父はいま、北中米で開催される2026FIFAワールドカップの日本代表監督・森保一氏。その息子と聞けば、どんなサッカーエリート人生を歩んだのかと思ってしまいます。しかし、3兄弟の次男、圭悟さんは選手とは違った角度から新たなサッカーの道へと進むなかで、父からの教えや言葉を打ち明けてくれました。

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父は一度も「サッカーをやれ」と言わなかった

── 父は元プロサッカー選手で、現在は日本代表監督を務める森保一監督。3人兄弟の兄・翔平さんはJリーグ、圭悟さん自身も海外クラブでプロのピッチに立ち、弟の陸さんもユース、大学とサッカーを続けてきました。そんな一家で育ったとなれば、小さな頃からサッカーの英才教育を受けてきたのではと想像しますが…。

森保さん:よくそう言われるのですが、親父から直接教わったことはほとんどないんです。「サッカーをやれ」と強制されたことも一度もありません。むしろ「野球のほうが年俸高いぞ」なんて、冗談を言われていたくらいでしたから(笑)。ただ、とにかく「全力で楽しめよ」ということだけは、ずっと言われ続けてきましたね。

── いっぽうで、プロを目指す以上、結果を求められる厳しさもあります。純粋にサッカーを楽しむ感覚を見失いそうになった時期もあったのでしょうか。

森保さん:大学までプレーしていた頃は、「絶対に失敗できない」「プロになるには結果を出さないと」という思いに縛られていました。今振り返ると、サッカーを心から楽しめていなかった自分がいたなと思います。プロフェッショナルになればなるほど、ものすごい重圧の中で戦わないといけません。親父や日本代表になる選手たちは、そのプレッシャーすら楽しめる人たちなんだと思います。僕自身は、上を目指して絶対に結果を出さなければいけない環境でプレーすることが、少しストレスだったのかもしれません。

海外で4年間プレーしていた

── 大好きだったはずのものが、結果を求められるなかで少しずつ苦しくなっていく。それは競技に限らず、好きなことを仕事にした人なら、どこかでぶつかる感覚かもしれません。そうした葛藤のなかで、次の道を考えるようになったのですね。

森保さん:大学卒業後にオーストラリア、フィリピン、ドイツと渡り歩いて、生活できるくらいの給料はいただいていました。でも、自分が思い描いていたような、Jリーグでバリバリ活躍したり、日本代表に入るといったサッカー人生には届かなかったんです。海外で4年ほどプレーするなかで、自分のなかでは「やりきった」感覚もありました。

現役引退し第二の道へ。父は最後に背中を押した

── 選手としてのキャリアに区切りをつけた後、圭悟さんが選んだのはYouTubeの世界でした。当時、サッカー選手のセカンドキャリアとしてはまだ珍しい選択だったと思います。なにか勝算があったのでしょうか。

森保さん:海外でプレーしていた頃は自由な時間も多く、YouTubeをよく観ていたんです。テレビの番組が多くのスタッフで作り込まれるのに対し、YouTubeは企画から発信まで自分たちですべて決められる。その自由度に面白さを感じました。当時はまだ、プロの世界を経験した人が本格的に配信するサッカー系チャンネルは多くはありませんでした。だからこそ、自分の経験や感覚を活かしていけば勝負できる余地はあるんじゃないか。そんな根拠のない自信があったんです。

── YouTuberに転身するという決断をお父さんである森保監督に明かしたとき、どんな反応をされましたか。

森保さん:サッカーを辞めてYouTube配信を始めると話したときは「本当に大丈夫なのか」と、何度も言われました。ただ、親父はもともと「自分のケツは自分で拭け」というスタンスなので、最終的には「そう決めたのなら頑張れ」と背中を押してくれました。ただ、冗談交じりに「福利厚生のしっかりした会社に就職したほうがラクだぞ」とも。あえてそういう選択肢を示すことで、僕の覚悟が本物かどうかを確かめていたんだと思います。

── その後、高校時代の仲間とYouTubeチャンネルを始めます。ところが、現実はそう甘くなかった。最初の2年ほどは再生数が伸びず、アルバイトを掛け持ちする生活が続いたそうですね。

森保さん:始めたのは26~27歳頃で正直、不安はありました。周りの同世代が社会人としてキャリアを積んでいくなかで、自分たちはこれでいいのかという焦りもありました。クレジットカードの審査にすら落ちて、状況としてはかなりキツかったですね。メンバーのなかには、将来のことをリアルに考えて悩むヤツもいて、いろいろと葛藤はあったみたいです。

それでも現役を退いてセカンドキャリアとしてやると決めた以上、芽が出るまでは続けようと思っていました。ひとりだったら精神的に厳しかったと思いますが、みんなでやると決めて始めたからこそ、踏みとどまれたんだと思います。それに、どこかで「そのうち伸びるんじゃないか」という根拠のない自信や「まあ、なんとかなるか」という楽観的な気持ちもずっとあって。

「楽しめ」父の言葉がいまの活動の根っこにある

── 26、27歳でまったくゼロからスタートした動画配信と考えると、大きな賭けにも見えますが、根拠のない自信や前向きさは、もともとの性格なのでしょうか。

森保さん:昔はあまり前に出て自分から何かをやるタイプではありませんでした。ただ、大学卒業後に渡った海外生活のなかで、現地の人たちの生き方に肌で触れたのが大きかったです。海外の人は、自分の信念をしっかり持って物怖じせずに意見を言う人が多い。周りを気にしすぎない生き方を体感できたことで、「自分たちが面白いと思うことをとことんやってみよう」と、思えるようになった部分はありますね。

圭悟さん(写真一番右)たち「リゼム」のYouTubeは2021年、チャンネル登録者数が10万人突破!

── そもそも海外に目を向けるきっかけは、お父さんの影響だったとか。

森保さん:親父からは「とりあえず海外に出ろ」とずっと言われていました。小学6年生のときには、ニュージーランドに単身留学をさせられたこともあります。親父も現役時代に日本代表として世界を肌で感じ、いろいろな景色を見てきた人なので、僕たち兄弟にもそういう経験を早くからさせたかったんじゃないかと思います。

トップリーグや上位カテゴリーとなるとまた違うのでしょうが、海外ではセミプロとして現役でサッカーを続けながら、まったく別の仕事を持ち、自分らしく人生を楽しんでいる選手たちもいました。そういう姿を間近で見たことで、サッカーを「楽しむ」ことへの思いがより深まった気がします。

── ご自身のチーム名「LISEM(リゼム)」にも、「人生は短いから、もっと楽しめ(Life Is Short Enjoy Moreの頭文字をとってLISEM)」という意味が込められています。現在は兄の翔平さん、弟の陸さんもメンバーに加わり、5人で活動されているそうですね。お父さんから言われ続けてきた「楽しめ」という言葉が、いまの圭悟さんの活動そのものにもつながっているように感じます。 

森保さん:間違いなくそうですね。その価値観によって、視野がすごく広がりました。「人生ってサッカーだけじゃないな」と感じられたからこそ、選手としてのキャリアに執着せず、踏ん切りをつけて次の人生を思いきり楽しもうと思えたんです。

ただ、サッカーから離れたかったわけではありません。自分を育ててくれたのはサッカーですし、形を変えて関わり続けたいと思いはありました。結果を求められる選手としてではなく、楽しみながらサッカーと関わる。そういう意味では、親父からずっと言われてきた「楽しめ」という言葉が、今の活動の根っこにもつながっているのかもしれません。

取材・文:西尾英子 写真:森保圭悟