豊富な運動量は高校時代に培われた。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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 攻守の重要局面となる「バイタルエリア」で輝く選手たちのサッカー観に迫る連載インタビューシリーズ「バイタルエリアの仕事人」。第31回は、FC町田ゼルビアのMF翁長聖だ。

 前編では、黒田剛監督の就任に伴う変化、得意のロングスロー、バイタルエリアを中心に攻守で意識している点を訊いた。

 後編となる本稿では、豊富な運動量を身につけた要因、長期離脱がない秘訣、今後の目標などについて語ってもらった。

 サイドバックやウイングバックで、激しい上下動に定評がある翁長。抜群のスタミナは、帝京三高時代の鍛錬にあったようだ。

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 中学校の頃は、ボランチやトップ下とかをやっていました。分かりやすく言えば“お山の大将”のような感じでした。それなりに、その地域では中心的な選手として試合に出してもらっていました。最高で関西でベスト16まで勝ち進んだことがあります。

 帝京三高では、2年生の時は3トップの左ウイングなどをやっていました。3年生になってからは1トップに入りました。あまり得点を量産するタイプではなかったですね。
 
 運動量を褒めていただけることも多いのですが、当時は自分では特に武器だと思ったことはなかったです。小さい頃から、学校では走るのは速いほうでしたが。高校で鍛えられたのかな、と思っています。

 標高が高い環境のなかで、移動するのが、すべて自転車でした。当然、走り込みも山のなかで行なっていた。それが、スタミナを強化する要因になったのかなと思います。学校の校舎が800メートルくらいの場所にあり、グラウンドはもっと高い1000メートルくらいでした。

 標高差があるなか、行きは全部上りで、帰りは逆に下りとなるなかで、毎日のように自転車で移動していました。そのため、行きは坂を上るために3、40分くらいかかりました。一方、帰りは下り坂で簡単に加速できるため、10分くらいで帰ってこられました。

 そんな環境で、気づいたらスタミナがついていた、という感じです。高校の時には、特に“走れるキャラ”ではなかったですが、大学以降で、運動量で苦労した経験はありません。

 中央大では、2年生の時から試合に出られて、ポジションはウイングでした。セルティックの古橋(亨梧)と同期。ともにウイングで、自分が左、彼が右だったため、ポジション争いはしていませんでしたね。

 彼とは同じ関西出身で、旧知の仲でした。中学生の頃によく試合をしていて、「あそこで有名なあいつ」という感じから始まって。単純に、サッカーが好きな選手という印象です。
V・ファーレン長崎でプロデビューした2017年に、開幕戦でスタメン入りを果たすなどルーキーイヤーは38試合に出場。その後も、コンスタントに試合に出続けて、22年の町田加入後は、J2第29節のファジアーノ岡山戦まで、1年半以上にわたってリーグ戦の全試合に出場してきた。

 練習量の多さにも定評がある翁長に、“持続”の秘訣を訊いた。

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 続けるために大事なのは、特別な意識をしないことだと思います。特に、ルーティーンも無いですし。

 大宮にいた頃に、試合前にピッチを散歩していたことがあります。それも、ルーティーンではありませんでした。気まぐれで「暇だから行こうかな」程度の感じですね。

 目的は、ピッチ状況の確認でした。日によって、芝の長さも違いますし。お客さんがどれくらい入っているかなど、ピッチ内から見える景色を見ていました。ただ、今はやっていないです。

 厳しい食事管理も、特にしていません。自分の身体に聞いて、という感じです。お腹が空いたら食べますし。
 
 特に考えていないのが良いのかな、と思っています。ストレスが無くなりますし。心の持ち方ですが、何かを「やらなければいけない」となると、続かない性格なので。