「好きに生きるんだ」… 漫画「ぼのぼの」作者・いがらしみきお、半生を語る
放送作家の高須光聖が、世の中をもっと面白くするためにゲストと空想し、勝手に企画を提案していくTOKYO FMの番組「空想メディア」。6月9日(日)の放送には、漫画家・いがらしみきおさんが登場しました。
代表作「ぼのぼの」など、数々の名作を発表してきたいがらしさん。今回は、漫画家を志したきっかけや売れっ子時代、「褒めてもらえない(笑)」と語る高須絶賛の作品などについて語ります。
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◆いがらし作品の入り口は“浜ちゃん”
高須:何年ぶりですかね。
いがらし:もしかすると、10年ぶりくらいになるかもしれない。
高須:そうですよね。僕、本当にいがらしさんの漫画が好きで。きっかけは浜田(雅功)。高校を卒業して、全員バラバラになったとき、浜田が「この本、おもろいねん」と。僕も「おもろいな!」と。
いがらし:なんとなく、あの時代の若い人にマッチしていたと言うかな。(若い人が)笑えるようなギャグ漫画として描いていたのかもしれません。
高須:僕らの世代はすごく刺さりました。いがらしさんはもう、先駆者のようです。
いがらし:ありがとうございます。
◆「普通の仕事に就けないと思った」
高須:漫画家になろうと思ったのは?
いがらし:4〜5歳とかじゃないでしょうかね。実家が床屋さんなので、漫画本が置いてありました。そのころはまだ家にテレビがなく、漫画が初めて接したメディア。だから、これで飯が食えるのであれば、それはいい仕事だと。
高須:昔から絵を描くのは上手だったんですか?
いがらし:上手というより、褒められたんですよね。床屋のお客さんとかに。ですから「これはしめたもんだ」と。あとはずっと「俺は絵が上手いんだ」と(いう気持ちで)続けてきたからだと思います。
高須:何度も読み返した本とかはありますか?
いがらし:今みたいにいっぱい(漫画が)あったわけじゃないので、漫画であればなんでも読みました。そのなかでも……高須さんは覚えてるかな? 「ストップ!にいちゃん」(※)という作品。
※1962年から光文社の雑誌「少年」で連載された、関谷ひさしの代表作。手塚治虫「鉄腕アトム」、横山光輝「鉄人28号」などと肩を並べた作品だった。
いがらし:昔の漫画というと、どこか新聞漫画に通じるような古臭い部分があったけれど、その漫画はバタ臭くて、スタイリッシュな明るい感じ。
高須:明るい少年だったんですか? 人を笑かしたりするの、好きでした?
いがらし:笑わせるのは好きだったと思いますね。小学生のころ、女の子と一緒に帰ると「おふざけさん」と言われる。しょっちゅうふざけていたから。今でこそ暗いけども、子どものころは明るいほう。
高須:暗くはないですけどね(笑)。プロの漫画家になったきっかけは?
いがらし:普通の仕事に就けないと思ったから、消去法ですかね。一生会社員としてどこかに勤めるということを、現実的に考えられなかった。だから、漫画を描きたかったのかというと、今ひとつはっきりしないところがありますよね。
高須:漫画を描くの、好きじゃないんですか?
いがらし:好きでやっていたけど、漫画家ってかっこ悪いと思ってた。でも、私が一番ハマった漫画家に永島慎二先生がいるんですが、完全に趣味人。ふらふら飲み歩いて、仕事をしなくて、パイプをくわえてサングラスをして。そういうスタイルを「お、かっこいい」と思った。
高須:ちょっとワイルドな感じ。
いがらし:そう。「好きに生きるんだ」って。そこで「やっぱり漫画家になるわ」と明確に思いましたね。
高須:デビューして、漫画家としてやっていけそうだと思えたのは?
いがらし:私、注文がくると滅多に断らないんですよ。どんどん仕事が増えて、デビュー2年目で休む暇がなくなりました。そのとき、“売れっ子”になった。一生に1回くらい、「あいつ、売れっ子だぜ」と言われたいですよね。
高須:僕も思いました。せっかく放送作家になったんだからと。
いがらし:そうですよね。28歳くらいのときは、毎日毎日、ご飯と睡眠以外はずっと漫画を描いていました。描くもの、考えるものが全部新鮮だった。今でいう“ライブ感”があって、毎日描いても煮詰まらなかった。
◆いつかどこかで“後継者”の花が咲く
高須:いがらしさんの4コマで、水槽に左手で描いたような魚が1匹いて、鉛筆かなんかでトンってやったら、ニコッと笑うやつ。それを見たときに「なんだ、この世界!」と。笑いがアートのギリギリ近くまできたような。
いがらし:あれは、描いたときに「やった」と言いましたね。漫画じゃなかったでしょ。
高須:4コマという枠内でどれだけぶっ飛べるか、実験している感じ。
いがらし:確かに、行けるところまで行くんだという感じはありました。ファンの方も、そういうふうに思いながら読んでくれていたかもしれませんしね。
高須:「ぼのぼの」の映画も、いろんなことがあって最後、スナドリネコさんが言った言葉がもうすごいなって。あのエンディング、僕は震えました!
いがらし:哲学っぽいテーマを出すと、どうしてもちゃんと答えを口で言わないといけない気がして、ああなったのかもしれません。だけど、誰も褒めてくれない(笑)。
高須:えー! あんな素晴らしいエンディング!
いがらし:それは高須さんのセンスですよね。
高須:いやいや、いがらしさんのセンスで育ってますから。
いがらし:そこは、センスとセンスの共鳴だから。センスを説明するのは難しいですね。
高須:その言葉がどういいかの話ではなく、「すごくない?」ということですからね。東野幸治くんとか、いがらしさんファンの芸人は多いんですよ。いがらしさんの発想、切り口、考え方、ものの見方……知らないうちに僕ら、学ぶことがあったと思うんです。
いがらし:僕の後継者がどこにいるのかと言うと、私の漫画を読んで、おもしろいと思ってくれて、影響を受けてくれた人なんじゃないかと。種を蒔いて、いつの間にかどこかで花が咲いている。そういう世界だと思います。
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聴取期限 2019年6月17日(月) AM 4:59 まで
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<番組情報>
タイトル:空想メディア
放送日時:毎週日曜 25:00〜25:29
パーソナリティ:高須光聖
番組HP:https://www.facebook.com/QUUSOOMEDIA/
いがらしみきおさん、高須光聖
代表作「ぼのぼの」など、数々の名作を発表してきたいがらしさん。今回は、漫画家を志したきっかけや売れっ子時代、「褒めてもらえない(笑)」と語る高須絶賛の作品などについて語ります。
◆いがらし作品の入り口は“浜ちゃん”
高須:何年ぶりですかね。
いがらし:もしかすると、10年ぶりくらいになるかもしれない。
高須:そうですよね。僕、本当にいがらしさんの漫画が好きで。きっかけは浜田(雅功)。高校を卒業して、全員バラバラになったとき、浜田が「この本、おもろいねん」と。僕も「おもろいな!」と。
いがらし:なんとなく、あの時代の若い人にマッチしていたと言うかな。(若い人が)笑えるようなギャグ漫画として描いていたのかもしれません。
高須:僕らの世代はすごく刺さりました。いがらしさんはもう、先駆者のようです。
いがらし:ありがとうございます。
◆「普通の仕事に就けないと思った」
高須:漫画家になろうと思ったのは?
いがらし:4〜5歳とかじゃないでしょうかね。実家が床屋さんなので、漫画本が置いてありました。そのころはまだ家にテレビがなく、漫画が初めて接したメディア。だから、これで飯が食えるのであれば、それはいい仕事だと。
高須:昔から絵を描くのは上手だったんですか?
いがらし:上手というより、褒められたんですよね。床屋のお客さんとかに。ですから「これはしめたもんだ」と。あとはずっと「俺は絵が上手いんだ」と(いう気持ちで)続けてきたからだと思います。
高須:何度も読み返した本とかはありますか?
いがらし:今みたいにいっぱい(漫画が)あったわけじゃないので、漫画であればなんでも読みました。そのなかでも……高須さんは覚えてるかな? 「ストップ!にいちゃん」(※)という作品。
※1962年から光文社の雑誌「少年」で連載された、関谷ひさしの代表作。手塚治虫「鉄腕アトム」、横山光輝「鉄人28号」などと肩を並べた作品だった。
いがらし:昔の漫画というと、どこか新聞漫画に通じるような古臭い部分があったけれど、その漫画はバタ臭くて、スタイリッシュな明るい感じ。
高須:明るい少年だったんですか? 人を笑かしたりするの、好きでした?
いがらし:笑わせるのは好きだったと思いますね。小学生のころ、女の子と一緒に帰ると「おふざけさん」と言われる。しょっちゅうふざけていたから。今でこそ暗いけども、子どものころは明るいほう。
高須:暗くはないですけどね(笑)。プロの漫画家になったきっかけは?
いがらし:普通の仕事に就けないと思ったから、消去法ですかね。一生会社員としてどこかに勤めるということを、現実的に考えられなかった。だから、漫画を描きたかったのかというと、今ひとつはっきりしないところがありますよね。
高須:漫画を描くの、好きじゃないんですか?
いがらし:好きでやっていたけど、漫画家ってかっこ悪いと思ってた。でも、私が一番ハマった漫画家に永島慎二先生がいるんですが、完全に趣味人。ふらふら飲み歩いて、仕事をしなくて、パイプをくわえてサングラスをして。そういうスタイルを「お、かっこいい」と思った。
高須:ちょっとワイルドな感じ。
いがらし:そう。「好きに生きるんだ」って。そこで「やっぱり漫画家になるわ」と明確に思いましたね。
高須:デビューして、漫画家としてやっていけそうだと思えたのは?
いがらし:私、注文がくると滅多に断らないんですよ。どんどん仕事が増えて、デビュー2年目で休む暇がなくなりました。そのとき、“売れっ子”になった。一生に1回くらい、「あいつ、売れっ子だぜ」と言われたいですよね。
高須:僕も思いました。せっかく放送作家になったんだからと。
いがらし:そうですよね。28歳くらいのときは、毎日毎日、ご飯と睡眠以外はずっと漫画を描いていました。描くもの、考えるものが全部新鮮だった。今でいう“ライブ感”があって、毎日描いても煮詰まらなかった。
◆いつかどこかで“後継者”の花が咲く
高須:いがらしさんの4コマで、水槽に左手で描いたような魚が1匹いて、鉛筆かなんかでトンってやったら、ニコッと笑うやつ。それを見たときに「なんだ、この世界!」と。笑いがアートのギリギリ近くまできたような。
いがらし:あれは、描いたときに「やった」と言いましたね。漫画じゃなかったでしょ。
高須:4コマという枠内でどれだけぶっ飛べるか、実験している感じ。
いがらし:確かに、行けるところまで行くんだという感じはありました。ファンの方も、そういうふうに思いながら読んでくれていたかもしれませんしね。
高須:「ぼのぼの」の映画も、いろんなことがあって最後、スナドリネコさんが言った言葉がもうすごいなって。あのエンディング、僕は震えました!
いがらし:哲学っぽいテーマを出すと、どうしてもちゃんと答えを口で言わないといけない気がして、ああなったのかもしれません。だけど、誰も褒めてくれない(笑)。
高須:えー! あんな素晴らしいエンディング!
いがらし:それは高須さんのセンスですよね。
高須:いやいや、いがらしさんのセンスで育ってますから。
いがらし:そこは、センスとセンスの共鳴だから。センスを説明するのは難しいですね。
高須:その言葉がどういいかの話ではなく、「すごくない?」ということですからね。東野幸治くんとか、いがらしさんファンの芸人は多いんですよ。いがらしさんの発想、切り口、考え方、ものの見方……知らないうちに僕ら、学ぶことがあったと思うんです。
いがらし:僕の後継者がどこにいるのかと言うと、私の漫画を読んで、おもしろいと思ってくれて、影響を受けてくれた人なんじゃないかと。種を蒔いて、いつの間にかどこかで花が咲いている。そういう世界だと思います。
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【▷▷この記事の放送回をradikoタイムフリーで聴く◁◁】 http://radiko.jp/#!/ts/FMT/20190610010000
聴取期限 2019年6月17日(月) AM 4:59 まで
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放送日時:毎週日曜 25:00〜25:29
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