突如僕の人生に現れた、黒髪の美女・ひとみ

僕はその美貌と清楚な雰囲気に夢中になったけれど、実態は異常な女だった。

雅子と結婚したのにも関わらず、ずっとずっと僕の人生に付きまとってくる。

でも。

新居にも押しかけ、狂った小包を送りつけてきたひとみのことを…

僕は何故だかどうしても見捨てることが出来なかったんだ。

それが、恐ろしい事態を引き起こしているとも知らず…。




わたしとあなた…話し合わなきゃいけないよね


「堂島ひとみ、堂島ひとみ…」

何度繰り返しても、本当に違和感のないステキな名前だと思う。

ユウキくんの妻になったら、西岡ひとみから堂島ひとみになるのだ。

けれど…。

ユウキくんと無事に心が通じ合えた喜びは、そう長くは続かなかった。

朝起きた時に、ふと目に入ったユウキくんの携帯電話。その画面には”雅子”という名前で着信履歴がいくつも残されていたから…。

その時わたしは大事なことを思い出した。

そう、この人をどうにかしなくちゃいけなかったのに。

気持ちよさそうにぐっすりと眠るユウキくんを起こさないよう、そろりとベッドから降りる。

名残惜しいけれど、ウェディングドレスを脱いで洋服に着替えた。それからお財布に、スマホにお化粧ポーチ、ティッシュにハンカチをバッグに詰めて、最後に鏡を見る。

本当はユウキくんと一緒に行きたい。

『君との結婚は終わりだ。これから僕は、このひとみの夫になるんだ』

そんな風に、ユウキくんの口から言ってもらえたなら、どんなに嬉しいだろう。

あの女の人はきっと悔しがるけれど、仕方がない。

でも、ユウキくんは優しすぎてそんなことを面と向かって言えない人だというのはわかっている。

だから、わたしが代わりに言ってあげるんだ。

このホテルからユウキくんのお家まではタクシーで5分もかからないけれど、すっかり陽も照っているし、のんびりお散歩をして向かうのもいいだろう。

そうだ。途中でカフェオレも買いたいな。なんだかとっても冷たくて、頭がシャキッとする飲み物が飲みたくて、しかたない…。

わたしは音を出さないよう細心の注意を払いながら、静かにホテルのドアを閉めた。


雅子の元に向かうひとみ。ついに二人が、対面する。


堂島雅子:「彼女の声は、何故か、悲しくなる」


ピーンポーン

ドンドン、ドン

「おはようございます。雅子さん、起きてますか?」

私が恐ろしさのあまり硬直しているというのに、扉のすぐ向こう側から聞こえるのは、涼やかで落ち着いた声だ。

声の質も、放つ言葉も、特に異常ではないのに、私の体が本能的に拒否反応を示している。なんだか妙に、おかしな気分にさせられるのだ。




「おはようございます。お話があるんです。雅子さん、雅子さーん」

声の主は、全くトーンを変えずに、ごく当たり前のような調子で私の名前を呼び続ける。極限の恐怖を感じながらも、こんな時に夫が側にいてくれないことに、心の底から落胆した。

大学時代から、ずっとずっと大好きだったユウキ。やっと私のものになったと思ったけれど。女遊びくらいなんてことないと自分に言い聞かせてきたけれど…。

こんな緊急事態に、他の女のところにいるような男に、少しでも期待していた自分が馬鹿だったと悟る。

すると…なぜだろう。

夫への期待値がゼロになった瞬間、奇妙な力が腹の底から湧いてくるのを感じた。

私には守るべき存在がいて、この子を守れるのは私しかいない。

そんな強い思いが湧き上がってくる。

私は震える手で、どうにか110番を押した。30年間生きてきて、この番号を押すのは2回目だ。野太い男性の声が聞こえる。

「何がありましたか。事件ですか、事故ですか」

「ふ、不審者が、ストーカーが、家の前でインターホンを押しています。今です。たった今。家の鍵はかけています。今、そこにいます!」

恐ろしさで声が震えたものの、警察はすぐにマンションまで来てくれると言って、私は安心して彼らの到着を待つことにした。

通報の声が聞こえたのだろうか。ドアの向こう側は、先ほどとは打って変わってシン、としている。

私は少し冷静になり、マンションの管理会社にも電話をかけたが繋がらなかった。そのあとは次第に恐怖が消え、頭がどんどん冴え渡ってゆく。

そうだ、私は強い。小さい頃からこうやって、一人で何もかも解決してきたじゃないか。

誰かに守って貰おうなんて、馬鹿な夢はもう見ないー。

別にユウキがいなくたって、1人でこの子を育てて生きていけばいい。

でも、扉の向こうにいる女は違うのだろう。

彼女はただ、ユウキがいないとダメなんだ。ユウキに執着して、囚われて、自分を見失ってしまっている。

程度の差こそあれ、私自身も今まで彼女と同じだったのかもしれない。

そう気がついたとき、扉越しの女が、とうとうシクシクと泣きだしてしまった。

その声はあまりにもかわいそうで、まるで小さな子供が無防備に泣いているようにも聞こえる。

「雅子さんにおかしなことをするつもりなんてありません。本当です。だからお願いです。少しでもいいから、話を聞いてください…」

必死に訴える女の声を聞いているうちに、すこしだけ警戒心が解けていくのを感じた。


雅子とひとみの間で交わされた、驚くべき会話とは…?


彼女と私は、同じかもしれない


「雅子さん…雅子さん…」

扉の向こうの女は、なおも私の名前を呼び続ける。

すぐに部屋に戻ってしまえば良いのに、まるで金縛りにあったようにその場から動けない。

「聞いてくださってるんですよね…?では、今日、なんでわたしがここに来たのかお話ししますね」




つい先ほどまで泣いていたはずなのに、声の主は、いつのまにかとても落ち着いているようだ。私はドアに背中をつけて座り、彼女の声を聞き続けた。

「…雅子さんには申し訳ないのですが、わたしとユウキくんはお互い愛し合っていることがわかりました。だから、おふたりには別れて欲しいんです」

ごく丁寧に、気を遣いながら喋るその様子は、そこらの人間よりよほど礼儀正しく聞こえる。ただ彼女は決定的に、事実の認識が出来ていないのだ。

おそらくこの子は、私のお腹の中に赤ちゃんがいることも知らないのだろう。歪んだ事実の中だけで生きていて、こうしておかしな行動をしでかしてしまう。

私が返事をしないでいると、扉の向こうは再び無音状態になった。

警察への通報から、3分が経過しただろうか。そろそろ到着しても良い頃だ。

「ユウキくんと結婚したら、わたし、早くお母さんになりたいんです。母とわたしはそんなに良い関係じゃなかったから、自分は絶対に素敵な家庭を築きたい。ユウキくんとだったらそれが出来る気がするんですよね」

今度は、堰を切ったように母親のことを語り始めたが、私は彼女に喋らせ続けた。大丈夫、いずれにせよ警察はもう直ぐやってくる。

「お母さんには感謝もしているけど、小さい頃からお友達も決められていたせいで、わたしには本当に心を許して話す相手が出来たことがないし…ずっと独りぼっちだったんです」

不思議なことに、彼女の話にはすっと共感できてしまった。

私自身は放任気味の母親に育てられ、何も決められてはいなかったから、その点では彼女とは真逆だ。しかし私には、本当に心を許せる友達が出来たことは一度だってない。

サバサバしているのは上辺だけで、本心はずっとずっと誰にも見せないで生きてきた。

もしかしたら、この子は、私と同じなのかもしれない。

そして、偶然にも同じ人を好きになった。

そう思うと、つい先ほどまで彼女に抱いていた恐怖感はあっさりと消えてしまった。

警察はまだ到着していなかったけれど、私は彼女の話をもっと聴きたくて、ドアを開けた。

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ついに、ドアを開けてしまった雅子。2人の行方は…?