なぜトヨタ自動車は「日本を代表する会社」と呼ばれるのか。豊田章男会長は「世界で1000万台売っても、ぜんぜん響かない」と話す。規模でも業績でもなく、「いいクルマづくり」を追い求める理由を、野地秩嘉さんが聞いた――。

■「豊田くん、課長と部長と、どちらが偉いと思うか?」

毎年、2月の下旬になると豊田市にある本社でトヨタの企業内訓練校「トヨタ工業学園」の卒業式が開かれる。2026年2月27日、3年制の高等部(3年制)、専門部(1年制)あわせて234人が卒業した。3月1日からはトヨタのチームメンバーとなり、各職場で働き始める。トヨタ会長の豊田章男は新しい仲間を迎えるため、同学園の卒業式には必ず出席する。

わたしは卒業式の後、日本とトヨタのものづくり、そして、未来について話を聞いた。彼はいつも機嫌よく話をする。彼のような立場の人が難しい顔をしていると、みんな本音で話してくれないというのがわかっているからだ。そして他人の気持ちを気遣うだけでなく、自分の言葉が正確に伝わることを考えている。

その日、豊田章男は囲み取材に応じて、「日本はものづくりが大切」と報道陣に語った。

彼は具体的な例を引きながら、語りかけた。

「日本の場合、製造業を中心にした国づくりがこの国のみんなにチャンスを与えることに結びつくのではないかと思うのです。全国の県民の一人当たりの所得を見ると、1位は東京都ですけれど、2位から5位まではものづくりをしている県(※)です。

1位 東京都
2位 愛知県
3位 茨城県
4位 静岡県
5位 群馬県

※出所:内閣府「県民経済計算 1人当たり県民所得(令和4年度)」

そして、ものづくり、製造業が中心になっている地域の個人別の所得を見ると、中間層の人たちの所得が厚くなっています。もっといい国にしていくことを考えると、中間層の人たちの所得を上げていくことは重要です。

私は中間層だけを引き上げようと言っているのではなく、同時に若い人の所得も引き上げていくことが必要だと思っています。彼らが日本の未来だからです。今日の卒業生がトヨタの未来であるのと同様に。

毎年2月に行われるトヨタ工業学園の卒業式では、会長である豊田章男はじめ、河合満エグゼクティブフェローたちが壇上で卒業生の船出を祝う。卒業生や列席の親族に向けて、豊田章男からエールが送られる。

今も覚えていることがあります。私が入社した時のことです。上司というか先輩から『豊田くん、課長と部長と、どちらが偉いと思うか?』と尋ねられたことがある。

『部長です』と答えたら、『いや、違うな』と言われたんです。

『課長のほうが偉いんだよ。この先、部長が会社にいるのは数年くらいのものだ。だが、課長はこれからもずっと豊田くんの上司だ。そして、会社の未来を決めるのは若いほうなんだよ』

あの時、先輩の言った通りです。若い人が未来をつくる。若い人は変化に対してチャレンジしていく勇気がある。大人たちはとにかく若い人にやらせることです。

『それは失敗するぞ』と止めるのではなく、失敗してもいいからやらせてあげること。幸い、トヨタにはチャレンジさせる社風があります。トヨタ工業学園の卒業生は地道にチャレンジを繰り返していますよ」

豊田章男はAIとどのように向き合うのか

囲み取材に参加していたひとりの記者が「会長はAIとその使い方について、どうお考えですか」と尋ねた。

彼は丁寧に答えた。

「今、AIは従来の言語モデルから、因果関係や物理法則を学習して、推論するワールド(世界)モデルへ移行しています。言語モデルの時は日本語だったこともあって、AIが正確な答えを出すことはなかなか難しかった。日本語のシェアが低いこともあって、過去のデジタルデータが少なかったからでしょう。それがワールドモデルになってきた段階で、かなり変わってきました。今後はさらに、いろいろなことができるようになります。

製造現場に合うAIも出てくる。AIとともに仕事をしていくようになります。製造現場には、まだまだ特殊分野の技能者にしかできない技術があります。AIとともに現場にいることができれば、特殊な技能を学ぶリードタイムを短くすることができる。また、熱で暑くなる現場の作業をロボットに代替するためにもAIは必要です。

製造現場でAIを使いこなすことができれば日本の強みがさらに出てくる。トヨタはものづくり産業とAIとの融合を自信を持って進めていきたい。

そして、AIがワールドモデルになった時代にいちばん必要なのは質問力と好奇心だということ。知識よりも質問力と好奇心。若者は質問力と好奇心を持っている。私は若い人たちがその部分を伸ばしていくためのサポートをします」

豊田章男は「AI時代に必要なことは質問力と好奇心」と強調した。まさにその通りだ。取材の対応を聞きながら思ったのは、豊田章男こそ好奇心に富む人だということ。彼はインタビュアーの質問に淡々と答えるわけではない。彼のほうから質問を発する。

■役割で働く人間たちが「おやじの会」で話すこと

囲み取材の後、彼が仕事をする部屋に移った。卒業式に出席していた時からずっと作業服姿だ。スーツを着て働く人ではなく、現場で作業服を着る人だ。

わたしは尋ねた。

「現場へ行くこと、現場で見て考えることを大切にしていらっしゃいますね」

彼は答えた。

「卒業式の壇上で座っていた時、横に座っていた河合(満)おやじから『案内したい現場があります』と誘われたんです。『会長、上郷工場(エンジン工場)に新しくできた生産ラインがすごくいい。一緒に見に行きましょう』

もちろん行くと伝えました。

河合おやじの話を聞いたら、上郷工場にいる斉藤(富久工場長)さんは『若い連中にとにかくやらせてみた。失敗してもいいからチャレンジさせた』と言っているという。通常、生産ラインの設計は管理職とベテランがやる。それを斉藤さんは若い人たちだけにまかせたというんです。トヨタの人づくりってそれですよ。若い人にはチャレンジさせる。おやじ連中のような大人は会社の管理部署から邪魔が入らないように若い人を守る。自由にやらせないと人は育ちません」

トヨタグループには「おやじの会」という肩書にとらわれない現場(技能系大学卒はいない)のトップ経験者の集まりがある。2018年、河合おやじが率先してグループ各社の古強者ふるつわものに電話をして、メンバーを集めた。グループを横断して情報を共有して、後進を育てている。わたしは今、「おやじの会」の取材をしているので、それに触れたら、彼は目を輝かせて言った。

「河合おやじが率先してつくった、本当の『おやじ』たちの集まりです。現場で、ものづくりをしてきた工場長やトップの経験者が集まって、困りごとの相談や問題の解決をやっている。トヨタだけじゃなく、デンソー、豊田織機などグループ各社から集まっています。コロナ禍には現場の感染対策を共有していました。それも電話一本でやったと言っていました。普通であれば本社の管理部署が間に入るから、時間が経ってしまう。でも、コロナ禍の現場対策は時間をかけてはいられない。

日ごろから親しくしているおやじたちは電話一本で『お前のところ、感染対策はどうやったの? 見に行っていいかな』と連絡して解決したんです。コロナ禍だけじゃありません。災害に遭ったり、人が足りないと聞けば、すぐに駆け付ける。トヨタグループという同じ船に乗っている同士だから、助け合うことができる。会社の肩書ではなくて、結果として『ありがとう』と言い合える仲間たちです」

グループとはいっても違う会社である。それなのに、おやじたちは会社の違いなどを忘れて現場のために協力する。肩書を重んじる会社であれば「おやじの会」のような活動は不可能だろう。「おやじの会」の中心にいるのは河合おやじだ。おやじたちは河合おやじがトヨタの元副社長だから話に耳を傾けるわけではない。人間としての河合満、現場のおやじとしての河合満を尊敬している。そこに肩書はない。

豊田章男は「そうです」と言った。

「河合おやじは専務になることも副社長になることも嫌がった人です。何より、トヨタは肩書で働く会社ではありません。役割で働く会社です。私はそういう会社にするためにやってきました」

4月、トヨタの社長は代わった。発表があった時、マスコミは「(前任の)佐藤さんは短期間だ。何かあったのか?」と臆測した。繰り返しになるが、トヨタは肩書ではなく、役割で働く会社だ。佐藤恒治は自動車工業会のトップとして日本のために働くという役割に就いた。日本の自動車会社、部品会社など全体の成長を持続し発展させるためには、トヨタのトップとして働いた佐藤恒治しかできない。佐藤恒治が必要なのである。

わたしがそう言ったら、豊田章男は答えた。

「そうです。みなさんもよくわかっていらっしゃると思います」

■トヨタに受け継がれるものトヨタがこの先に残すもの

トヨタが今も進めている販売改善について、わたしは尋ねた。

「『トヨタ物語 未完と不屈のトヨタ生産方式』では、それまで生産部門にしか入っていなかったトヨタ生産方式を販売部門に導入しようとする豊田さんの話が出てきます。当時は工販合併の直後でもあり、また、販売店としては聞き慣れないトヨタ生産方式を導入することに抵抗がありました。

当時の、あるエピソードがあります。

販売店の2世だったある若手社員がいました。若手社員が所属していたのは豊田さんが課長をしていた国内業務部の業務改善支援室(1996年設立)でした。

若手社員はある日、豊田さんから呼び止められたそうです。

『トヨタって会社をどう思う?』

若手社員はこう答えました。『売り上げが1兆円にもなる大会社で、周りはみんな、いい会社だと誉めてくれます』

すると、豊田さんは不思議そうな顔をした。

『それはおかしい。うちはクルマ屋だ。いいクルマをつくっている、いい社員がいると誉められるべきだ』

若手社員は今や販売会社の社長になっています。彼は今も忘れていません。

『豊田会長が〈もっといいクルマをつくろう〉と言ったのはあの時からだった。社長になって急に言い出したことではなく、昔からずっと信じて語っていた。あの人は昔からまったくブレていない』」

この話をしたら、豊田章男はこう答えた。

「『もっといいクルマをつくろう』はもともと、トヨタにあったものです。創業者以来、脈々と続いてきたメッセージなのです。それが一時期、おかしくなったことはある。ある時期、エリート集団と称する人たち、肩書を大切にして働く人たちが会社の歴史に興味を持たずに短期の目標だけを追った。

『クルマを数多くつくりたい』『たくさん売りたい』『世界一になりたい』……。数字を追ったんです。それでおかしくなった。当時は現場とマネジメントが乖離していました。

ところが、ここが問題なんだけれど、世間やマスコミはその頃のトヨタを誉めた。すると、社内の人間は『そうか。たくさんつくってたくさん売れば世間は誉めてくれるのか』と勘違いしたわけです。

私が社長になってからは元に戻したんです。販売改善に力を入れたのはお客さまの情報が生産、開発に届くようにするためでした。生産と販売のリードタイムも短縮しました。現場とマネジメントの考えが一体化するようにしました。

「モリゾウ選手」としてカーレースに挑む豊田章男。「もっといいクルマづくり」を常に目指し、みずからがドライバーとなり追求を重ねている。富士スピードウェイや“世界一過酷”といわれるニュルブルクリンクの24時間耐久レースに出場している。

ただ、これは私だけがやったことではないんです。豊田喜一郎の時は生産から販売までジャスト・イン・タイムでした。豊田英二、豊田章一郎も販売改善をやりたかった。ただ、その頃のトヨタは自工と自販に分かれていました。私がやっていることはすべて、もともとトヨタが持っていたのです」

「今は『いいクルマをつくってるね』と言われる会社になったのではないでしょうか」

彼は微笑した。

「私にとっていちばんの誉め言葉は『いいクルマをつくってる』と『いい人材が多いね』と言われること。

『世界で1000万台も売っているんですか。それはすごい』

そう誉めてもらっても、ぜんぜん響かない。それ、全然響かないですよ、私は。

今でこそやっと『いいクルマをつくってますね』と言われるようになりました。でも、まだまだこれから。会長になって残された時間にやりたいことは、『本当にいい人材が多い』とみんなに言ってもらうこと。うちは現場に行けば技のある人たちが大勢、います。本当にいる。製造部門だけじゃない。事務部門にも販売部門にもいます。

もう一度、言いますけれど、トヨタは変わっていません。これがトヨタなんです。私ひとりが会社を変えたなんてことはない。時間をかけて元からあった体質に戻したといえます。

たとえば、身体の調子がひどく悪いと西洋医学では薬を出したり、あるいは手術して悪い箇所を切除してしまう。それは外科的な解決法です。私がやったことは東洋医学だと思う。そして、トヨタがもともと持っていたDNAを刺激したにすぎない。会社を変えるといえば、外科的に手術して切ってしまうけれど、それをすると対立の芽が残る。私はそれぞれの人をリスペクトして、元の体質に戻したんです。『もっといいクルマをつくろう』はトヨタに脈々と続くメッセージです」

■歴史をさかのぼるほど未来がみえてくる

トヨタを取材していて、豊田佐吉と織機についてわかったことがある。豊田佐吉が発明した織機は木綿の衣料を織っただけではない。三河地方で収穫した上質で太い綿糸を使い帆布を織るのにも使った。佐吉の織機は船というモビリティの部品を製造する工作機械でもあった。

豊田章男は「そうです。その通りです」と言った。

「佐吉が織機を始めたのは親孝行したかったからなのですが、その後、帆布を織ることもありました。それは三河のあたりが木綿の産地だったからでしょう。

2019年、トヨタはモビリティカンパニーだと言い出したのは私ということになっています。しかし、佐吉の頃からモビリティカンパニーと言ってもよかったんです」

わたしは言った。

「佐吉が帆布を織る機械を発明していたと知った時は、ああそうだったのかと思いました。本を書いていて楽しいのは、そういう時、物事と物事がつながった時なんです」

彼は言う。

「過去を探っていったら、トヨタの未来があった、と。歴史をさかのぼればトヨタの未来が書ける。そういうことになりますね。そう、過去を探れば探るほど、トヨタの未来が書けるのでしょう」

写真提供=トヨタ自動車
発明王としての顔も持つ、トヨタの礎をつくった豊田佐吉。佐吉の「母を少しでも楽にしたい」という想いから自動織機が開発された。この自動織機の開発における実践により「自働化」が生まれた。佐吉の息子である、トヨタ自動車創業者の喜一郎の「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」がトヨタ生産方式の基本である。 - 写真提供=トヨタ自動車

■センチュリーの車体はなぜ7回も塗り重ねるのか

話は続いた。

「新しく出たトヨタのセンチュリークーペを見て、目を奪われました。ものづくりの真髄だと思いました」

「確かにいい色ですね。センチュリーの塗装仕上げは7回も塗り重ねる。それで色に深みが出るんです」

「人間業とは思えない。技術を超えたところがあります。もう芸術品です」

彼は説明する。

「1台の車に塗装を7回も行うことはまずありません。普通の自動車会社であれば『コストがかかるから』とやらないでしょう。でも、トヨタはやる。ものづくりはそこを省いてはできない。コストの問題もクリアして、ちゃんとやるのがトヨタのプライドであり、ジャパン・プライドだと思う。日本はやっぱりものづくりなんです。

トヨタのクルマは手間がかかっています。手間に比べると価格は安い。特にGR(ガズーレーシング)系の車種は本当に手間がかかっています。私はいいクルマは数字を追ったらできないとも思う。

私が初めてドイツのニュルブルクリンクのサーキットへ行った時、持っていったクルマは古いアルテッツァでした。他のヨーロッパ車を憧れの目で見つめていたことを憶えています。ところが、去年、私たちがニュルブルクリンクへ車を持っていったら、現地の人たちが、かつての私のように、トヨタ車を憧れの目で見つめていました。

■世界一クルマを愛する男の「いいクルマづくり」とは

今度、センチュリーだけでなく、GR GTもつくりました。今こそセンチュリーやGR GTみたいなプレミアム・ブランドをつくらなければいけない。そう思ったからです。数字を追って車をつくってしまうとおかしくなる。デザインが似てしまうとか……。

そう。今度、デザインの現場を見てください。

パソコン上でモデルを作るだけじゃない。トヨタでは今も粘土をこねて、削ってクレイモデルを作って風洞実験をやってます。パソコンだけでも、『いいクルマ』はできます。

ただ、『もっといいクルマ』にするには人間の手が必要です。ものづくりなんです。クルマっていうのは工業製品ですけれども、感情移入できる相棒です。相棒にするには人の手を入れて、最後の一筆は人がやらなきゃダメ。人の手が入って、威厳とか色気が出てくるんです。うちの現場に行ったら、クルマの威厳と色気を見てください」

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。ビジネスインサイダーにて「一生に一度は見たい東京美術案内」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉 イラストレーション=浅妻健司 撮影=本誌編集部)