4月12日、第93回自民党大会であいさつした吉村洋文大阪府知事

写真拡大

「大阪維新の会」と「日本維新の会」が、3度目の大阪都構想挑戦に向けて戦闘モードに入った。だが、党の内部に亀裂を抱え、一枚岩には程遠い。率いる吉村洋文・大阪府知事の「暴走」に、永田町が揺さぶられる――。(竹場四郎/ジャーナリスト)※敬称略

異論噴出「三度目の都構想」

「できなかったらじゃなくて、やるんです」

 6月11日、大阪府庁で応じた報道陣の囲み取材。吉村は「副首都」制度創設法案が今国会で成立しなかった場合に都構想へどの程度影響すると思うか問われ、こう力を込めた。

 大阪市を解体し、幾つかの特別区に分割するのが都構想の本質。結党以来、看板政策に据える維新は「二重行政の解消」などメリットを前面に出すが、2015年と20年の市民投票で相次いで否決された。「大阪市」への地元の愛着と誇りは根強い。

4月12日、第93回自民党大会であいさつした吉村洋文大阪府知事

 そこで、住民投票の有権者を従来の大阪市民から府民全体に広げることを可能にする規定を、本来は別物のはずの副首都法案の付則に潜り込ませることにした。大阪市以外の府民なら抵抗感が薄く、賛成票を得やすい――。2度の敗北の反省から編み出した“奇策”だ。吉村が主導し、自民党に国会提出を迫った。

 これに対し、市を廃止するか否か決める際に市民以外にも一票を与えるのは憲法92条に基づく「住民自治」の原則に反する、と自民党サイドから疑義が呈された。ある中堅議員は横紙破りの維新流に「まともな発想ではない」と顔をしかめる。野党からも異論が噴出。各メディアは「姑息な手段」「ご都合主義」などと酷評した。

周囲が唖然

 表向きは強気一辺倒の吉村だが、実は蛇行を続けている。

 20年の否決以来、「僕が都構想に再挑戦することはない」と明言していた。しかし、党の退潮ぶりが目立った昨年7月の参院選直後、創設者の橋下徹が「副首都になるための政権入り」を提唱すると転換。実際に10月に連立に加わり、最重点項目として合意書に「副首都法案成立」を明記させた。

 今年に入って早々、首相の高市早苗が衆院解散を決めた。すると、都構想に弾みをつける好機と捉え、衆院選と同日の知事・大阪市長ダブル出直し選を事実上独断で強行。“弟分”の大阪市長・横山英幸と共に勝利した。

 ところが、ダブル選から1週間後の2月15日、日本維新の役員会で「来春までに都構想が可決されれば国政に戻りたい」と言い出した。来年4月の自身の任期満了に伴う知事選に合わせ、住民投票を実施したいというのが吉村の意向。知事を続け、都移行に向けた行政実務に当たるつもりかと思いきや、この発言だ。みな唖然とし、押し黙った。

「レガシーでも残したいんとちゃうか」

 ここで説明しておくと、吉村は弁護士繋がりの橋下にスカウトされる形で大阪市議になり、14年12月の衆院選で国政に進出した。ただ、翌年10月には辞め、橋下の後継として大阪市長選に出馬して勝利。さらにその4年後の19年春、知事だった松井一郎とスイッチした。

 大阪では「3代目スター」。他地域では考えられないことだが、大阪では維新の看板政治家はテレビの視聴率を取れる。お笑い番組にも呼ばれる。とはいえ6月でまだ51歳。永田町では前代表の馬場伸幸、国対委員長兼首相補佐官の遠藤敬ら12年当選組に小僧扱いされる。5歳下の共同代表・藤田文武との寒々とした関係は番記者間で周知の事実だ。

 話を戻す。4月13日、吉村は永田町で行われた維新国会議員団との意見交換会に出席し、「次の知事選には新しい方に出ていただきたい」と伝えた。これには馬場が「強引に進めてきて『後は任せます』で戦えるか」と激昂。吉村は幹事長の中司宏に発言を促されたが、「特にありません」と返し、張り詰めた空気が漂った。

「レガシーでも残したいんとちゃうか」

 都構想を急ぐ吉村には、維新の大阪市議団からも反発が起きた。大阪市議には「大阪府議と同格」という自負がある。だが、「大阪都」になれば府議は「都議」へランクアップする一方、市議は「○○区議」へ格下げになる。既得権の打破を掲げる立場として公言できないものの、心の底には微妙な感情が燻る。

「最前線で戦う」

 吉村は5月17日、包囲網に押されるように来春の知事選出馬を表明した。ただ、それまでに住民投票の同日実施が確定すれば、という条件付き。区割りや名称、区議定数など都の制度設計に当たる府市の法定協議会で投票の先送りが決まれば立候補しないと“退路”を残した。

〈「都構想」に向けた吉村知事のふるまい、連立の行方などについて、新潮QUEで詳報している〉

デイリー新潮編集部