東日本大震災から15年、被災した漫画家が“罪悪感”から長年語れなかったワケ「避難所に行かず自宅で過ごす選択」<漫画>
大きい揺れが続くなか、ドカンドカンと3回ほど大きな音が続き、少し揺れが収まってきた頃、カーラジオを付けたことで、「これ、地震なのかな?」とやっと気づきました。ただ、地震の直後は津波がきていることもわからなかったし、こんなにも広範囲に渡る巨大地震だとは思ってもみませんでした。
――地震発生直後はどう行動したのですか?
アベ:1歳の息子を保育園に迎えに行かなければいけないと思ったのですが、その途中に自宅があったので、子どもを連れて帰れる状態なのか確認することにしました。
――津波の心配はなかったのですか?
アベ:自宅は内陸5kmくらいの場所だったので、普段は海を感じずに生活をしており、津波を恐れる感覚がありませんでした。ただ、夫の職場は塩釜市にあり、海から500mくらいの場所なので心配でした。それでも、大きな被害を想定していたわけではなかったです。
息子を保育園に迎えに行き、実家の安否確認をして車でそのまま夫の会社のほうへ向かってしまいました。すると、途中で「ここから先は津波の危険があるため進めません」と通行止めになっていたんです。それで諦めて引き返すことにしました。「夫は死んでしまったかもしれない」と絶望的な気持ちでした。夫は、乗って行った車は津波に流されたのですが、幸い避難しており同僚に車で家の近くまで送ってもらって帰宅することができました。
震災当時、沿岸部の学校に通う子どもを迎えにいく途中で津波被害に遭われた方が多勢いらっしゃいました。そのため、現在は津波警報が発令されている間は、保護者は子どもを絶対に引き取りに来ないようにルールが徹底されています。
◆在宅避難を選んだのは、息子を守るため
――アベさんが、避難所ではなく在宅避難を選んだのはなぜだったのでしょうか。
アベ:震災の翌日、夫は「まず避難所に行こう」と言っていました。自宅は無事ではあったものの、電気も水道も止まっていたので、大人2人だけなら避難所に行ってみたかもしれません。
ただ、当時1歳だった息子を連れてお出かけするだけでも大変なのに、避難所で過ごせるのかという不安がありました。何より、息子にアレルギーがあったのが大きな理由でした。
――どんなアレルギーがあったのでしょうか。
アベ:息子は当時、ハウスダストのアレルギーがひどく、毎日家中に掃除機をかけ、布団も毎日必ず掃除機、ぬいぐるみも2日に1回は洗濯しないと喘息が出てしまうので、吸入器を使わなければならない状態でした。避難所では、それぞれが自宅から毛布などを持ち込みますし、防災倉庫に保管されていた毛布がどれくらい清潔かわかりません。
また、息子はアトピーがあり、牛乳、卵、小麦粉、魚卵などの重度の食物アレルギーでした。とくに、牛乳、卵、小麦粉は飛沫だけでもアレルギーが出てしまうので、医師から家庭内に持ち込まないように言われていたんです。当時は非常食といえばクラッカーだったので、避難所でその飛沫によって息子がアナフィラキシーショックを起こす可能性がありました。「危険な状態になったとしても、救急病院で診てもらうことは難しいだろう」と思ったので、子どもの命を優先するためには自宅で過ごしたほうがいいと判断しました。

