クマに左目を奪われた義眼の老ハンターは今も現役「唯一の道楽だから。やめられない」今年のクマ出没予想を問うと「同じじゃねえかな」
今春も各地でクマの目撃情報が出始めている。全国有数のツキノワグマの生息地に老ハンター・田村茂氏(73)を訪ね、写真を撮ってもいいかと訪ねると「マスク、取ったほうがいいかな」と返された。かつてクマに襲われたことがあり、片方の目が義眼であるなど顔に大ケガを負っている田村氏は、そのことをほとんど気にしていないと聞いていたが、なぜマスクをしていたのか──。ノンフィクションライターの中村計氏がレポートする。(文中敬称略)【前後編の後編】
【写真】マスクを取った田村茂氏。深い傷を負った顔の整形には膨大な手間と時間を要したという
約3年で6度の手術
よくよく話を聞くと、田村がマスクをしていたのにはこんな理由があった。
「口と、鼻と、左目をやられたんだけど、(皮膚を)移植する時、太い血管しか移植できないから。毛細血管は縫い合わせることはできねえんだ。だから、血流が悪くなってね。寒いと、紫色に変色してしまうんです。それを防ぐのにマスクが必要なんです」
田村が狩猟免許を取得したのは1992年のことだ。40歳を間近に控えていた。猟師になる年齢としては遅い部類に入る。以降、林業を営む傍ら、休みの日を利用して山に入った。
「うまいこと獲れたら、クマのお葬式をするんだ。まあ、供養だな。クマを食べながら、仲間とワイワイやる。それが楽しいんだ」
食卓に並ぶ料理が自分の仕留めたクマならば、充足感は何倍にもなった。
事故が起きたのは、12年前にさかのぼる。猟師になって22年目の出来事だった。
「忘れもしない。4月の28日よ。あれは完全な油断。ハンターとして、あるまじき行動だった」
その日、田村は2人で山に入った。クマによる農業被害を事前に防ぐための駆除活動だった。
山にはまだ雪が残っていた。偶然見つけたクマの足跡を辿って1時間半ほど山を歩くと、200メートルほど先に動く黒い塊が目に入った。田村が所持していたライフルであれば十分、射程圏内だった。
スコープを覗き、狙いを定める。田村が引き金を引いた。弾はクマの体の真ん中当たりに命中し、その場でクマが倒れるのが見えた。仕留めたと確信した田村は数百メートル離れていた仲間に無線でそのことを告げ、1人でクマがいた場所へ駆け寄った。
田村がその時の心境をこう振り返る。
「獲ったぞ、って。早くトドメを刺して、相棒に自慢したい気持ちがあったな」
国内有数の高密度エリアであっても年に1頭も仕留められないどころか、クマを1頭も見かけない年さえ珍しくない。高揚するのも無理はなかった。
田村がクマを撃ったはずの場所に辿り着く。ところが、肝心の獲物の姿がない。田村がキョロキョロと辺りを歩き回っていた時だった。斜め後ろにただならぬ気配を感じ、振り返った時には立ち上がっていたクマの前足の爪が田村の顔を深くえぐっていた。瞬間、田村は意識を失った。
クマは心臓を撃ち抜かれても、そこから何百メートルも移動できるほどタフだ。また、手負いとなったクマは、死に物狂いで攻撃を仕掛けてくる。田村はクマの生命力の強さを知りながらも、逸る気持ちから注意力が散漫になっていた。
瀕死の状態に陥っていたクマは近くの藪に身を隠していたのだ。
「迂闊にも、うろちょろしてしまった。本当は相棒が来るまで待っていればよかったのに。2人で探せば、こんなことにならなかった」
クマは田村に一太刀を加え、その場からいなくなってしまったという。田村は、こう推測する。
「苦しかったんだと思うよ。力が十分残っていたら、クマは相手の息の根を止めるまで向かってくるから」
瀕死の重傷を負った田村は、直後、同行していた仲間に発見され、救護ヘリによって盛岡市内の病院に運ばれる。そこで緊急手術を受け、なんとか一命を取り留めた。
ただし、深い傷を負った顔の整形には膨大な手間と時間を要した。約3年をかけ、計6度の手術を受けた。
「鼻は完全に取れちゃっていたから、少しずつやるわけよ。そのたびに2週間くらい入院してさ。最後は、これ以上はなんともならないですね、って。見苦しい姿になっちゃったけど、命があっただけでもよかったよ」
田村は73歳となった今も現役のハンターだ。
「唯一の道楽だから。道楽って、病でしょ。やめられない。幸いにも両眼で0.7以上あれば狩猟免許も、車の免許もオッケーなんですよ。お陰様で右目は1.0あるから」
「温暖化の影響」という持論
今年もすでに各地でクマ出没のニュースが伝えられている。田村に今年のクマの出没予想を問うと、間髪入れずに答えが返ってきた。
「同じじゃねえかな」
たとえ山に餌があったとしても里でありつける食べ物の味を一度でも覚えてしまったクマは必ず戻ってくるというのだ。クマの山のごちそうであるブナやナラなどの堅果類の出来も急激に好転することはないという。
「このことは、まだ、どんな学者さんたちもほとんど言ってないんじゃないかな。餌不足は温暖化の影響だと思うよ。ブナの花は通常、4月の下旬ころに咲くんだけど、ここ数年は2〜3週間早い。ブナは標高400〜500メートルのところになるから、咲くのが早いと夜、霜が降りて、凍傷になっちゃうんだ」
西和賀町の山々は日中、20度近くまで気温が上がっても、夜は氷点下まで急降下することも珍しくない。
「ブナはただでさえ弱いので、2〜3年に一度くらいしかならない。でも、ここ5〜6年、ずっとダメだからな。去年はナラの木もダメだった」
自分の足と目で得た情報だけに説得力があった。クマの異常行動が温暖化に起因しているとしたら、その傾向は容易に元には戻らないどころか、より加速する可能性さえある。
インタビュー中、ずっと思っていたことがあった。田村の左目は義眼だと言われなければ、誰もそのことに気づかないのではないか。聞けば、東京の義眼職人に特別にあつらえてもらったものなのだという。
田村は、こう得意なフリをした。
「オレの義眼は保険がきかないのよ。60万もしたからな。贅沢品だ」
そうくだけた調子で言うと、声を上げて笑った。
(前編から読む)
【プロフィール】
中村計(なかむら・けい)/1973年生まれ、千葉県出身。ノンフィクションライター。著書に『甲子園が割れた日』『勝ち過ぎた監督』『笑い神 M-1、その純情と狂気』など。スポーツからお笑いまで幅広い取材・執筆を行なう。近著に『さよなら、天才 大谷翔平世代の今』。
撮影/二神慎之介
※週刊ポスト2026年5月1日号
