ドバイに移り住んで15年。「まさかドバイまでが攻撃の対象になるなんて」と語った

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 米国とイスラエルによるイラン攻撃が始まってから1週間あまり。日本政府はアラブ首長国連邦(UAE)からの邦人の出国支援を行っているが、タレントの倉沢淳美(58)はドバイに現在も留まり、不安な生活を送っている。帰国も考えたというが「今は情勢を見ています」と現地の様子を語った。

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「実際に見たことはないのですが、数日前まではミサイルやドローンを迎撃する爆音が凄まじく、緊急アラートも鳴り響くので落ち着いた生活はできません」

 と語る倉沢。今回は電話で取材に応じてくれた。

「攻撃が始まったのは2月28日からでした。朝からニュースで情報は得ていたのですが、ドバイには米軍の基地もないので安全だろうと思っていました。この日も夕方から友人と食事の約束をしていたくらいなのですが、食事が終わって帰宅すると、突然、緊急アラートが鳴り出して……。空からは異常なほどの爆音が何度も聞こえてきて、今までに経験したことのないことでしたので、本当に恐ろしくなりました」

ドバイに移り住んで15年。「まさかドバイまでが攻撃の対象になるなんて」と語った

地下駐車場への避難

“安全なオアシス”とされてきた中東のハブ都市が前代未聞の軍事攻撃を受けているわけだが、そんなドバイに倉沢は2011年から住み続けている。住まいは、世界最大級の人工島と言われるパーム・ジュメイラにある。居住者専用のプライベートビーチもあるオーシャンビューのマンションに、1995年に結婚したオーストラリア人の夫と次男の3人で暮らしている。

「夫が石油関連会社に勤めている関係もあって、バーレーンやカタールなどからの情報は常に入ってきていたのですが、まさかドバイまでがイランからの攻撃の対象になるなんて思ってもみませんでした。緊急アラートが鳴ったのは、28日深夜、翌日の午前0時過ぎだったと思います。突然、退避指示の連絡がきたのです。セキュリティーの案内で地下駐車場に夫と、息子、愛犬2頭を抱えて退避しました。この時は3時半か4時ぐらいまで地下駐車場にいました。でも、その間も外からは、ずっと大きな爆音が聞こえていましたね。私の住んでいる地域では迎撃が成功していたようなので、実際にミサイルやドローンの着弾はなかったと思います。とは言っても、迎撃した際の破片が落下してくるので、近隣のホテルなどは、その被害が凄かったですし、しかも1日に何回も緊急アラートが鳴るので、夜も寝ていられないし、落ち着いた生活は出来ませんでした」

 ドバイは普段から緊急時の対応が充実していて、「日本以上に救急体制もスムーズで、何事にも臨機応変に対応してくれる環境はあった」そうで、よほどのことがない限り大丈夫だろうと考えていたという。

「実際、レストランやスーパーも通常通り営業していましたからね。食べることに心配はありませんでした。ただ、迎撃の際の爆音と緊急アラートなどで、生活のリズムは完全に崩れましたから、精神的にもストレスは溜まりますね。ドバイにある日本総領事館からは、帰国の希望者を募る連絡が入ってくるのですが、そもそも希望書類の提出が、携帯で届いてから『3時間以内に…』って記されているんです。でも、その間にも緊急アラートは鳴るし、地下駐車場への退避が呼びかけられたら、すぐに対応する暇はないのです。結局、知人も多かったので、みんなと連絡を取り合い、ドバイに留まることにしたのです」

 とはいえ、危険を感じた時期もあったという。

「(28日のイラン攻撃開始から)1〜2日経った時でした。この時はさすがに、何か起こってからはまずいので退避しようということになったのです。で、比較的安全だと言われていたエリアに行くことになりました。車で2〜3時間のところでしたが、ホテルを予約し、そこに2日間ですが滞在しました。その時ぐらいですね、緊急アラートが鳴らずに精神的にホッとしたのは…。ただ、目では見えませんでしたが、ミサイルやドローンの迎撃音は空で鳴り響いていました。やはり、風向きなどによって音が聞こえてくるんですね」

「わらべ」として一世を風靡

 アイドル時代からは、考えられない暮らしである。もともと倉沢は、萩本欽一の人気番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」(テレビ朝日)で結成した3姉妹ユニット「わらべ」の“かなえ”役として82年9月から出演したことでキャリアを築いた。「わらべ」は欽ちゃんが命名したもので、同番組のマスコット的な存在となった。

 その「わらべ」として発売したデビュー曲の「めだかの兄弟」(82年)は90万枚の大ヒット、続く第2弾の「もしも明日が…。」(83年)はミリオンヒットとなり、お茶の間の話題を独占した。84年には倉沢淳美として1人立ちし「プロフィール」でソロデビューも果たした。歌詞の中に自らの名前「淳美」を入れたこの曲は、当時、オリコンのシングル・チャートで1位にランクインするなど国民的な人気となった。

 前出の夫、ジェームス・ラング氏とは5年の交際を経て95年に結婚した。ドバイ生活も、石油関連会社に勤務するジェームス氏の仕事の関係である。ただしドバイへ移住が決まった際は「知識が全くなく決断に2年がかかった」そうで「生活に馴染むまで半年以上かかった」と、海外生活は簡単ではなかったようだ。

長女は日本で活躍

 15年が経った今も、暑さや宗教文化に苦労することが多いというが、日本とドバイを行き来しながらタレント活動を続ける。所属事務所であるリバティーハウスの崎本則幸社長は、

「日本ではドバイ在住の元アイドルとして独自路線を持っています。毎年、数回ですが帰国していますが、ここ数年はファンイベントの参加者は増えています」

 と倉沢の芸能生活について明かす。また、日本では長女のケイナ(27)が芸能活動をしている。

「ケイナは日本に住んで活動しているので、ドバイに暮らしている両親のことは心配でならないようです。軍事攻撃が開始されてからは毎日連絡をしていますが、現地の通信環境や状況などもあって、通じないことも多いようです」(崎本社長)

 倉沢に以前のような日常が戻ってくるのは、まだ時間がかかるのかもしれない。

渡邉裕二(わたなべ・ゆうじ)
芸能ジャーナリスト

デイリー新潮編集部