2020年。今までの「当たり前」が、そうではなくなった。前触れもなく訪れた、これまでとは違う新しい生活様式。

仕事する場所が自宅になったり、パートナーとの関係が変わったり…。変わったものは、人それぞれだろう。

そして世の中が変化した結果―。現在東京には、時間が余って暇になってしまった女…通称“ヒマジョ”たちが溢れているという。

さて、今週登場するのはどんなヒマジョ…?

▶前回:「一線は超えない…」と我慢していた女が、男と会えなくなった代わりに始めたコト




「美緒ちゃーん!こっちこっち」

「遅くなってごめんね。…って、またこんなに女子大生集めてる。駿ちゃんって、本当元気だなぁ」

西麻布の会員制ラウンジバー。席に着くと同時に、グラスに注がれていくクリュッグ・ロゼ。

私にとってはなんてことない、いつもの週末だ。

40〜50代の経営者たちの会話に物怖じすることなく入っていき、場を盛り上げる。

「見てこれ。今、すごく便利なアプリがあるんだよ。予定のない女の子がすぐに駆けつけてくれるの。っていっても、美緒ちゃんみたいに面白い子はなかなかいないけどね」

そう言ってウイスキーのロックを飲み干した男性は、全国展開している不動産会社の代表、牧瀬駿太郎。西麻布での食事会で出会った、羽振りのいいおじさんだ。

「でもやっぱり若い子は話がイマイチなんだよね。美緒ちゃんくらいの年の方が酸いも甘いも噛み分けてるっていうかさ...」

「嬉しいなぁ。私も駿ちゃんと飲むの楽しい〜!乾杯〜!」

自分は本当に要領がいいと思う。

だらだらと飲むのは時間の無駄だから、必ず会の終わり頃に顔を出すことにしている。

この日も、最初に女子大生が数人派遣されていたこともあり、私が合流してから1時間もしないうちに解散となった。

「じゃあまた近々!」

「美緒ちゃん、ハイこれ。タクシー代にでも使って」

タクシーに乗り込む直前。駿太郎から折り畳まれたお札を手渡され、私はそれを、ヴァレンティノのスタッズバッグの内ポケットに慣れた手つきで滑り込ませた。


港区に住めなくなった美緒がとった行動とは…


−8、9、10万。いつもより多いじゃん、ラッキー♡

そして、タクシーの中で素早くLINEを打つ。

『駿ちゃん、ありがとう☺️ 今度地元の無農薬野菜おすそ分けするね!』

『美緒チャン、今度はお鮨でもどうかな!? 野菜もいいけど、それより美緒チャンを独り占めしたいナ〜!ナンチャッテ(^O^) 』

突っ込みどころ満載だが、特に反応せずスタンプで返事をして会話を終わらせる。

タクシーを止め、六本木のとあるレジデンスの前で降りた。

家賃は月45万円。ただのIT企業の会社員で、役職についているわけでもない、そんな私がここに住んでいることに驚く友達も多い。

でも、私にとって港区に住むなんて簡単。こうやって週に数回、経営者たちの飲みの場に呼ばれるだけでいいのだから。

ーはぁ、楽しい♡

そう、この時まで人生なんて楽勝だって、完全に調子に乗っていた。




ー2020年7月ー

「嘘でしょ...電気代ってこんなに高いの?」

今までまともに見たことのなかった料金明細を見て、思わず声が漏れる。

あれから数ヶ月、一度も西麻布へは行っていない。つまり臨時収入がゼロの状態だった。

しばらくは本業の給料と貯金で支払えていた家賃も、もう限界にきている。

駿太郎をはじめ、いろんな経営者の知り合いに連絡してみてはいるが、見事に総スルー。

それもそのはず。従業員や家族を持つ彼らが、この事態で容易に夜の街に出るはずなどなかった。

それでも私は、もう少し経てばなんとかなるだろうと、能天気に生活水準は下げずにいた。

しかし、それが自分の首を絞めることになる。

ーもうここには住めない。

引越しするにも、初期費用がかかる。ならば手段は一つだけだ。

プライドを捨て、私は六本木から退散した。



「ただいま〜」

「おかえり、美緒」

エプロン姿の母が玄関で出迎えてくれた。

そう、私は実家がある千葉の船橋に帰った。もうそうするしかなかったのだ。

実家は農業を営んでおり、小松菜をメインに育てている。

「よっ!出戻り娘。六本木でのバブリーライフも終了か?」

兄がからかってきたので、力強く足を踏んづける。

うちは災害や不景気を乗り越え、なんとか続いている農家だ。チェーン展開している飲食店と契約し、売り上げも安定してきたと年末帰った時に聞いたばかり。

しかし、飲食店の営業自粛の影響もあり、しっかりと打撃を受けていたようだ。

出荷の時期を見越して作ってきた野菜が、販売経路を断たれ、消費できずにいる。このままでは廃棄にするしかないと両親は嘆いていた。


港区女子のプライドを捨て、美緒は大胆な行動に出る…!


「どうしたもんかねぇ。うちの小松菜は、無農薬にこだわって作っていて本当に美味しいのに」

父が、夕飯時にポツリとつぶやく。その顔を見ていたら、調子に乗っていた自分がアホらしく思えてきた。

何も聞かずに迎え入れてくれた家族に、私ができることはないだろうか。

夕食を終え、二階の自分の部屋へ向かう途中で、兄の部屋から女の人との会話が聞こえてきた。そっとドアの隙間をのぞくと、PC画面に向かって兄が話している。

「お兄ちゃん、誰かと話してるの?」

「うおぉあい!何勝手に入ってきてんだよ。…ごめん!ゆりなさん。これ、ヤバい妹だから気にしないで」

画面には美肌加工を施した女性が、あざとさ満載のルームウエアを着てにっこりと微笑んでいた。

「ヤバいって何よ。自分なんて、アイドルオタクでゲーマーのくせに」

言い返したものの特に興味はないので、自分の部屋へ行きベッドに身を投げ出す。

ー暇だ...

ここは港区ではなく船橋だ。私にはスマホをいじることしかやることがない。

暇すぎたので、兄の会話を盗み聞きしてやることにした。薄い壁に耳を当てる。

どうやら、兄と女性は初対面のようだ。オンライン婚活でもしているのだろうか。

「小松菜〜?私大好きです!直接農家さんから買えたらいいのになぁ♡」

ーおいおい。小松菜大好きな女なんて、聞いたことないよ...って、これだ!!

この女性からヒントをもらい、私はまたスマホをいじり出す。

調べてみると、農家と消費者を直接つなぐネットサービスは、既にいくつも存在していた。

中には、スマホのアプリ内だけで出品手続きが完了するものもある。

PC作業が苦手な両親でも簡単に操作ができそうだし、土いじりはネイルをしているから難しいが、これなら私も手伝える。

ヒントをくれた小松菜大好きっ娘に感謝した。

兄に話すと、ゲームや婚活の時間を削り、配送作業を担当してくれた。

自分のそこそこフォロワーがいるInstagramでも、ちゃっかり購入ページのURLを載せ、宣伝する。

駿太郎も経営者仲間に拡散してくれて、家族みんなで動いたおかげもあり、1箱2キロの小松菜の段ボールが1日にいくつも売れた。




そんな日々の中で、私は今まで味わったことのない達成感に包まれていた。

「美緒、ありがとう!私たちだけじゃ、こんなに捌けなかったわ。はい、これバイト代」

リビングで農家の紹介ページを編集している横から、母が封筒を差し出した。

「ちょっとちょっと、やめてよ〜!お金欲しさに手伝ったんじゃないから、受け取れないわ」

「でも、東京に戻りたいんでしょ」

「東京ねぇ...」

リッチな男は容姿や才能の優れた女をそばに置くことで優越感に浸り、女はその分、恩恵を受ける。

港区の一部では、いまだにそんな文化が継承されている。

私もその恩恵を受け、普通の女の子以上の生活水準を保っていられた。

新作のバッグに靴に、昼間のお給料では手の届かないジュエリーたち。それらは私に自信を与えくれると信じてやまなかった。

だけど、そんなもので得られる自信なんて、泡のようにすぐ消えてしまう。

東京にいると色んなことが麻痺するが、しばらくの間、大事なものを見失っていたような気がする。

「私、しばらくここにいようかな」

「そう。好きにしなさい」

キッチンに戻る母を追いかけ、夕飯の支度を手伝う。

家族みんなで食べる小松菜料理とビールは、西麻布で飲むシャンパンよりずっと美味しく感じた。

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