パワースポットには「縁結び」の御利益があるといわれる。そのなかでも出雲大社は「縁結びの聖地」として有名だ。しかし、「縁」はどうやってできるのか。ノンフィクション作家の高橋秀実氏は「『縁結び』という言葉によって、縁は結ばれるものになったような気もする。要するに物は言い様なのだ」という――。

※本稿は、高橋秀実『パワースポットはここですね』(新潮社)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/winhorse
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■川崎駅周辺の神社では「ステキな彼氏が出来る!」

地元のタウン誌によると、川崎駅周辺は「縁結びのパワースポット」らしい。駅前の女躰大神(にょたいおおかみ)には「夫婦和合縁結び(、、、)家内安全家運隆昌安産学芸武道の護神、生命の源なる水の守護神」(石碑より 傍点筆者)が祀られている。

その近くの稲毛神社も武勇勝利の神、武甕槌神(たけみかつちのかみ)を主祭神とするのだが、なぜか「戦勝とその後の親和協力」(同社HP)を祈るということで縁結びに御利益があるという。戦いも縁結びの機縁らしく結婚式場まで備えているのだ。

さらにこれらを巡って開運パワーをいただく「ご縁結び三社巡り」もある。縁結びの神社を縁結びするようで、なんでもかんでも縁結びなのである。実際、ネットで「パワースポット」を検索してみても、圧倒的に目立つのは「縁結びのパワースポット」だ。

縁結びに効かないパワースポットはないくらいで、大抵はそこに行けば「恋愛運アップ!」で「ステキな彼氏が出来る!」とのこと。

まるでシンデレラ城のようなのだが、そもそも縁結びのパワーとは一体、何なのだろうか。健康や商売繁盛を祈願するなら本人にパワーがチャージされそうだが、縁はむしろ力を抜くことで気づくものではないだろうか。

■縁は力を抜くことで気づくもの

下手に力を込めると、そのこと自体に「多縁」(用事が増えて忙しくなること)となり、本人に彼氏が見つかるというより、人様の仲人になってしまうのではないか。本当に彼氏を探したいなら、盛り場やパーティーなどに出かけたほうがよいのではないか、などと訝っていたのだが、ある日、私は気がついた。

もしかしてこれこそパワー、つまり「チカラ」ではないか。古来「チカラ」の「チ」は「血」も意味している。ゆえに『古典基礎語辞典』(角川学芸出版 2011年)は「チカラ」をこう語釈していた。

チは、体力や気力の源泉と考えられた血液の意のチ(血)。カラは、ウガラ・ハラカラ(同胞)・ヤカラ(族、一家の親族の意)のカラと同じで、血の筋の意味を表す語という説があるが、確かではない。

不確かながら、「チカラ」とは血族のこと。血縁をつなぐわけでまさに縁結び。パワースポットとはすなわち縁結びのスポットなのだ。

よくよく考えてみれば物理学の起源である「ものを押したり引いたりするときの筋肉感覚」(マックス・ヤンマー著『力の概念』高橋毅、大槻義彦訳 講談社 1979年)も生きているからこその感覚で、その元を辿れば両親の縁結びであり、それこそが「力」の究極の起源ではないだろうか。

■小さな出雲大社が見守るショッピングセンター

近隣のパワースポットで私の目を引いたのは「ラゾーナ出雲神社」だった。川崎駅に直結した巨大ショッピングセンター「ラゾーナ川崎プラザ」の4階屋上に「出雲神社」があるという。このショッピングセンターは東芝の堀川町工場の跡地に建てられており、かつてそこに祀られていた出雲神社をそのまま移設したらしい。

開放感たっぷりの屋上に静かに佇む神社で、今年出会うステキなご縁をお願いしてみてはいかがですか。(『ハマ・サキ マガジン』2017年1月・2月号 ナイス)

同社はかの有名な出雲大社の分社。分社がなぜそこにと思いつつ、とりあえず私も出かけてみることにしたのである。日曜日の午後2時。ラゾーナ川崎プラザのイベント広場ではキラキラと輝く衣装をまとった女子たちがダンスを披露しており、大変なにぎわいだった。人混みを抜けるように、まず総合案内所に向かう。そして神社への道順をたずねると、「出雲神社は出雲大社の分社ですから、効果としては一緒だと思いますよ」と微笑まれ、エスカレーターを乗り継いで4階の屋上広場へ。

ショッピングセンターは中央が吹き抜けの構造になっており、確かに開放感はあるのだが、見回してみても神社がない。そこでウッドデッキの通路を歩いてみると、その脇に小さな鳥居が建っていた。

■「出会い」より「再会」に感じる縁

これか?

まことに畏れ多いのだが、出雲神社は神社のミニチュアのようなのである。私は体を少し屈めて鳥居をくぐる。5歩進んで貯金箱のような賽銭箱にポケットの小銭を入れ、出雲大社のしきたりに従って二礼四拍手一礼。何やら神社から私の体がはみ出ているようで、神威に包まれるというより、私が包んであげないといけない感じさえする。

人が来るのだろうか。しばらく鳥居の前に佇んだのだが、一向に誰も立ち寄らない。立ち寄る気配すらないのだ。時折、子供がやってきて置き石で跳ねたり、賽銭箱を覗き込んだりするだけ。人々は私の前を素通りしていく。次第に狛犬の気分になり、神様はもとより私も無視されているようで、縁結びどころか縁遠くなっていく感覚に襲われたのである。

思い起こせば、島根県の出雲大社に出かけた時はこうではなかった。広い境内には女性たちがあふれ、歩いていると私はたびたび声をかけられた。「写真お願いします」と。カメラを渡され、彼女たちの記念写真を撮る。

「はい、チーズ」と言ってシャッターを切ると「ありがとうございます。出雲大社の方ですか?」と訊かれ、「いいえ、違います」と答えると、「えっ、じゃあ、どちらから?」「川崎から」「そうなんですかあ」「皆さんはどちらから?」という具合に話が弾んだ。

その後、夕刻に境内をうろうろしていると彼女らにばったり会い、「あっ、今朝ほどは」と一礼される。いうなれば再会。婚活中の女性たちによると、「出会い」より「再会」に縁を感じるそうで、縁結びとはこのことかと感心したのである。

■出雲大社はイメージ戦略のパイオニア

もしかするとラゾーナ川崎プラザ全体が境内ということか。ショッピングセンターを行き来する人々を眺めながら、私はそう思った。出雲神社が屋上から全体を見守っている。閉ざされた空間でランダムな衝突が生み出す縁。ステキな出会いとは、チカラの物理学ではないだろうか。

「出雲大社はイメージ戦略のパイオニアなんです」

晴れやかにそう解説してくれたのは、出雲大社・和貴講社講社長の酒井嚴貴さん。彼は出雲大社教の布教師でもあり、その教えを今に伝えているのである。

「最初に『縁結び』を始めたのも出雲大社です。他の神社はその真似をしているんですね。今はどこもかしこも縁結びのようですが……」

縁結びの元祖は出雲大社。そもそも出雲大社の御祭神は大国主大神で、その先祖はスサノオノミコトである。粗暴で荒れすさぶ神。どちらかというと縁を切りまくる印象すらあるのだが、出雲大社はいつの間にか、縁結びの神社として有名になっている。これこそが「イメージ戦略」の成果らしいのだ。

「江戸時代に出雲の御師(おし)たちが、御札を売り歩きながら宣伝したんです。男女の縁を結ぶ御利益がありますよ、と。当時は庶民が御利益信仰を求めていましたから、マッチしたんですね。消費者心理をくすぐるビジネス戦略だったといえます」

今で言うならマーケティングに成功したのである。

記録によると、天正19年(1591年)に毛利輝元の朝鮮出兵に備え、出雲大社の社領は大幅に削減された。そこで大社は財政再建のために全国に「御師」を派遣したらしい。彼らは中官級の神主で、5〜6人で旅に出る。行き先はそれぞれ決まっており、そこで御札を配り、祈祷や講話などをして収入を得る。

■神在月の逸話に縁結びを織り込む

信者を増やし、講社と呼ばれる団体を結成し、出雲大社への団体参拝を勧誘する。さらには参拝客を自宅に宿泊させる。民宿業を兼ねた神主というわけで、「此の收入は莫大なものなりし由」(「大社旧懐談」/『出雲信仰』石塚尊俊編 雄山閣出版 1986年)だったそうなのである。

商売繁盛の御利益のようだが、彼らは「縁結び」をどう触れ回ったのだろうか。そのテキストのひとつと考えられる『太々千人講(だいだいせんにんこう)出雲大社奉幣寄附姓名録』(弘化3年)にはこう記されていた。

(出雲の神は)則天の下の幽事を司とり玉ふ、幽冥とハ、たれなすともなく、年のよきあしき、人事の吉事凶事、男女の縁結、生産、病ひ、五穀の豊凶、雨降、風吹、よの中の治るも乱るもみな幽事の御定にして、人のしることにあらさるを幽事と言ふ、是皆出雲の大神のしらせる御所為になむありける(『出雲大社の御師と神徳弘布』島根県古代文化センター 2005年 所収)

出雲の神は幽事を支配している。この幽事とは「かみごと」と読まれ、対になるのは「顕事(あらわにごと)」。つまり幽事は表に出ていないことを意味している。

もともと出雲大社には「神在月」の言い伝えがある。陰暦の10月に全国の神々が出雲に集まり、1年間の幽事を話し合う。話し合いがあるということはすでに知られていたので、そのテーマの中に「実は縁談も決めている」と織り込んだらしい。

■縁結びエピソードが再生産されていく

例えば、こんな話も流布されたという。

石見国の農民、磯七は娘の良縁を願っていた。たまたま出雲大社に出かけて参拝すると、社殿から騒がしい物音が聞こえてきた。人の姿は見えず、「其聲(そのこえ)尋常の人聲(ひとこえ)にもあらで」(『神恩記』千家尊澄編 1882年 以下同)、磯七が何事かと恐るおそる中をうかがうと、その「數々の問答の中に」、彼の娘が「何がしの妻に結縁定りぬといとあざやかに聞え」た。不思議なこともあるものだなと国に帰ると、その年に本当に娘の縁談が決まる。喜んだ磯七は婿にこの話を伝え、以来、「益々大社を信ずる」ようになりました……。

話し合いの目撃談。当時の錦絵にその様子は描かれている。『出雲国大社八百万神達縁結給図(いずものくにおおやしろやおよろずのかみたちえんむすびたまわうのず)』などを見てみると、社殿で神々が忙しそうに仕事をしている。

ちょうど役所のように、上座に座る神が御札に名前を書き入れ、別の神がそれに赤い糸を付けて中央に運ぶ。中央では数人の神々が会議を開き、御札と御札を結びつけている。その傍らで別の神が記帳したり、ソロバンを弾いたり。大量の案件を流れ作業のように次々とこなしているのである。

まるで全国ネットの婚活サービス。これを知って「私も申し込んでみたい」と祈願する人が急増したのだろう。実際、これを模した「ゑんむすび」という遊戯が女性たちの間で広まっていた。名前を書き入れた細長い紙を縒(よ)って男女別に束ねる。

■神々による婚活サービスが全国区に

その束からおみくじを引くように、つまんで引いて紙を開く。誰と誰が出てくるのか。その「相應或は不相應」(喜田川季莊著『類聚近世風俗志 下』國學院大學出版部 1908年)を話し合って楽しむのである。

出雲の神様ごっこであり、一種の恋占いにもなり、こんな川柳も残っている。

縁結びきれいな貌はまれにくる
(「俳風柳多留」/『川柳集』國民文庫刊行會 1913年)

縁結びでは、きれいな顔はたまにしか当たらない。イケメンを期待するな、という戒めが込められているのだ。

この「ゑんむすび」の発展形か、好きな人の名前を紙に書き、自分の名前を書いた紙と縒り合わせて強引に縁結びさせる方法もあった。人情本などを読むと、恋に落ちた人は必ず紙で縁結びをしていたようで、上手く縒り合わないと思い悩んだりする。

齋藤緑雨の『油地獄』(『緑雨集』春陽堂 1910年 所収)などでは、「いよいよ結ばらぬので、其果(そのはて)は無理に手を添へるやうにして結んで、それで三分許(ばか)り安心して、纔(わづ)かに眠ることが出來た」というくらい。

縁結びは力を込めた手作業になったのである。幽事は見えないはずだが、それを見えるようにする。出雲の御師たちも幽事の可視化につとめたのかもしれない。ともあれ、彼らの活躍によって「縁結び」は全国的に広がった。それを背景に出雲大社大宮司(第80代出雲国造)の千家尊福(たかとみ)は次のように宣言した。

古來結婚は出雲の大神之を主配し、人の生るゝや已に早く大神は、毎年十月の神集にて諸新の申報を聞し召され、彼是の配偶を定めさせ給ふ
(千家尊福著『出雲大神』大社教本院 1921年)

■たわいの無い俗説が人心をつかむ

人は生まれた時から神々が縁結びの話し合いに入っている。少し言いすぎな感じもするのだが、「幽事の統御者たる大神の之を定めさせ給ふは當然の事なりとす」(同前)ときっぱり。当然のこととなれば理由も必要ないわけで、かくして出雲大社は縁結びの聖地となった。「縁結び」の流布によって出雲大社は人気の神社になったのだ。

参考までに、これを激しく非難していたのは民俗学者の柳田國男である。そもそも彼は出雲に神が集うということ自体、「誠にたわいの無い俗説であつて、論破するまでも無く之を信ずる者はゐない」(柳田國男著『祭日考』小山書店 1946年 以下同)と糾弾し、「自分も信ぜぬことを人に説くのは不道徳である」とまで切り捨てていた。

しかし考えてみれば由緒より「たわいの無い俗説」のほうが、人心をつかむ。柳田國男は出雲大社に「其由来を尋討するがよい」と忠告しているのだが、もともと由来はどこもよくわからないので、言ったほうが勝ち。

現に出雲大社は由来の内実より、縁結びの神社として知られるようになり、人々が縁結びの祈願にやってきて、本当に縁結びの神社として繁盛した。信仰というよりビジネスではないかと批判されそうだが、信仰はビジネスライクなのである。

■物は言い様、パワーも言い様

「『縁結び』とは、ナラティブのひとつだと思うんです」

高橋秀実『パワースポットはここですね』(新潮社)

酒井嚴貴さんが続けた。ナラティブとは物語ること。言い方、語り方のことである。縁がどう結ばれるかということより、どう語られるかに注目すべきだと彼は指摘するのだ。例えば、講社員のひとりが、出雲大社に参拝した。出雲から帰って友人にこう言ったらしい。

「初めて出雲大社に行ってきたのよ。まあ、いいご縁があればと思って」

するとその友人の母親が「えっ、そんなに結婚したかったの?」と驚き、彼女の知人がひとりの男性を紹介してくれた。お見合いをしてみると「あ、なんかもしかしたらご縁があるかもしれない、みたいな感じになって」、家族の話をしているうちに、彼の母親の親友が実は彼女の親戚だということに気がついた。

さらに彼女の下宿先の大家さんと彼の母親が高校時代の先輩後輩だったことが判明。彼女は「ご縁のある人たちがこうやって、連れてきてくれたんだなーっていうのを、すごく感じました」とのことで、彼との結婚を決めたそうなのである。「ご縁」という言葉の使い方が、縁をたぐり寄せたのだ。

「話していれば、何かしら共通点ってあると思うんです。そこに『縁結び』というナラティブが入ることで、すべてがつながって感じられるようになる。そうなると一種の躍動感、スペシャル感を覚える。人生に意味や価値が付与されるんですね」

要するに、物は言いようなのだ。確かに「縁結び」という言葉によって、縁は結ばれるものになったような気もする。仏教の「縁」は原因を意味し、因果関係によって人を戒めるが、縁結びは双方が対等につながり、様々な関係を生むのである。

※本文中の旧字は一部、新字に改めました。

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高橋 秀実(たかはし・ひでみね)
ノンフィクション作家
1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『ゴングまであと30秒』『にせニッポン人探訪記』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国 ニッポン』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『おすもうさん』『結論はまた来週』『男は邪魔! 「性差」をめぐる探究』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』『日本男子♂余れるところ』など。
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(ノンフィクション作家 高橋 秀実)