京都政財界の表も裏も知り尽くした「顔役」との飲みの席にも出席…京都新聞のオーナー家・白石家一族の驚愕の背景
なぜ社長夫人は京都新聞で絶大な権力を振るうようになったのか。その裏には、これまで明かされることのなかった会社との「約束」があった。
取材・文: 藤岡 雅(ふじおか・ただし、本誌記者)/'75年、福岡県生まれ。編集プロダクションを経て、'05年12月より週刊現代記者。キヤノンをめぐる巨額脱税事件など経済分野を幅広く取材。'21年に『保身 積水ハウス、クーデターの深層』(KADOKAWA)を出版
「裏社会の大物」が仕切る席で
京都・東山―。高台寺は、豊臣秀吉の没後、正室・ねねがその冥福を祈って建立した寺だ。四季折々の庭と静かな伽藍には、長い歳月が息づいている。そのほど近くにある料亭「土井」で、この夜、京の静けさにはそぐわない会合が開かれていた。
京都新聞とその子会社近畿放送(現・京都放送。以下、KBS)の首脳たち。その間に座るのは、許永中と山段芳春である。席を設けたのも、この二人だった。許は、のちに戦後最大級の金融不祥事・イトマン事件に深く関わるフィクサー。山段は、京都政財界の表も裏も知り尽くした、「光と影」をつなぐ顔役だ。
会合の目的は明確だった。京都新聞のオーナー社長だった白石英司の遺した巨額の簿外債務、つまり借金をめぐり、対立を深めていた両社を仲裁すること。そして、英司の死後、株式とオーナーの立場を継いだその妻の白石浩子を、いかに抑えるかである。
のちに「女帝」と呼ばれるようになる浩子だが、当時、彼女はすでに孤立していた。許の自叙伝『海峡に立つ』(小学館)によれば、京都新聞側と連動して動く山段や、生前の英司の側近だったKBS社長の内田和隆に対し、浩子は「顔も見たくない」と言うほど対立を深めていた。
白石家はどのような存在だったのか
彼女をこの席へ連れてきたのは、会津小鉄会(暴対法施行後は指定暴力団)四代目会長の高山登久太郎だった。
会合の正確な日時は定かでないが、許の記述や関係者の証言を総合すれば、'80年代半ば、おそらく'85年以降の出来事とみられる。
古都の名門メディアの経営陣、裏社会の大物、京都と在日社会の顔役。京都新聞の運命はこの夜、「社会の木鐸」にそぐわぬ人々の手で動き始めていた。
事態の中心にいた浩子が夫から継いだのは、やがて爆発することになる火薬庫だった。
京都新聞では、オーナー家・白石家の中心にいた浩子が長年相談役として影響力を持ち続け、異例の待遇が与えられてきた。なぜ彼女の存在は許容され続けたのか。
浩子とは何者で、一族はどのような存在だったのか。
それを知るには、戦後、京都新聞を支配してきた白石家の歴史を顧みる必要がある。
同社の源流は、1879(明治12)年創刊の「京都商事迅報」にさかのぼる。後身の京都日出新聞が京都日日新聞と合併し、京都新聞となった。戦後、実権を握り白石家支配の礎を築いたのが英司の父・白石古京(1898〜1991)である。
奈良県生まれ、東京帝国大学経済学部を卒業した古京は、戦後の混乱期に新聞事業の改革を進め、社長として同社を有力地方紙へと押し上げた。
創刊100周年を迎えるころ、朝夕刊あわせた発行部数は80万部に迫った。
皇太子夫妻を自社ホールへ案内
日本新聞協会会長を務め、勲一等瑞宝章を受章。影響力は新聞界にとどまらず、古京は京都を代表する名士だった。
古京は、戦後の新たなメディア時代を見据え、KBS設立('51年)も主導した。
白石家は、新聞と放送を併せ持つ京都屈指のメディア一族として地歩を固めていった。
後継者となったのが、古京の子・英司だった。もっとも、英司自身は「庶子」と伝えられ、'72年に古京の養子となるまで郡姓を名乗っていた。一族の系譜は複雑な経緯をたどっており、英司が養子となるのと同時に、妻・浩子も古京と養子縁組した。古京は浩子も正統な継承者と位置づけていたのである。
'77年、英司はKBS社長に就任。'81年6月、古京は京都新聞に「社主」職を新設し自ら就くと、英司を同社の社長に据えた。白石家は、社主家として新聞と放送を束ねる体制を完成させたのだ。
英司は颯爽とした人物として知られた。業界誌にKBSによる地域放送の意義を謳う論考を寄せるなど、対外的な発信にも積極的だった。皇太子夫妻(現・上皇夫妻)の行啓の際には、英司の肝いりで建設した、壮麗なステンドグラスを備えたKBS京都放送会館のホールを、浩子を伴って案内した。当時を知る関係者は、「いかにも新時代のオーナーという華やかさがあった」と振り返る。
一方で、英司の時代、グループ経営は急拡大へと傾いていく。放送会館の建設には約40億円を投じ、さらに70億円規模の不動産投資にも乗り出した。時代の熱気を追うように、事業は膨張していったが、拡大の陰で、危うさもまた積み上がっていた。
【後編を読む】夫の借金問題が闇社会にまで広がって……京都新聞の「女帝」と呼ばれた白石浩子氏がくぐり抜けた壮絶権力闘争
「週刊現代」2026年5月25日号より
