「こんな一面もあったとは…」ステイホーム中、夫が気付いてしまった妻の意外な本性
「できれば幼稚舎、ダメなら青山」
夫の一言で始まった息子のお受験。
渋谷区神宮前アドレスを手に入れ、理想の結婚をしたはずの京子だったが、とある幼児教室の門を叩いた日から、思いがけない世界が待っていた。
◆これまでのあらすじ
深雪との約束を妻・京子に見破られた春樹。不貞の代償としてお受験の志望校に関係するツテか、在学生の親を連れてこい、と京子は言うが…。
▶️前回:リモート中の夫の“不自然な外出”に違和感を覚える女。妻が男に突きつけた驚きの要求とは

京子の誤算
京子がウィル・ヴェンダーズで春樹と一緒に仕事をしていた頃、彼は明らかに「デキる男」だった。クライアントから何本も指名が入り、採用されたコピーが賞を獲得したことだって一度や二度ではなかった。
しかし、いざ結婚してみると、自分勝手でわがままな気分屋。
もしかしてモラ夫?という疑念ばかりが湧いては消えていた。
―今の時代、本当にデキる男なんてそもそも存在しないのかも。
京子が最近思うことだ。春樹に限らず、男は甘えの欲求を少なからず持っているもの。だからマザコンとか、不倫がはびこるのだと。
これこそ京子が到達した結論だ。
ー結局男って、弱い生き物ね。
息子のお受験だってミーハーで、流されやすい夫の言いなりでは、振り回されて疲弊するだけだ。
だいたい志望校へのツテを持たないまま、年中の終わりになってお受験に参戦したのだから、子供が生まれた時からお受験対策に奔走している人たちに敵うわけがない。
だから京子自身が、お受験への取り組み方を考え直すことにした。
お受験への考え方を改めた京子に対し、春樹は…
しかし、そこにいたったのは、夫の不貞がきっかけ、というよりは、むしろ東山先生の助言によるところが大きい。
子供の合格のために、金に糸目をつけず必死で努力を重ねている友人たちを横目に、遅れまいと必死になっていた京子。そんなことを、東山先生に個人面談の時に相談した。
先生の助言は、京子がまったく予想していなかったものだった。
「周りの方の真似をして何の意味がありますか?自分らしく生きることができない人に、次なる道は開けないものよ」
じっと考え込む京子に、東山先生は茶目っ気たっぷりに付け足した。
「なんてね。これは私のオリジナルではなくて福沢諭吉先生の言葉です。それに学校に行くのはお母様ではなくて隼人くんです」

目から鱗が落ちる思いだった。
そうだ。小学校に行くのは隼人。息子の能力を信じてお受験に取り組むのが大前提だと。
そして、お受験のために習っていることは、小学校に上がってからも役立つことばかり。仮に受験した小学校にすべて落ちて公立小学校に行くことになったとしても、無駄になることは一つもない。
だったら、人に流されることなく、自分のできることを丁寧にこなしていこう。普段通りに、食事を作って、人のいない時間を見計らって公園で遊んだり、スケッチをしたり。家ではペーパーの宿題を決められたとおりにこなし、絵本を読み聞かせる。
京子は、“分不相応なことはしない”と受験に対する姿勢を見直すことにした。
春樹の改心
2020年4月に緊急事態宣言が発動されリモートワークになり、ストレスを吐き出す場所が欲しかった、というのは言い訳にすぎない。春樹は頭ではわかっていた。
しかし、いきなりリモートワークと言われても…。
神宮前アドレスを持っている、と言っても70平米程度の2LDKのマンション。
息子のお受験がリモートワークよりも優先され、リビングには京子がAmazonで買い求めた室内用の鉄棒が鎮座しているというコロナ禍の日常。
『自粛期間中であっても深雪に会いたい』という気持ちを抑えられなかったのは、春樹自身も大人気ないとはわかっている。
だが、彼女といると悩みやストレスを忘れ、単純に楽しい時間を過ごすことができるのだ。
―しかし、その関係ももう終わってしまった。
京子に見つかったあの時、なぜ素直にiPhoneのパスワードを教え、初期化に応じてしまったのだろう、とわずかな後悔がよぎる。
深雪の立場からすれば、春樹は待ち合わせの場に現れず急に音信不通になった、ということになる。携帯が復活した時には、既に彼女とは連絡がとれなくなっていた。
きっとすべてを察したに違いない。
申し訳ない気持ちもあったが、このことは、深雪との関係を清算し、受験に真摯に向き合うきっかけとなった。
春樹はまず会社の同僚たちに連絡をとり、そこから数珠つなぎ的に幼稚舎と青山学院初等部に子供を通わせている親を探し出し連絡を取っていった。
『ツテはなくてもいい。せめて幼稚舎や青山にご子息を通わせている親の話を聞く機会を作ること』という京子との約束だけだけは死守することにした。
本当に反省したのか?春樹の心のうちは?
◆
春樹は明治通りを見下ろしながら、窓辺のダイニングテーブルでPCを開いた。
今日みたいな天気のよい日曜日でさえ、人はまばらだった。
通りの反対側に、5分ほど前に“運動しに行く”と言って家を出た京子と隼人が手を繋ぎ歩いているのが見える。

幼稚園もお教室もクローズされ、当初は疲れと鬱憤を溜めていた京子だったが、すっかりこの状況に慣れ、どことなく楽しそうだ。
ー適応能力の高さはさすがだな…
この状況下、物資が極端に不足していた。スーパーや量販店がほとんどないこの界隈では、食材や雑貨などを買い求めることに難儀した。食事時になると、Uber Eatsの配達員が忙しく行き交う。
しかし、京子は淡々と家事をこなし、あるものを工夫して生活しようと努力をしている。
Uber Eatsどころか、かろうじて営業しているレストランのテイクアウトにも興味を示さない。
「日本は便利なことに慣れすぎなのよ」という京子の頼もしい言葉。
そうだった。妻が優れているのは、こういうところだった、と改めて感じていた。そう言えば付き合い始めた当初から、京子はそれまで付き合ってきた女たちと違っていた。
高価なブランドバッグや服を欲しがったりしない。
仮に買ってあげたとしても、いつまでも大事に使い続ける。ファストファッションで今年限りの流行服を揃えることもしない。
ボランティアや環境保護に関心のある両親の元で育っているため、京子にとっては当たり前のことだ。それでいて貧乏くさく見えないのは、彼女の恵まれた容姿とセンスの良さのためだろう。
ウィル・ヴェンダーズにいた時は、ソーシャルグッド広告に関わることが多かった京子。「アパレルは水を多く消費する産業だから、今のうちから環境問題に取り組む姿勢を見せるべきだ」とクライアントに提案していたことを春樹は思い出した。
―要するに京子って、エシカルを地でいってるんだよな。それも昨日、今日の流行りでそうなったわけじゃなく。
お受験準備に必要な読み聞かせだって、本は図書館で借りてきている。買うよりもずっと多くの本を京子が読み聞かせてきたせいだろうか。隼人の発する語彙の豊富さに、時折驚かされることがある。
PCにセットしてあったアラームが鳴り、オンラインの画面が立ち上がった。画面にはいつものように艶やかな巻き髪の女性。
「お忙しいところ申し訳ありません、東山先生」
ステイホーム中とはいえ、本番半年前だ。毎年恒例の青山学院のファミリーフェアは、社会情勢を理由に中止になった。このままでは学校説明会も中止になるに違いない。
京子に少しでも反省の意を示す意味もあって、春樹は東山先生にアポを取りつけたのだ。
志望校選びや、父親の役割などについて聞きたいことは山ほどある。
ところが。
「受験校について、私からご提案があるのですが」
春樹の話を聞くよりも早く、東山先生から出た「ご提案」という言葉。
「ご提案…ですか…」
春樹は予期せぬ展開に、ジッと画面を見つめた。
▶️前回:リモート中の夫の“不自然な外出”に違和感を覚える女。妻が男に突きつけた驚きの要求とは
▶︎Next:1月16日 土曜更新予定
行事や説明会が中止され、コロナでお受験に激震が走る。ツテなしの間山家はどう立ち向かえばよいのか?東山先生のご提案の意図は?

