保護法としてのガラッソ法が成立したのである。
法制化により省令で定められた規制地域が拡大され、各州には、海岸線や湖岸、河川の周辺、山岳地帯など、景観保全の面から重要な地域を特定し、開発行為を一時的に禁止できる権限があたえられた。また、すべての州には、都市計画のなかで開発と景観保全をバランスさせるべく、風景計画の策定が義務づけられた。
とくに歴史的市街地は保存の対象にできると定められ、多くの自治体が、文化的および都市計画的な側面から、歴史的市街地での建築工事を厳重に規制することになった。その規制は看板や照明にいたるまで、かなり細かく定められている。日本では、こうした規制をしようとした途端に、不動産に関する私権の制限だと猛反対が起きそうだが、実際、イタリアにもそうした反対はあり、たびたび裁判で争われてきた。
しかし、イタリアが日本と異なるのは、判例のほとんどが「景観保全を目的とした私権制限は当然だ」という内容であることだ。
そこら中で大河ドラマが撮影できる
その背景には憲法の存在もある。イタリア共和国憲法は第9条で「共和国は国の風景、歴史的芸術的遺産を保護する」と定めている。歴史的市街地や自然の景観は国家の宝であるとされ、人間と自然の総合作用によって形成された地域の全体が、保護の対象になっている。
すなわち、国家の宝としての景観を守ることは公共の利益であり、そのためには個人の権利は制限されるべきだ、と考えられている。
イタリアにくらべて、日本人は景観に鈍感すぎるのではないだろうか。自分の居住地の周囲が無秩序に開発され、カオスのようになっても、文句ひとついえない日本。一方、居住地の周囲の環境は、ほかの住人たち、さらにはもっと広く国民、さらには人類が共有する公共の利益だとして、できるかぎり守ろうとするイタリア。
たとえば、東京から新大阪まで新幹線に乗り、車窓の景色を眺め続けても、NHK大河ドラマを撮影できそうな場所など、ほとんどない。一方、ミラノからローマまで高速鉄道で移動すると、距離はほぼ同じだが、大河ドラマのロケ地になりそうな場所は、何百カ所か、何千カ所か、それこそ無数にある。
それは、発展していないからではない。景観にメリハリが効いているのである。歴史的市街も、建築が制限されて大変だと思うかもしれない。だが、古い建物の内部をリノベーションする技術の進み方は日本の比ではなく、美しい景観が現代的な快適性と両立している。
こうした違いが美意識、そして美的センスの差にもなって表れている。土地所有者の一時的な利益が優先され、快適な環境も美意識も失われるとしたら、こんなに悲しいことはない。その点で、やはりオリンピックを観戦しながら、イタリアが羨ましくなる。
香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部
