岡山天音(写真=池村隆司)

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 3月26日・27日の2夜連続で放送される、岡田惠和脚本のオリジナルラブストーリー『片想い』(NHK総合)。盛岡市を舞台に、南部鉄器の店で母と暮らす優衣と、隣の豆腐屋で育ち、東京の小さなデザイン会社で働くケンケン(健二)。幼なじみの二人が織りなす、不器用で愛おしい日々が描かれている。

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 優衣役・芦田愛菜に続き、ケンケン役の岡山天音にもインタビュー。主人公・ヒロトを演じ大反響を呼んだ2025年のドラマ『ひらやすみ』に続いてのNHKドラマ出演となる岡山は、本作でどんな顔を見せたのか。俳優という仕事に対する独自の哲学と、予定調和を嫌う生々しい美学への思いをじっくりと聞いた。

●芝居に求めるのは“じゃないこと”を拾っていくこと

――2025年の夏は、『ひらやすみ』と『片想い』の撮影がほぼ連続していたそうですね。ご自身の中で繋がりを感じる部分はありますか?

岡山天音(以下、岡山):撮影場所が偶然近かったこともあり、不思議な面白さを感じていました。『ひらやすみ』のヒロトには好きな部分がたくさんあって、その要素を自分の中に保存して生活しているところがあります。自分が台本を読み、カメラの前で体現している以上、役と自分自身の間に明確な線引きはありません。だからこそ、これまで演じてきた役の要素が何かしらの形で、日々の生活の中でも、流れ出している部分はあるだろうなと思います。

――前作のヒロトと今回の健二(ケンケン)では、演じているキャラクターは違う印象を受けます。

岡山:まったく違いますね。少し抽象的な表現になりますが、健二は他者との間に少し距離がある人物で、「自分の核の部分を箱の中に入れている」ようなイメージを持っています。ヒロトが「そこにいる肉体を持った彼自身」がそのまま表に出ているキャラクターだとすれば、健二は「自分を一つの箱で覆い隠している」ような感覚ですね。

――そうなると、他者との距離感や会話においてもアプローチの仕方がまったく違いそうですね。

岡山:そうですね。健二は非常に複雑なキャラクターです。ヒロトがむしろシンプルな人物だった分、対極に近いイメージすらあります。ただ、どの役も僕自身の一部を使って演じている以上、どんな芝居にも僕自身の要素は、共通して紛れ込んでいると思います。

――芦田愛菜さんが、「岡山さんが一体どれほど計算や準備をして芝居してきてくれたのか分からないぐらい、距離の縮め方が凄かった」とおっしゃっていました。現場にはどのような準備をして臨まれたのですか?

岡山:カメラが回っていないときのお話であれば、「仲良くなれたらいいな」とはもちろん思っていました。ただ、それは仕事や役に限った話ではないので、何か特別な意識があったわけではないです。芝居に関して言うと、僕は「予定されていたことが、予定通りに実行されること」が、芝居に限らずあまり好きではないんです。そこに面白みを感じられなくて。だから、計算や準備という意味で言えば、むしろ「どれだけその計算から離れられるか」を目指しています。台本を読めば、どうしても自分の中で思考が始まってしまいますが、本当は「頭で考えた場所」ではないところで芝居をしたいんです。

――“考えた”先にある、もっと生々しいものを見せたいと。

岡山:台詞が決まっていたとしても、お芝居をしている二人の間に確かに「本当の何か」が起きている、感情の“スパーク”が起きている……。口にしている台詞とはまったく違う意味合いかもしれないけれど、その場にその相手といることで生まれる「何かが本当であってほしい」と願っているんです。だから、あらかじめ定めた的を射るような芝居には、見るのも演じるのもあまり魅力を感じません。自分の想定外のところから何かがやってきたときが、人生においても一番ワクワクしますよね。自分の頭の中でイメージしていたものではない、“じゃないこと”を拾っていく。そんな奇跡のような瞬間を祈りながら演じています。

――その意味では、今回は芦田さんとの芝居だからこそ、想像してなかったところに連れていってもらえた感覚はありますか?

岡山:それはもう間違いなくそうですね。芦田さんのエネルギーをふんだんに借りた感覚があります。健二は優衣との心の交流が多い役柄ですが、現場での芦田さん演じる優衣のチャーミングさに、ただただ「連れて行ってもらった」という感覚が強いです。

――実際、完成した映像を観たときはどう感じましたか?

岡山:自分で「完璧にできました!」とは言いづらいですけど(笑)。ただ、これまでの他の作品では出せなかった、新しい自分が出ているとは感じています。僕が演じた健二の佇まいは、芦田さん演じる優衣の一挙手一投足や表情の機微が作り出す「微かに揺れた空気」を受けて出来上がったものです。「どこにでもいるけれど、そこにしかいない二人」の、人生のほんの短い時間が確かに映し取られた作品になっているなと、完成した映像を観て改めて思いました。

●岡田惠和の脚本にある“余白”

――本作の脚本はモノローグやト書きが非常に多いのが特徴です。岡山さんが思う岡田惠和さんの脚本の魅力は?

岡山:岡田さんの書かれる台詞は、僕らが普段使っている言葉と乖離していないんです。現実や人の体温にすごく基づいている。言葉の並びが人間の生理に近いからこそ、逆に演じる上での自由度が高いんですよね。綺麗に整備されすぎている台詞よりも、ずっと自然に口にできます。演じ方に対する「余白」がしっかり用意されている台本でもあります。モノローグやト書きが長く、「こういう感情がありつつ、でも別の感情もあって、最終的にはこうなる」と複雑な内面が書かれているのですが、それは俳優に対して「球を投げてもらっている」状態だと思っています。

――役者としてどう表現するのかが託されていると。

岡山:はい。それをどう表現するかは俳優に託してもらえているので、むしろ僕はすごく自由でいられる気がします。喋り言葉が生っぽいからこそ、作り物の台詞を口にするときの窮屈さがなく、現場でも本番中でも開放感を感じながら演じることができました。

――芝居でも私生活でも、“変わる”ことを岡山さんは大事にされているのでしょうか? 2026年への展望も含めて教えてください。

岡山:仕事の面でも、すごく変えていきたいですね。自分が何を求めて芝居をするのか、その方向性を変えてもいいのかなと考えています。僕自身、ベースとして「変容していくこと」に対してとてもポジティブなんです。良くも悪くも何かが変わる、形が変わっていくということを望んでいます。趣味など、何か新しいことも始めてみたいです。大人と呼ばれる年齢になり、自分の中で確立されていってしまう部分もあると思いますが、僕はそれをあまり望んでいません。変わり続けることのほうが、人生のいろんな味わいを楽しめて面白いんじゃないかなと思っています。(文=石井達也)