港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。

女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。

タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。

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カレー、超大盛にしといたから、今日はこれで満足しろってルビーに伝えて。アイツにこれ以上食わせないで」

そう笑った…(といっても、そのごくわずかな表情の変化で彼が笑ったのだとわかる人は、ほんの数人だろう)Sneetの店長ミチからカレーの入った保冷バッグを、ともみは感謝を伝えながら受け取った。

確かにずっしりとした重みがあり、バターチキン、キーマ、マトンの三種類のカレーを大サービスの量で入れてくれたのだろうと想像がつく。

普段から何かとルビーの食べ過ぎを注意する、ミチのルビーに対する干渉はまるで…と、ともみはふとミチに尋ねてみたくなった。

「ミチさんとルビーって、時々、兄妹みたいですよね。付き合いってどれくらいなんですか?」

TOUGH COOKIESがオープンすることになり、「アンタの役に立つから」と、光江からルビーを紹介されたのはBAR・Sneetでのことだった。その時からルビーが、ミチ兄(にぃ)ひさしぶりぃ!と懐いている様子だったし、ミチとは元々知り合いなのだと、その後にルビーから、なんとなくは聞いている。

「珍しいな。興味がでたのか?」

からかうような口調に変わった(これもミチをよく知る人しか気づけない、ごくわずかな変化)ミチに、ともみは少し気まずくなった。普段から他人を詮索せず興味を示さないのにどうしたのかと問われているのだろう。

いえ、興味というほどじゃ…とまごついたともみに、ミチが、そろそろ上がらなくていいのか?と言った。

そういえばまだお客様は帰られていない、とハッとしたともみが、もう一度ミチに礼を告げてからTOUGH COOKIESに戻ろうとしたその背に、ともみ、と、ミチの低い声がかけられて振り返る。

「なんかあれば話に来いよ。聞くだけでいいなら、オレでも聞ける」

― “なんか”というのは……。


TOUGH COOKIESのことなのか、大輝のことなのか。それとも、渡された名刺の主…松本公子とのことなのか。どこまでミチに見透かされているのだろうと、気恥ずかしくて落ち着かず、ともみは、ごまかすようにただ頭を下げてミチに背を向けた。




保冷バッグには、3種のカレーがそれぞれ2人前ずつ(つまり合計で6人前)と、白ご飯もサフランライスもナンも、それに合わせた確かに超大盛の量が入っていた。

ミチからの、今日はこれで満足しなさい、という伝言を聞いたルビーが、ほんっとミチ兄はアタシのことが大好きだよねぇ、と、いつものポジティブ解釈をしながら、賄い用の食器に手際よくカレーをとりわけていく。

それをカウンターではなく4人席のテーブルに並べると、ミチさんのカレーにはジントニックがよく合うけど、何飲みたい?と、客である水原桃子(29)に聞いた。

「ほんとに私までいいんでしょうか。お支払いとかは…?」

遠慮する桃子を、いいのいいの、これはアタシたちの賄いなんだから!と、テーブル席に移動させたルビーは、桃ちゃんもジントニックにしてみる?と強引に決めてしまった。

ってことでジントニック3つね♡、と半ば命令されたともみが苦笑いで従い、3人でカレーを食べ始める。

「ん〜、相変わらず、うんまぁぁい♡ おいしいものって、ほんっと人を元気にするよねぇ…」

と、心から満足気なルビーに、桃子が同調し、驚いた様子で言った。

「私、マトンカレーってあんまり得意じゃなかったんですけど、これは…」

「でしょ?お肉は箸で崩れるくらいまで煮込んであるし、10種類くらいのスパイスが入れてあるらしいんだけど、それが羊肉のクセのある香りをただ消すんじゃなくて、お互いに高め合っちゃって香ばしくなってる感じ?でもガツンと辛くて。

これには、ジントニックが最高なのよ。あ〜も〜たまらん」

どんどんカレーを平らげながら、ごくごくとジントニックも飲み干していくルビーに、それアルコールだからね?と、ともみが突っ込むと桃子が笑った。

― よかった。

さっきまでの涙で桃子の目はまだ赤いけれど、その笑顔の屈託のなさに、ともみはホッとした。

「で、AYANOに着せるデザイン、もう思いついちゃったりしてる?どんな感じにしたいとか、もうあるの?」

ルビーの質問に1つ1つ、アイディアが止まらぬ様子で答え続ける桃子の瞳が、ゆっくりと希望に満ちていく。

「やっぱ桃ちゃんってマジで才能があるんだよ。デザインは盗めても、才能までは奪えないってことなんだよね〜♡」

ともみも同調し、桃子への言葉を重ねた。

「あと、思い出も奪われない…ですよ」

恋した思い出は桃子のものだ。相手がどんなに悪い男でも、たとえどれだけ傷ついても、その恋の全てを否定するのは悲しすぎる。大切にしていい思い出もあるはずだから、と、ともみは先ほど桃子に伝えたことを、改めて、言葉にせず思った。

「やだ、どしたのぉ?ともみさんが今日はやたらとロマンティック〜♡いいよいいよ、なんかとってもいいよぉ〜」

からかうルビーに、ともみが言うんじゃなかったと顔を歪め、桃子が笑い声をあげた。

「今日、ここに来る前に、TOUGH COOKIEってどんな意味なんだろう、って調べたんです。そしたら、かわいらしい見た目だけど芯の強い女性、って意味があるって知って。めちゃくちゃ素敵だし、なんか、お2人にぴったりだなって今、すごく思うんですけど」

店名はともみさんが決められたんですか?と続けた桃子に、ともみは照れたように微笑んだ。


「確かに選んだのは私ですが、正直なことを言うと、TOUGH COOKIEっていうのは、いくつかの候補のうちの1つでしかなかったんです」

ともみは、光江に店名の候補を考えるようにと言われた時のことを思い出した。聞いていたのはこの店が“悩み苦しんでいる女性たちの話を聞く店”になるということだけ。

看板やロゴにしたときにかっこよく見えて、かつ、女性専用であることがわかりやすい店名を…と必死で調べて考えた候補の中には、花の名前もあったし、光江の“光”を使って“暗闇を照らす光”的意味を英語にしたものもあった。ともみは5つほどのアイディアを光江に渡したのだ。

「最終的に決めたのは、この店のオーナーの女性です。彼女が、私のアイディアのTOUGH COOKIE、に複数形のSをつけて、この店は“TOUGH COOKIES”になりました」

ともみの説明に、ルビーが、それ知らなかったなぁと驚いた。

「あえての複数形ってなんかいいよね。1人だと強くなれない時もあるけど、みんなでなら強くなれるし、支え合ってサバイブしようぜ!的な?」

シスターフッドって感じで良きよね〜と言ったルビーに、桃子が感動しちゃいました、と答える。

― 支え合って…強くなるなんて。

ともみは今までの人生で一度も考えたことがなかった。

落ち込んで、傷ついて、たとえ全てを失ったとしても、自分の力で立ち上がる。他人のせいにせず、責任は自分でとる。その信念で強くなってきたし、これまで生き抜いてこれたのだと、ともみは今も信じている。でも。

― 誰かが強くなるための、場所。

光江が複数形をつけたその意味を、ともみは、今日はじめて、ほんの少しだけ理解できた気がした。



「ルビー、今日、最初なんであんなに大人しかったの?というか、全体的に、なんかおかしかったよね?」

AYANOへのデザインができたら教えてね、と言ったルビーと連絡先を交換した桃子が帰った後に、店を片付けながらともみは聞いた。

洗いものをしていたルビーが、え〜なんのことぉ?ととぼけたが、ともみは逃がさず続ける。

「いつものルビーなら、すぐに桃子さんの味方になったはずでしょ?なのに、今日はやたらと桃子さんを詰めたというか責めたというか。まあ途中から調子は戻ってたけど。それに、あの視線はなに?」

「んー?」

「私のこと、意味ありげに見たりしたでしょ?何回か」

確かあれは、桃子のことを騙した二股男…永井を、ルビーが、“肝心なことは何も言わない系オトコ”と表現し、“付き合おうとも恋人になろうとも、実は言われてないのでは?”と桃子に聞いたあとだ。

ルビーはなぜか、心配そうにともみを見たのだ。その視線の意味を教えて、と、ともみがもう一度問い詰めるように迫ると、ルビーがしぶしぶ、と言った感じで、それねぇ……と、あきらめたように答え始めた。


「大輝さんにフラれたばっかのともみさんには、キツイ展開になっちゃったなぁって。ちょっと自分の発言を後悔したの。で、ごめんなさいって気持ちの視線でした」

「…え?」

きょとんとしたともみに、ともみさんってやっぱ自分の痛みには鈍いんだねぇ〜、とルビーが苦笑した。

「肝心なことは何も言わない。付き合おうとも恋人になってとも言われていない。それってまさに大輝さんと同じじゃん」

「…は?」

心外だという顔をしたともみに、あ、もちろん、桃ちゃんのクズ男(くずお)とは全く質もレベルもちがうけど、ですよ、と続けた。




「ともみさんと大輝さんはお互いが納得済みの、割り切った体の関係…だったけど、ともみさんが、どっぷり好きになっちゃって、フラれた。

でもまだ好きでつらい。つまりある意味ズルい男に泣かされて未練があるってことでは、まさに桃ちゃんと同じ状況なわけでしょ」

全然同じじゃないでしょ!と反論したいのに、喉につかえて言葉にならなかった。そして気がついた。

― ルビーが最初に大人しかったのは…。

「もしかして、私に気を使って大人しくしてたの?」

「うん。私がクズ男(くずお)をバッシングしすぎちゃったら、ともみさんが大輝さんのことを思い出しちゃって、桃ちゃんに自分を重ねてつらくなっちゃうかなぁって遠慮してたんだけど、クズ男っぷりがひどすぎて、やっぱり我慢できなくなっちゃった」

ごめんなさい、とペコリと小さく頭を下げたルビーが続けた。

「でもね、その時思ったの。似た状況にいるともみさんだからこそ、桃ちゃんのことを助けられるんじゃないかなぁって。だからともみさんがマジになってくれるように、ちょっと、その、ともみさんの地雷に触りに行っちゃったというか、あえて言葉を強くして、あおらせてもらったというか……」

ルビーが、バツが悪そうに、らしくなく言い淀んだその先の言葉を、ともみは思い当たってしまった。

「つまり、私が自分を桃子さんに重ねちゃうくらい…私自身がルビーに責められてるような気分になるように、私をあおれる言葉を選んで、桃子さんを問い詰めてたってこと?私がムキになって反論するくらいに?」

「…うん」

「私が桃子さんと同化すれば、桃子さんを守って、助けるだろうって狙ってたってこと?」

「……はい。ほんとごめんなさい。でも助けるっていうか、今のともみさんなら自然と、桃ちゃんに寄り添えると思ったの。

他人からは100パー別れた方がいいって言われる質の悪い男でも、自分にとっては大好きな人ってやつ、アタシはそんな経験ないから、心からの言葉を桃ちゃんにかけられないけど……同じ状況にいる今のともみさんなら、桃ちゃんにとって一番必要な言葉を伝えてあげられるんじゃないかなって。世の中の正論的なやつじゃなくてね。

だって、今日のともみさん名言連発でしびれちゃったもん!

“ルビーが彼を否定して、桃子さんの幸せな思い出を傷つけて奪おうとするのは間違っていると思う”とか、“桃子さん、あなたは彼のことを嫌いになりきれていないんですね”ってやつとかさぁ」

あ、思い出も奪われない、ってやつも良かったなぁと、自分の口調を真似て付け足され、ともみの喉から顔へと熱が広がっていく。

「…え?ともみさん?もしかして、恥ずかしいの?」

ルビーの声に、自分が赤面していることに気づいてともみは動揺した。慌てて平静を装い、テーブルを拭きにいくふりをして背を向ける。

― 賢い子だとは知ってたけど。

ルビーにまんまとのせられたことが恥ずかしく悔しいと思いながらも、不思議と嫌な気持ちにはならず、光江の言葉を思い出した。

「この子はルビー。アンタの足りない部分を補ってくれると思うし、相性はいいと思うから一緒に働いてみて」

― 足りない部分どころか…。

ともみも店も、お客様も。──ルビーに救われている。

「でもさ、ほんっと今日のともみさん、めちゃくちゃかっこよかったよぉ〜。あ、あのセリフもよかった、正義がいつでも勝てるとは限らないんだよ?だっけ?」

またもともみの口調をまねたルビーを、バカにしてる?と振り返って睨む。リスペクトでっす!とルビーが敬礼をしてふざけ、ともみは声を上げて笑った。




― 光と闇。光が強くなるほど闇が濃くなるのは世の理(ことわり)だけど。

西麻布の女帝こと光江は、ともみからの営業報告の電話をBAR・Sneetで受けた後、ルビーのことを思った。

― ルビーは光が強い子。でも、だからこそ。

その分の闇も深いということを、ともみが気づく日がくるのだろうか。闇のない人間なんていないのだから、生きていく中で大切なことは、自分の闇をうまく飼いならし、その深みに飲み込まれないようにすることなのだけれど。

ルビーは優しすぎるがゆえに、自分の闇と向き合うことを避け続けてきた。だがいずれは向き合わざるを得ない時が必ずくる。そして、その時はもう近いだろうと光江は予測していた。

「今日はルビーに助けられました」

さっきの電話でともみはそう言っていた。いつかルビーのことも、ともみが助けてくれるといい。光江はそう願いながら、ある人物に電話をかけた。

▶前回:「最低な元カレに仕返しを…」泣き寝入りはしたくない。29歳女の最高の復讐とは

▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱

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