小早川明子氏(写真=小早川氏提供)

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家族や恋人が「ストーカー」に変わったとき、どう対処すればいいのか。NPO法人「ヒューマニティ」を運営するカウンセラーの小早川明子氏は、被害者の代わりに加害者と関わることで、ストーキングをやめさせる活動をしている。小早川氏は加害者へのカウンセリングを通して、「ストーカー行為はアルコールや薬物と同じやめられない病態。かつての私も同じだった」と気づいたという――。

ストーカー被害が活動のきっかけ

――小早川さんは、ストーカー規制法施行前の1999年からストーカー被害者の支援を行っており、現在はストーカー対処を行うNPO法人「ヒューマニティ」の理事長を務めています。ご自身が、ストーカーの被害にあったことがきっかけで、この活動を始めたそうですね。

私は20代のころはカウンセラーの勉強をしていて、最初は教育関係の仕事をしていたのですが、1994年に美術品の輸入販売の会社を起業しました。そこでストーカーの被害にあったのです。

よく知る男性から「お前には経営者の資格がない、経営に参画させろ」と言われたのを断ったところ、その男性がストーカー化しました。「経営に参加させると言っていたのに、うそつき。責任をとれ」というわけです。

■警察が来ても被害を信じてくれない

――ストーカーというと、恋愛関係が発端というイメージがありますが、そうではないのですね。どんな被害を受けましたか?

私の場合は、恋愛関係ではありませんでした。その男性は、会社に来てものを壊すといった攻撃を加えてきました。社員が危険な目にあうと困りますから、「今から会社に行く」と電話があると、社員には社外に出てもらいます。そして、その男性が社内で暴れるのを、私一人で見ているわけです。

警察に電話をして来てもらったこともありますが、そうするとその男性は急に冷静に落ち着いた口調に変わる。恐ろしくて泣いている私を指さして、「自分はこの女に金を貸している」「この女が勝手にヒステリーを起こして部屋の中をめちゃめちゃにした」と説明するわけです。警察官は「民事だから2人で何とかしなさい」と何もしないで帰ってしまいました。

毎日のように電話やファクスが届き、「電話を切るな」と言われて朝まで受話器を持っていたこともありました。会社で残業するときも、私が会社に1人でいることが外からわかると怖いので、部屋を真っ暗にして、床に小さなランプを置いて座り込んで仕事をしました。

■「本当に火をつけたら来て」にショック

――警察に相談はしたのですか?

ある時「明日、会社に行って火をつけてやる」と言われて恐ろしくなり、このままではいけないと、警察署の「防犯課」(今の生活安全課)に相談しました。「防犯」というくらいですから、犯罪を防止してくれるのではないかと思ったのです。しかし「警察は、起きた事件を処理するところ。相手が火をつけたら来て」と言われてショックを受けました。当時はまだ、ストーカー規制法もありませんでしたから、取り締まるための根拠もありません。警察は頼れない、自分で何とかしなくてはと思いました。

――警察以外には、誰に相談を?

当時の私は思い詰めていて、とにかく、「この人から離れられるなら何でもする」という気持ちでした。火をつけてやると言われる前から弁護士に間に入ってもらっていましたが男が弁護士を相手にせず、うまくいきませんでした。

それで、何十社もの警備会社に当たって、やっと1社、有名人でなくてもボディーガードをしてくれるところを見つけました。1カ月くらい、私と会社を守ってくれました。ボディーガードがいるのを見たストーカーの男は、捨てぜりふを吐いただけで帰っていきました。私は、初めて、「相手と私の間に入ってくれる人ができた」と思いました。

結局、ボディーガードをやってくれていた警備会社の役員が、相手の男に会って話をつけてくれて、ようやくストーカー行為が終わりました。その警備会社の役員は元警察官で、当NPOの立ち上げの時から理事をしています。

■「許せない」怒りの気持ちでこの仕事に

――ストーカー被害で恐ろしい目にあった後で、この仕事をすることに抵抗はありませんでしたか?

まったくありませんでした。それよりも、私と同じ苦しみにある人を助けたいという思いが強かったです。私は子どものころ、いじめられていたのですが、その時先生にいじめを訴えても、何もしてくれなかった。そうしたつらかった経験を思い出しました。いじめられている人が、そのまま誰の助けも得られないのは何とかしなくてはいけない。人の人生の邪魔をする人は許せない。その一念でした。自分の経験から、ストーカーの関心の標的になっていることが怖かったわけで、第三者として介入するのであれば怖くないという感覚がありました。

それに最初は、ストーカーというのは、人を苦しめて喜ぶ「悪人」がなるものだと思い込んでいました。だから、「私が盾になって、そういう悪い人をやっつけてやろう」という、怒りの気持ちからこの仕事を始めました。

■被害者の代わりに加害者と向き合う

――どのようにストーカー被害者を助ける活動をしたのですか?

私がストーカー被害にあっていたときは、「誰でもいいから私と相手の間に入って盾になってほしい、できれば相手の気持ちを変えてほしい」と思っていました。実は私も、被害にあっているときにカウンセラーに相談したことがあるのですが、カウンセラーは「あなたが強くなりなさい」などと言うばかりで、実際に私と加害者の間に入ってくれるわけではなかった。

ですから私は、被害を受けている人の代わりに加害者に対峙してストーカーをやめさせるカウンセラーになりたいと思いました。被害者から相談を受けたら、ストーキングをしている加害者に連絡を入れ、「○○さんが苦しんでいるので、やめてくれませんか」とお願いします。

ストーカーはアディクションだと気づいた

ストーカーの加害者に会ってみると、恐ろしいことを言っていながら意外にも繊細な人が多くて、離れていった相手を攻撃しつつ関係修復を期待していたり、相手と会えない苦しみで生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよっていたり、とにかく、ものすごく苦しんでいたのです。

そうした姿を見るうちに、私自身が21歳の時、ストーカーだったことに思い当たったのです。大学に入ってすぐに付き合った男性が離れて行って、焦って自宅近くの駅で何時間も待ち伏せをしたり、しつこく家に電話をかけ続けたりしていたのです。当時の私はそれを悪いとは全く思っていなくて、「私を見捨てて去っていく相手が悪い」と思っていました。

それで、「これは、アルコールや薬物に対する嗜癖(しへき)と同じ苦しみだ」と思ったんです。ストーカー行為は、禁断症状に似た症状を引き起こすほど強い、相手への接近欲求があり、関心を持つこと、反応を欲しがることをやめられないという病態なのだと腑に落ちたのです。

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小早川明子(こばやかわ・あきこ)
NPO法人「NPOヒューマニティ」理事長
1959年生まれ、中央大学文学部卒業。ストーカー問題、DVなど、あらゆるハラスメント相談に対処している。1999年に活動を始めて以来、500人以上のストーキング加害者と向き合い、カウンセリングを行う。著書に『「ストーカー」は何を考えているか』(新潮新書)、『ストーカー −「普通の人」がなぜ豹変するのか』(中公新書ラクレ)など。

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(ライター 大井 明子)