アジアの都市を旅すると、どの国にいるのか分からなくなることがある。経営コンサルタントの鈴木貴博氏は「どの街にも似たようなモールと店しかないからだ。一方、東京には個性的な街が多く、それが訪日客を引きつけている。この点を意識せずに大型開発をしても、失敗するだけだろう」という――。
写真=iStock.com/Starcevic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Starcevic

■無個性化が進むアジアの都市

仕事柄、アジアの各都市に出かける機会が多々あります。そこで最近、ちょっと気になっていることがあります。それはアジアの都市の“無個性化”が進んでいることです。

朝、ホテルの部屋で目を覚まし、「あれ、今どこに来ているのだっけ?」とぼやけた頭で窓の外を見回してみても、すぐには思い出せないことが珍しくありません。「バンコクだっけ? 上海だっけ?」という具合です。歳のせいもあるのかもしれませんが、それだけではなく、都市の風景のせいなのではないかと感じてならないのです。

もちろん、街歩きをしながらディープなエリアに入り込んで行くと、どの国にも昔ながらの暮らしがあり、独特の文化とそれに染まった街並みが見られます。しかし、私がいつも滞在拠点にしている街の中心部と、その周辺に広がる商業地に関していえば、急速に個性が失われているように見えるのです。

ちなみにアメリカ資本のグローバルホテルチェーンが、世界のどこへ行っても同じような部屋で統一されているのは、「アメリカ人が自宅にいるように落ち着いて過ごせるから」という理由なのだそう。もしかするとこの考え方が、ホテルを出てもそこが外国である感じがしないという、新しい都市現象に通じているのかもしれません。

■ZARA、H&M、ユニクロのお決まりの風景

アジアの都市の繁華街には近代的なビル群が広がり、たいていターミナル駅を中心に立体歩道でつながっています。どのビルにも壁面全体を覆うほどの巨大なデジタルサイネージが設置され、様々な製品やブランドの広告動画が踊っています。

さらに巨大商業施設の中には、海外ブランドに加え、必ずといっていいほど、ZARAやH&M、ユニクロが入居しています。どこの都市に行っても同じ光景で、どこでも同じブランド商品が手に入る。違うのは人々が話す言語と通貨単位だけという同質化が進んでいます。それはあたかも新興国の富裕層が憧れる町並みを、そのまま各都市に具現化したかのようです。

その点で比較すると、東京の街はなかなかに個性的です。確かに渋谷にも新宿にも池袋にも、ZARAやH&M、ユニクロはありますが、アジアと違って街並みの個性は維持されています。

たとえば渋谷は若者的で熱気があり、新宿はクールである反面どこか殺伐とし、池袋は家族的な安心感がある。ちなみに私が居心地のよさを感じるのは新宿で、恵比寿や六本木などに出掛けると、なんとなくアウェー感をおぼえます。誰しもきっと、こうした合う、合わないの印象を街ごとに抱いているはずです。これも東京の街に強い個性があればこそです。

■郊外のイオンには、ミスタードーナツと丸亀正麺

アジアの都市がどこも同じだというのは、決して感覚的なものではありません。経済学的な事情に基づく、明確な街の個性の違いで、実は日本中の中核都市においても同様の無個性化が進んでいます。

地域の商店街がさびれる一方で、郊外のイオンモールに人が集まる。そこにはユニクロがあり、ニトリがあり、ダイソーがあり、マクドナルドがあり、ミスタードーナツがあり、丸亀製麺がある。新興国の人々が憧れる街が世界中に出現しているのと同じで、地方都市の住民にとって居心地がいい、先進的な商業施設が日本中の中核都市に出現しているわけです。

ただし、そのような先進的な商業施設でも、手に入りにくいものがあります。それは地場産品です。たとえば私の地元の愛知県は日本一のえびせんべいの産地で、昔は菓子屋に行けば様々なえびせんを買うことができました。私が好きなアーモンド入りえびせんも、以前ならどこのスーパーでも購入できたものです。

現在は、愛知県内のスーパーに行くと、せんべいやおかきの棚はナショナルブランドの商品で埋め尽くされ、地元のえびせんは売れ筋のものがいくつか置かれている程度。需要の少ないアーモンドえびせんは、スーパーを何軒も回らなければ発見することはできません。

■地方都市が同質化していくメカニズム

このような現象は、2つの経済原理に起因します。まず1つめは、マーチャンダイズの規模の問題。わかりやすく言えばチェーン店が一般商店を駆逐してしまうのです。

30年前は日本中のどの街にも地元の小売店や飲食店があり、存続できていました。それが物流の進化、チェーンシステムの生産性向上、仕入れのグローバル化などいくつかの要因が重なり、チェーン店の優位性が強まりました。

昭和の時代には大規模小売店の優位が経済問題になりましたが、平成の30年間では大規模チェーン店の優位が進み、これが小規模小売店との決定的なコスト格差を生みました。その結果、チェーン店が日本中の都市に広がっていき、日本全国に画一的な店舗風景が広がることになったのです。

しかし、ここに2つめの経済要因が加わることで、東京と地方都市の間に発展の違いが起きることになります。それが顧客セグメントの規模の効果という要因です。

地方都市を活性化させようとする場合の着眼点として、都会的な遊び場を繁華街につくるという手法があります。たとえば地方都市で「クラブをつくろう」とか「火鍋専門店をはじめよう」といったアイデアが出たとします。こうした東京で流行している業態は、経営戦略でいう差異化が奏功し、一定数の需要を獲得できるもの。実際に成功事例は少なくありません。

問題はその先です。それらの業態に関心を持つ顧客セグメント規模が、東京とは違うという問題が出てくるのです。具体的には、地方都市で1店舗目が成功して同じジャンルの店舗を2店舗、3店舗と展開すると、東京のような集積が起きるのではなく、共食いが始まり、場合によっては飽きが出始めます。

■ニッチ需要が首都圏でしか成立しないワケ

これが東京であれば、西麻布にクラブがいくつも立ち並び、池袋北口に本格中国料理店が集まり、秋葉原にメイド喫茶が増加すると、それに合わせて顧客が増え始めます。お店の数が増え、顧客が増えると、そのジャンルの中で各店がさらに個性を競うようになります。そういった集積効果が起きるのは、背景要因として約3800万人の首都圏人口が存在するからです。

首都圏では、たとえ人口の0.1%しか需要がないようなニッチな新業態だとしても、実人口に換算すれば4万人程度の需要に相当します。それが東京の強みです。次々にライバル店が開業しても採算が合い、相乗効果でブームが広がります。それにより、「クラブの街」「萌えの街」「演劇の街」「アンダーグラウンドな街」「韓流の街」……など、ニッチ需要が集積した街が東京の随所に誕生するのです。

ところが、同じ0.1%の層にヒットする業態でも、人口40万人の地方都市であれば、顧客層は400人しかいません。そのため地方中核都市では単店では成立しても、街としての個性を生むことができないのです。

結果として、全国どこへ行っても同じようなチェーン店があり、同じようなコンビニがあり、同じような居酒屋があるという、似たような光景が全国に広がっていくわけです。これは経済合理性が生み出す全国共通の構造といえます。

なお、こうした地方都市の同質化現象を経済合理性から打破しようとすると、観光インバウンド需要を狙った都市の差異化が有効です。喜多方のラーメン、美瑛の農業風景、湯布院の温泉旅館などは地方でも個性を打ち出せた成功例であり、こうした方法で街を個性化する手法を私は否定しません。

■「渋谷、新宿、池袋」の未来

さて、話を大都市に戻すと、東京の街が個性を維持できている最大の理由は、首都圏人口3800万人という数がもたらす差異化セグメント需要の大きさにあることは前述の通りです。冒頭のアジアの各都市についても、これがあるかないかで今後の進化の方向は変わるでしょう。

たとえばバンコクも、単純な首都圏人口で考えれば約1400万人が存在しますが、中流層人口(つまり現地では富裕層人口)を考えると、まだ東京ほどの割合に達していません。バンコクの中心街が他のアジアの都市と似てしまうのはそのためです。

中流人口が非常に大きい上海などは、これから先、どんどん街が個性化していく可能性があるといえます。

一方、東京はというと、恵比寿、渋谷、新宿、池袋、中目黒、下北沢、吉祥寺といったそれぞれの街に、そこで誕生したニッチな業種に根ざす強い個性があるだけでなく、最近ではインバウンドを前提に大きな変化を遂げつつあります。

浅草は江戸の情緒を、銀座は高級品のショッピングを、秋葉原は萌えのカルチャーを中心に、さらなる変化を続けているのはみなさんもご存じでしょう。これも人口に根ざした経済性があればこそで、東京の街は今後も個性を強めていく可能性を秘めています。

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鈴木 貴博(すずき・たかひろ)
経営コンサルタント
1962年生まれ、愛知県出身。東京大卒。ボストン コンサルティング グループなどを経て、2003年に百年コンサルティングを創業。著書に『仕事消滅AIの時代を生き抜くために、いま私たちにできること』など。
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(経営コンサルタント 鈴木 貴博)